伝説紀行 塩買いのお弥陀さん 久留米市 古賀 勝作


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作:古賀 勝

第318話 2007年11月25日版

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             【禁無断転載】
        

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

塩買いの阿弥陀さま

久留米市草野(専念寺)


左:専念寺の本尊・阿弥陀如来

 久留米の東部、耳納山麓に草野という古い町並みが残っている。平安時代の後期(1163年)、肥前国(ひぜんのくに)から移ってきた草野一族によって築かれた城下町だ。その後、壇ノ浦から逃れてくる平家を討伐したことで源氏の覚えが目出度くなり発展をなした。時を経て、草野鎮永が豊臣秀吉の国割りに反発したため、戦国時代の天正16年(1588)に滅亡する。
 草野の往還沿いには、草野家(ゆかり)の古刹が建っている。専念寺という。ご本尊は阿弥陀如来立像だが、土地の人は何故か「塩買いの阿弥陀さん」と呼んでいる。

大山崩れで村は孤立

 この地方を「草野村」と呼んでいた頃(南北朝〜安土桃山時代)の夏の盛りであった。相次ぐ大雨と地震で、耳納の山では土砂崩れが発生し、村は完全に孤立した。
「食い物が底をついてきた」
 村人は、専念寺の境内に集まっては、ない知恵を搾りまくっている。写真は、草野の街並み
「塩が欲しかな!こげん暑かったら、塩ば採らんと人間は死んでしまうが」
「そうたい。野菜でん何でん、塩を振っとかんとすぐに痛んでしまうし…」
 日頃は感じないことだが、人間が生きていくためには、塩分は絶対必要条件だったのだ。
 何日も何日も、村人の悩みは続いた。村はずれに住む高安夫婦も、塩不足が祟って生きるか死ぬかの境目にさしかかっていた。米櫃(こめびつ)は空っぽになるし、非常食として蓄えていた漬物や魚類は腐りかけていた。

塩を積んだお人がやってきた

 そんな折、女房のお里が首をかしげながら帰ってきた。
「どっかで見た人ばってん、思い出せん」
「どげんしたとか?そげん広か村じゃあるめえし。顔ば見て思いだせんちは」
 高安も、女房にいつもの呆けの兆候が出てきたかとうんざり顔に。
「違うとたい。大きな荷車ば牽いてお寺の中に入っていかした人がどなただったか、思いだせんとたい」
 不思議な予感を感じた高安が、お里の手を引いて専念寺に飛び込んだ。その時既に、村中の者が境内に置き去りの荷車を取り囲んでいた。
「ねえごつ(何事)な?」、高安が顔馴染みに尋ねた。
「おり(俺)もようわからんばってん…」
 その時、輪の中央にいた村長(むらおさ)が説明を始めた。
「このお方が、草野村に塩ば届けてくださったんじゃ」
「ほぉーっ!」、歓喜の声が全員から上がった。写真は、専念寺本堂

奇特なお方の正体は?

「ばってん、草野で塩ば欲しがっとるこつは、他国の人にわかるわけはなかし…」
 口々に、疑問が噴出した。
「それはですね」
 村長に代わって、塩を運んできた人が理由(わけ)を話し始めた。
「わしは、播磨(はりま)(兵庫県)の海で塩をつくっている者です。10日ほど前に旅のお坊さんがおいでなさってな」
「ふん、ふん」
「少し遠いところだが、筑後の草野村にある専念寺まで塩を届けてくれんかとおっしゃって、荷車満載分のお金を置いていかれたんじゃ」
「誰じゃ、そんな大金を払ってまでわしらを助けてくださるのは?」
 またまた、参集の皆んなが顔を見合わせた。ガヤガヤ言い合うが、そんな奇特なお人がこの世におられることが信じられない。
「それで、あの…」
 村長が、塩を買いにきた人の特徴などを訊こうとした。
「あれ!あの播磨の人は何処に?」

ありがたや、ありがたや

 村人が本堂の入り口を見て驚いた。お堂の上がり口に、無造作に草鞋が脱ぎ捨てられている。明らかに、先ほどの播磨の人の履物(はきもの)だ。しかも、本堂内には泥のついた足跡が点々と。それがご本尊の阿弥陀如来の足元まで続いていた。
「皆の衆、見てみなされ」
 村長が指差す先の如来像の足裏が、泥で汚れたままであった。
「あっ!」、その時、集まった村人がいっせいに驚きの声を上げた。それもそのはず、いつものように毅然として立っておられる阿弥陀如来のお顔が、先ほどの播磨の人にそっくりなのだ。しかも、先日まで満杯だった賽銭箱の中が空っぽになっている。
 一同、その場に座り込み、ご本尊に向かって合掌した。
「わしらの難儀をみて、仏さまがわざわざ遠い国まで塩を買出しに行ってくださったのじゃ」
 それからである。草野専念寺のご本尊のことを「塩買いの阿弥陀さま」と呼ぶようになったのは。(完)

専念寺:四条天皇の天福元年(1233)、聖光上人の弟子・持願上人の開基といわれ、草野家19代城主のとき善導寺の僧清厳が再興したもの。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代の作。国の重要文化財。
専念寺の木造阿弥陀如来立像:国指定重要文化財。鎌倉期の作といわれる。

 草野の町並みは、いつ行ってもタイムスリップを感じさせてくれる。草野には、物語の舞台となる専念寺のほかに寿本寺、本福寺といった、大そう大きなお寺も建っている。また、専念寺と(つい)の格好で須佐能袁神社が正面で町を守っている。
 街から700b南(耳納山方向)へ進むと、そこにはかつて草野一族が本拠を置いていたところが公園(発心公園)として整備されている。さらに見上げる耳納山頂が、難攻不落とうたわれた発心城址である。
 栄枯衰勢を絵に描いたような草野一族の物語を、第190話 首切り地蔵と合わせて検証していただければ幸い。
 草野地方は、すっかり冬を迎える準備が整っていた。その中で、柿畑だけは、これからが稼ぎ時とばかりに、行き交う軽トラックのエンジンにも気合が入っていた。

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