阿蘇の「天女の羽衣」
熊本県阿蘇市
(一の宮)
羽衣伝説の田鶴原神社
小国から外輪山の大観峰を越えて阿蘇盆地に下りた。田植えを終えたばかりの田んぼに映る寝仏(阿蘇五嶽)にしばし魅入る。不思議にも、濁りかけた我が心が洗われる。阿蘇は、いつ来ても「神がかり」を感じる場所なのである。
肥後一の宮の阿蘇神社に挨拶をすませて、近くをぶらぶら。住宅の合間にひっそり佇むお宮さんに立ち寄る。鳥居の額には「田鶴原神社」とある。ご祭神は「新彦神」とのこと。由緒板には、「阿蘇の農耕祭事」に関係ある宮とあり、「大むかしこの一帯は、天然の泉がこんこんと湧き出ていて、湖をなしていた。この湖には、『天女の羽衣』の伝説が残る」のだとも。
天女の羽衣といえば、三保の松原(旧静岡県清水市)のことだと思い込んでいた。調べてみると、静岡はもちろん、滋賀の余呉湖や沖縄の宜野湾まで全国いたるところに伝説が生きているんだって。
阿蘇神社の楼門(熊本地震以前)
阿蘇で語り継がれる天女の羽衣とくれば、これまた「神がかり」の物語なんだろうか。
水浴びをする娘たち
時は、有史以前の大むかし。ところは、阿蘇外輪山に囲まれた宮地のあたりとしよう。
トモイチは、主人が馬を走らせるとき、いつも後から追いかける。それが彼の仕事なのである。今日の阿蘇は、天気もよくて駆ける馬も気持ちよさそう。盆地を取り巻く外輪山の草も青々と茂り、大小の鳥たちが自由自在に飛びまわっている。
「疲れたぞ、トモイチ。あの湖でひと休みしよう」
主人は、従者の返事を待たずに白馬を降り、背丈ほどに伸びた葦原に分け入った。見失ったら大変と、手綱を結ぶ手ももどかしく主人を追いかけた。危うく主人の背中にぶち当たりそうになって立ち止まった。主人の目は、湖のほとりで水浴びをしている3人の娘に釘付けであった。
彼女らは、衣を脱ぎ捨て素裸のままで、「キャーキャー」無邪気に騒いでいる。まるで天使が地上に降り立ったようだ。肌は抜けるように白く、形のよい丸い乳房が揺れるたびに、主人の喉がピクついた。
「トモイチ!」、手招きされて近寄ると、「あの衣をどこかに隠せ」と命令された。トモイチにとって、主人の命令は絶対である。葦の葉擦れを気にしながら、岸辺の小松にかけてある衣の1枚を素早く手繰ると、また主人の後に隠れた。
衣がなくては天に帰れない
しばらくたって、娘たちが岸辺に上がってきた。それぞれ小松にかけた衣を身につけた。
「私のが、・・・ない」
一人の娘が、目をキョロキョロさせている。
「風で飛ばされたんじゃないの?早く捜しましょうよ」
3人が手分けして駆け回るが見つからない。そのうちに、年長風の娘が、「もう時間がないから先に行くわね」と、衣をつけたもう一人を促して、さっさと消えてしまった。
「そんなあ、私どうしたらいいの。このままじゃ天に戻れない」
娘は、その場にしゃがみこんで泣きだした。
「その衣を館に持ち帰って、馬小屋の奥の棚にしまっておけ」
命令されたトモイチは、従う振りをして、葦の陰から主人の行動を見守った。
「何かお探しのようだが?」
葦原から姿を現した毛むじゃら青年に驚いた娘は、ますます身を丸めて震えだした。
「恐がることはない、我れはこの近くの浜館に住むもので、そなたに危害を加えたりはしない」と言いつつも、主人の目じりは雪の肌と整った美しい顔に下がりっぱなしであった。
帰れない娘に「妻になれ」と
「あのう、もしかして・・・」
恥じらいでまともに相手を見れない娘は、蚊の鳴くような声で青年に声をかけた。
「もしかして、私の衣をご存知では?」
主人は、この機を逃さじと娘に近づいた。
「そんなに大事なものか?あの薄衣が」
「はい、あの衣がなければ、私は永遠に国に帰れないのです」
その時、主人の口元にかすかな笑みが浮かんだ。阿蘇盆地の風景
「我れはそなたの美貌の虜になってしもうた。頼むゆえ、我れの妻になってくれ」
主人は、娘の手を握り締めて求愛した。
「それはなりませぬ。私の国では、他国の者との結婚は許されません。お願いですから、衣を・・・」
「そなたが、我れと結婚してくれるまで、衣は返さぬ」
返せ、返さぬの押し問答を陰で見ているトモイチは、目にいっぱいの涙をためて哀願する娘に同情した。それからというもの、後ろめたさが彼の心を曇らせたままであった。
12人の子を産んでも衰えず
時は流れて40年。主人は60歳を迎えて、最近老いも進んでいる。主人に仕えるトモイチとて同じこと。若い頃のように、主人の馬を追いかけることなど厳しくなった。そして、やむなく主人と結婚することになったあの時の他国の娘は・・・。今では11人もの子供の母親になっている。どうしたことか、彼女の色白の肌と美貌はあの時のままである。次々に子供を産んでも、まったく疲れを知らぬげに、家事と主人の世話に忙しそう。
そして12人目の子が誕生して間もなくのことだった。孫のような赤子を抱いた主人が、目じりを下げて子守唄を口ずさんでいる。もう衣を返せとか、国に帰りたいなど言うこともなくなり、主人の愛妻に対する警戒心も消えていた。そんな油断が、主人にとって取り返しのつかないことに。
「おっかちゃんの、お着物は、・・・ジジの仕事場の、棚にあり・・・」
この館でジジと言えば、馬番のトモイチのことである。節は相変わらずだが、唄の内容を初めて聞いいた妻は、気付かれぬように母屋を抜け出して、裏手の馬小屋に向かった。
「母じゃはどこだ?」
今度は主人が慌てた。結婚以来、四六時中目を離すことのなかった妻が、初めて視界から消えたのだ。
「どこじゃ、どこじゃ。母じゃはどこじゃ」
天女が舞う
幼子を抱いたまま、夢遊病者のように裏庭を徘徊する主人が、天を見上げて膝から崩れ落ちた。初めて湖で会った時のままの美貌を維持する妻が、あの時と同じく一糸まとわぬ姿に薄衣をつけて宙に浮いている。
「私は、天から降りてきたものです。だから天に戻らなければなりません。この羽衣を着れば、両親が待つ天に戻れるのです」
「頼むから、いつまでも我れの妻であってくれ!この子等の母であってくれ」
湖で求愛した時のようにすがる主人の姿は、年齢を重ねてトモイチには見苦しくさえ感じるのであった。
「そんなに私が恋しいのなら、あなたの方から、天まで会いに来てくだされ」
妻は、見上げる主人やトモイチらの耳に降り注ぐ雅楽の調にのって、大空いっぱいに天女の舞を披露した。
「それでは皆さま、さようなら」を最後に、天女の姿は遥か天空の雲に吸い込まれていった。主人の後ろに控えるトモイチは、長い間の胸のつかえが取れた気分で、いつまでも残る天女の軌跡を目で追っていた。(完)
我が筑紫次郎のふるさとの奥の深さに、今更ながら感じ入る。筑後川を遡って、行きつく先は阿蘇の外輪山だ。そこに降った雨がいったん地中に潜り、再び顔を出して「大河の一滴」となったところから、次郎のドラマは幕を切って落とす。
開幕前の緞帳の向こうで、筋書きをしたため、舞台を整える者がいる。幕が開き、主人公である大河の流れが大見栄を切る。すると、引き立て役の人間たちが川辺で踊りだす。壮大なドラマを演出する幕の向こうの巨人こそ、阿蘇の神であるような気がしてならない。
阿蘇を切り拓いた神さまがいれば、その孫に当たる神は、天女との間にできた子供を子孫として残した。そんな風に解説したくなるのが、今回の「天女の羽衣」であろう。そう、物語の進行を努めたトモイチの“主人”こそ、阿蘇の開祖である健磐龍命の孫にあたる新彦命(阿蘇七ノ宮)だって。そこでやっと神代の世界における開拓者と天女の関係がはっきり見えてくるというわけだ。天女がこの世に残した12人の子供の子孫が、今なお阿蘇神社近くに君臨していても、ちっとも不思議ではない。
「主人」が天女に出会ったとされる田鶴原は、その頃豊富な泉が湧き出る美しい湖であったそうな。そこに天から美しい鶴が降りてきて、背中に健磐龍命を乗せて舞い上がったところから「田鶴原」の名前が生まれたとのこと。開祖とその孫、それに雅な姿の鶴と、天空を舞う天女が重なり合い絡み合って、古のドラマは盛り上っていく。といった具合に空想に浸れるのも、阿蘇を源にして、140キロの流域をふるさとに持つ筑紫次郎の特権かもしれないな。
このほど(2013年6月22日)、富士山と三保ノ松原がセットで、世界文化遺産に登録されたのを機に富士山一周と三保ノ松原に出かけた。
三保ノ松原は、子供の頃から聞かされてきた「天の羽衣」伝説の本家筋である。インターネットで調べると、日本全国どこにでも羽衣伝説は残っている。七夕伝説と合わせて、日本人に馴染みやすい題材なのだろう。写真で見るのと、この目で確かめるのとは相当違っていた。唐津の松原に匹敵する。中でも、樹齢数百年の羽衣ノ松は圧巻だ。
三保ノ松原の「羽衣ノ松」
でも、阿蘇の「羽衣」だって負けてはいない。向うが富士をバックにするなら、こちらは世界一のカルデラ・外輪山をバックにした田園風景とくる。張り合っていても仕方ない。
(2016年11月10日)
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