よか嫁女の条件
ふうぞうどん
福岡県筑前町(旧夜須町)
勝山集落近くの炭焼池公園
筑前町役場付近から北方を望むと、典型的な田舎の風景が広がっている。稲刈り後の田んぼの背景は、低くもなく高くもない、しかも不揃いの山並みが連なる。三箇山という。なるほど3個の山がその高さを競っているようだ。そのためか麓の集落の名も「三並」と呼ぶ。
今回は、その山の中腹にある勝山という集落にお邪魔した。このあたり、少し前までの稼業は林業や炭焼きなどに限られていて、伝説の人「ふうぞうどん」も、そんな環境から生まれた“英雄”である。
炭は焼けども、貧乏暮らし
江戸の世、三並村の三牟田に住むおじさんが、勝山の炭焼き小屋で暮らす富蔵を訪ねてきた。富蔵は怠け人間で、毎日毎日炭を焼いているだけの貧乏暮し。何を食って生きているのやら、集落の人々は不思議でしようがない。
「そげな暮しばっかりじゃと、そのうちに本当に栄養失調で死んでしまうが」
麓から登ってきた伯父さんの説教が始まった。
「ばってん、おっちゃん。おり(俺)にゃ、ここでのんびり炭ば焼いとくのが一番似合うとると」
「炭ば焼くばっかりで買うてくるるもんがおらにゃ、どうにもならんじゃろうが」
「ばってん、ときどき知らん人が来て、出来上がったもんば持っていかすばい」
「そいでおまや、炭の代金は貰よるじゃろね」
「代金ちは、どげな形ばしとるもんのこつね?美味かもんね」
「困ったもんたいね。稼ぐこつも銭のありがたさも知らんとじゃけんね」
さすがの伯父さんも、あいた口が塞がらない。
ひょっこり、都から嫁女が
「そうそう忘れるとこじゃった。今日はお前の嫁さんばつれてきたとたい」
先日村に一人の娘が迷い込んできた。伯父さんが言うには、その娘は自分の生まれは京の都のお姫さまだと。だが、身なりは粗末で、どう贔屓目(ひいきめ)に見てもお姫さまには見えない。娘は、「神さまのお告げにより、筑前の『ふうぞう』というお方と夫婦になるために遥々やってまいりました。名を福代と申します」だと。
小屋の表に待たせていた娘と顔を合わせた富蔵、想像した以上の愚美人である。が、すぐに思いなおした。「一生の内一度は嫁女を…」と常々思っていたこともあって、「これも何かの縁」と考え、その日のうちに夫婦の契りを結んでしまった。
そのうち、嫁の福世が「おまえさま」と、真剣な顔で話しかけてきた。「街に炭ば売りに参りましょう」と。
「何のために?」と訝る富蔵。「お金を稼ぐためです」、「お金を稼いでどうすると?」と返された福世は、黙って車力に炭を積み込んだ。
無造作に投げたものが…
むりやり車をひかされ、後から福世が押せば、下り坂では前に進むしかない。山を下り、田んぼ道を横切りながら石櫃(現筑前町石櫃)の街に向かった。途中大きな池にさしかかった。「あの鳥は?」、嫁の福世が池に泳ぐ鳥の名を訊いた。
「鴨じゃろもん。おまや、鴨も知らんとか」と切り替えした。
「鴨は知っていますが、食べたらうまかろうと思うただけです」だと。
大切な嫁女の要求が鴨料理にあることを知った富蔵、懐から何やら取り出して、水鳥めがけて投げつけた。だが、日頃やりつけない運動ゆえか、鴨の群れは敵にアカンベエするふりをしていっせいに飛び立った。
「お前さま、今鴨に投げつけたのは何ですか?キラリと光ったようでしたが」
「ああ、あれね。ありゃ、これたい」
富蔵が懐から取り出したのは黄金色した小判が1枚。嫁の福世がびっくりしたの何の。
銭は人によって生かされる
「お前さん、この小判をどこから?」と迫った。
「何の、こげなもん。小屋にはいくらでんあるが」と、こちらは平然としたもの。
こうなれば商売どころではない。福世は車力を180度回転させ、今度は自分が前をひいて、亭主に後を押させた。
富蔵が炭小屋の奥から運び出した箱の中からは小判がざくざく。
「これだけじゃなかつばい」と、次から次に持ち出す箱にも、こぼれるように詰め込まれた小判が…。嫁の知らせを受けて駆けつけた三牟田の伯父さんも、びっくり仰天。
「おまや、どっかの屋敷の蔵から盗んできたか?」と怒鳴り上げた。
「うんにゃばい(違います)。おり(俺)が焼いた炭はほんによう燃ゆるけん、ち言うて持っていかすどっかの知らん人が、その度に置いていかすとたい。こげなもんは食われんし、邪魔じゃけん、隅に放ったらかしにしとったと」だって。
福世の発想で富蔵は、小屋の隅に放置されていた小判を元手に商売を始めたんだと。お陰で、勝山には富蔵夫婦が住む御殿のような長者屋敷が建てられた。「ふうぞう殿屋敷」というそうな。
「人間、偉くなるためには、まずはよか嫁女ば貰うこつたい。その嫁女も、顔やかたちより福を呼ぶ面相をした女がよか」とは、三並村の人たちの話し。(完)
三並村:江戸期から明治22年までの村名。寛文初年より勝山で採れる竹を藩の旗竿に用いるようになった。また延宝年間には、六蔵という百姓がいて、開墾した芋河内開田がある。
この話し、全国的に伝えられる「炭焼き小五郎」の話が下敷きになっている。調べてみれば、北海道から九州まで、似たような話がたくさんあった。それも、主人公が金持になった後、次の代まで延々と物語が展開さ
れる「大長編物語」が多い。内容は、あまり教養のない男が、賢明な妻を得て出世する話なのだが、その土地土地によって特徴を持たせている。写真:勝山集落奥の山林
ここ筑前町では、背景の三箇山の景色と環境が見せどころ。勝山集落奥の山中を見てまわった。ほとんどが崖っぷちの状態に、槙や杉がそそり立っている。孟宗竹もこの山では幅を利かせる。そんな厳しい傾斜にも、2〜300坪くらいの平地はあった。ここがふうぞうどんの「長者屋敷」跡なのかと、一人合点しながら山を下りた。
|