カッパに憑かれて
久留米市田主丸町
古川に架かる柳瀬橋
朝倉の三連水車が回りだし、あちこちで田植えが始まると、川淵のカッパたちが騒ぎ出す。やれ子供の腸を抜いただの、畑のキュウリを盗んだだの、カッパは常に悪役にまわされる。「カッパの本場」を自認する田主丸では尚更のこと。筑後川支流の古川が、やがて本流に飲み込まれるあたりでは、今日もカッパに関わるおかしな「事件」が勃発した。江戸時代のお話である。
髷結ってはっけよい
太郎作が漁を終えて帰ってくるなり、女房のお浜に、相撲取りのような大銀杏を結えと命令した。うろうろするお浜に、漁仲間の政吉が耳打ちした。
「あんた、横綱の太刀ノ山より立派な髷ば結うもんね」
お浜は、元結を締めると、掌にたっぷり唾をつけて髪に撫で付けた。髷が仕上がると太郎作は、筑後川の渡し場に下りて、誰かに手を振っている。
「さあ、いくぞ!」
六尺兵児一貫になった太郎作は、蹲踞の構えから立ち上がり、見えない相手に立ち向かった。
「もう一本、相撲とるちか。弱かくせにしよんなか(仕方ない)奴たいね。ありゃ、おまいどん(お前たち)何匹で来るとか。ヒーフーミー、うん、10匹か、うんにゃ20匹はおるね。せからしか、何百匹でんよかけんかかってこい」
太郎作は、汗びっしょりになりながら草むら中を右へ左へと動き回る。動作はまるで、相手を投げ飛ばしているよう。一仕事終えると、太郎作そのまま倒れ込んでしまった。
ちぎっては投げ・・・
気を失った太郎作は、それから三日三晩高熱にうなされた。やっと目を開けた太郎作、枕元にいる政吉を見て怪訝そう。
「おまや(お前は)、だりと(誰と)相撲ばとよったつか?」
政吉に問われて、太郎作。
古川の澱み
「ああ、100匹もんカッパどんとたい。皆んな、ちぎっては投げちぎっては投げたい」
「やっぱし、ね」
「やっぱしちゃ、どげなこつか、政吉?」
「あん日のおまいのタブには、雑魚ばっかり山んごつ入ったたい。カッパは、自分たちの餌になる小魚ばとられた仕返しばするちいうて、おまいの体ん中にとり憑いてしもうたつたい」
そこで、お浜。
「ばってんうちん人は、村の中でん一番相撲が弱かち評判でっしょが。そいが、相撲自慢のカッパば100匹も、皆んな投げ飛ばしたちはどうしても腑に落ちまっせん」
「あれは、お浜さんが太郎作の髷ば結うとき、鬢付け油の代わりに唾ばペッツペッツち吐いてつけたろうが。カッパは、何ば好かんちいうて、人間が吐く唾ぐらい好かんもんはなかつたい。唾の臭いば嗅いで、自分からずっこけたちゅうわけさい。お陰でおまいの亭主はカッパに殺されんですんだちゅうわけ」
未練がましいカッパども
そこで、寝床から起き上がった太郎作。
「そんならさい。あげん負けず嫌いのカッパが、おりのごたる弱かもんに投げ飛ばされて、黙って引っ込んどるわけがなかろうもん」
政吉が人差し指を自分の口に当てた。陽はとっくに落ちて、虫の音だけが聞こえる真夜中である。
「床ん下から、何か聞こえんか?。キーキーちいう変な声が…」
言われてみれば、太郎作の耳の底に、かすかに異音が響いてくる。「もう1回、もう1回…」と叫んでいるようだ。
「もうよか。カッパは好かん。こりからは、カッパの大好きな雑魚は獲らんごつするけん。もうこらえてくれんね」
大男の弱虫太郎作が、とうとう大声で泣き出した。
子供に限らず大人からも、「カッパは本当におると?」と質問される。「さあね」なんて、いい加減な受け答えでは、カッパ博士を名乗る吾輩を許してもらえない。そんな時には、「田主丸に行ってみらんね」と勧めることにしている。
田主丸の二八カッパ
ことそれほどまでに、田主丸にはカッパがうようよ。道端にも、橋の欄干にも、はたまたJRの駅舎にもと。でも、巨瀬川や古川の水面から顔を出すカッパは、それら人の手が加わった造形物とは本質的に違う。青黒く澱んだ水から例のお皿を覗かせ、次に独特のカラス天狗風嘴を空に向ける。その瞬間、周囲になんともいえない異臭が漂う。そう、キュウリやトマトが腐った臭いだ。
さすがに、僕には相撲をとろうなんて言わない。こちらがいい加減年寄りだと同情してのことなのか。「体ば鍛えておくけんね」と話しかけると、カッパは水掻きのある手を振って、水中深くに潜っていった。
「おっちゃん、今だりと話ばしょったと?」。学校帰りの子供が、僕の視線の先を眺めながら話しかけた。「独り言たい」と答えて、さっさと古川の欄干を跡にした。「話の相手はカッパたい」なんて言おうものなら、あの子供たち、今にも素っ裸になって飛び込みかねなかったからだ。
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