伝説紀行 武蔵寺由来 筑紫野市


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作:古賀 勝

第312話 2007年09月02日版
再編:2018.05.06

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

椿のご本尊

武蔵寺の由来

筑紫野市


武蔵寺本堂(2013 04 26)

 宝満川の最北端、山口川の北方に横たわる天拝山(257.6b)の麓には、九州最古の寺が君臨している。寺の名前を椿花山武蔵寺(ちんかざんぶぞうじ)と称す。ご本尊が椿の木で彫られた薬師如来像であることから「椿花山」、寺の所在地が「武蔵(むさし)」だから、「武蔵寺(ぶぞうじ)」になったとか。
 天台宗を創始した最澄や真言宗の空海も、唐からの帰り道にこの寺に立ち寄ったと聞いた。それほどまでに由緒ある寺を、いったい誰がどのような目的で創建したのか、興味は尽きない。

子欲しさに祈る長者

 7世紀後半の飛鳥時代。武蔵(むさし)の地(現在の筑紫野市)に藤原登羅麻呂(ふじわらのとらまろ)という豪族が住んでいた。里人は崇敬の念をこめて「虎麻呂長者(とらまろちょうじゃ)」と呼んでいた。年齢は30歳を超えたばかりなのだが、父親譲りの豪腕と信心深さが庶民の心を掴んで、近郷一帯に絶大な力を誇示していた。


武蔵寺境内の紫藤の滝

 登羅麻呂の悩みは、跡継ぎに恵まれないことである。今日も館内に落ちる紫藤の滝に打たれながら、子宝の到来を祈り続けた。長い夏を終えて、朝晩が肌寒く感じる秋の初めのこと。
「長者さま、お願いがごぜえます」、村の世話役をしているトモイチであった。彼が言うには、このところ、夜中過ぎになると、長の峰の中腹に青白い炎が立ち昇るという。それも毎晩のことで、村人は気持ちが悪くて眠れず困っているとのこと。

豪族:地方の土着し勢力を持つ一族。

夢枕に不思議な老人が

 登羅麻呂は、兵数十人を引き連れて、館の西側に立ち塞がる長の峰(天拝山のこと)に向かった。あたりはすっかり宵闇に包まれ、鈴虫やコウロギが草陰で鳴き声を競っている。
「ご主人さま、あれは…」
 家来が指差す方向に、青い炎が立ち昇り、その光に照らされて草むらで(うごめ)くものが。
「怪しい奴!」

 登羅麻呂は、自慢の弓を取り出し、目いっぱいに弦を絞った。
「命中でござる」との家来の叫びに合わせて、四方に大きく枝を張る物体が、奇妙な叫び声とともに倒れこんだ。その瞬間、登羅麻呂の胸が締め付けられ、気を失ってしまった。
「起きろ、登羅麻呂!」写真は、武蔵寺境内の心字池
 耳元で呼ぶ声に顔を向けると、白髪の老人が立っている。
「そなたは、恐れ多くも仏が宿るご霊木に矢を射た大罪人である」
「・・・ですが、我が領民の訴えですと、眠れぬ夜が続いておりまするゆえ」
「口答えをするでない。ましてやそなたは、子が欲しいと神に祈っている身ではないか。神妙に致せ」
 眼前の不思議な老人が、真剣に怒っている。
「それならば、いかがいたせば、お許しをいただけましょうや?」
「南方の小川(山口川)を遡り、山裾に生えし椿の木で仏の像を刻め」
「あなたさまは?」
「仏の召使いである。さらばじゃ」、言うなり、老人の姿は消えた。

川を登り、椿の大木に

「旦那さま、旦那さま。朝でございます」
 妻の呼ぶ声で目を覚ました登羅麻呂が、部屋中を見渡した。トモイチの「怪火」の知らせと、家来を引き連れての長の峰行きまでは、妻も認める現実である。怪しい火と蠢く物体。そこに向けて矢を放ったあたりから、夢か(うつつ)か定かでなくなった。
 登羅麻呂は、不思議な老人のことを思い出し、急ぎ霊木を探しに出かけた。供は、力持ちの家人2人とトモイチの3人だけである。雑木が生い茂る山を越えると、水草に覆われた川に出た。現在の山口川のこと。
「どこにご霊木がおわすやら?」
 登羅麻呂と家来がキョロキョロしているその時、山中を駆け回っていたトモイチが、息せき切って駆けてきた。


天拝山頂上

「長者さま、もしかして…」
 トモイチが案内した先に、椿の大木が倒れていた。
「あっ!」、登羅麻呂の口から呻き声が。大木の幹に矢が突き刺さっている。それはまさしく、昨夜自らが放った矢であった。仏の世界の不思議さに、例えようのない衝撃を覚えた。

霊木で薬師如来を

 登羅麻呂は、倒れた椿の木を押しいただき、出入りの仏師に命じて、薬師如来と十二神将を彫らせた。それから間もなくして、妻ヒサノが元気な女の子を出産した。登羅麻呂はその子に「瑠璃」と名づけた。
「あれもこれも、お薬師さまのお陰」と感謝する登羅麻呂は、館の中にお堂を建てて、彫りあがった薬師如来像を祀った。それが、現在武蔵寺本堂に祀られているご本尊だそうな。
 登羅麻呂の喜びも束の間、瑠璃姫が筑紫一帯を襲った疫病に倒れた。幾日も続く高熱で、姫の体は日一日と衰えていく。


二日市温泉街

「如来さま、何とぞ娘の命をお救いあれ」
 自ら祀った薬師如来にすがる登羅麻呂の夢枕に、いつぞやの不思議な老人が立った。
「真東に位置する次田(すきた)の沼に出向くがよい。噴出する湯を姫の体にかけよ」
 もう少し詳しく尋ねようとする間もなく、またも老人の姿は消えた。急ぎ沼地に出向くと、案の定葦の葉の隙間から温かい水が噴出していた。瑠璃姫の熱は、直後から潮が引くように下がって、間もなく元気を取り戻した。次田沼に沸いた湯こそ、「博多の奥座敷」として今もなお人気の高い二日市温泉の始まりだと。
 武蔵の里人は、その後薬師如来や次田の温泉とともに、平穏な毎日を送ることができたという。(完)

 本編を書き出して、筑後川流域の奥の深さに改めて驚いた。142`の本流には、四方八方の山々から大小の河川が流れ込んでくる。中流域の久留米市あたりを河口とする宝満川もその一つ。筑前と筑豊を隔てる三郡山(935b)と牛頸山(448b)からの山口川が合流している。
その山口川近辺が今回の舞台である。登羅麻呂によって仏が宿る椿の木が倒された長の峰は、菅原道真が無実を訴えて天を仰いだという天拝山のこと。麓の紫藤の滝は、道真が天拝山に登る際、身を清めるために打たれたところだと伝えられている。また、登羅麻呂の館が現在の武蔵寺ということか。そのほか武蔵寺には、大宰府や菅公にまつわる“遺跡”が数多く保存されている。
 未だに発掘が続く一帯だから、武蔵寺と山口地区が日本史の表舞台にたつ日もそう遠くないかもしれないな。

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