川の水を取り替えて〜
カッパの嘆き
八女市(旧上陽町)
北河内公園下の星野川の淵
久方ぶりに、定番のカッパにお出まし願おう。今回の舞台は、星野川の中流域。険しい山の頂から一気に駆け下りてきた水流は、ところどころの淵でひと休みする。そこがカッパ諸君の棲家なのだ。そろそろ田起こしも始まるこの時期には、“彼ら”も人里近くに現れる。
カッパは人間にとって敵ではない。むしろ「よか(良い)妖怪」なのだ。しかし、彼らを舐めてかかると、ひどい目に遭うことも事実。だから、先祖は子供や孫に対して、上手な付き合い方を伝授してきた。「伝説紀行」のあちこちでも、そのことは十分にお話ししてきたつもりである。
ところで、最近星野川ではカッパの噂を聞かなくなった。彼らにとって、ここも居辛くなったのではと、危惧している。
淵から気味の悪い声が
昭和初期のことだった。星野川岸に住む太郎は、今朝も祖父ちゃんといっしょに、仕掛けていた筌を引き上げていた。中では、鰻や鮒が勢いよく跳ねている。
星野川沿いのさくら
「おい、太郎。そっちの深みにはまったらカッパにやらるるぞ」
祖父ちゃんが、太郎に注意を促した。
「ばってん、カッパはおらんち、祖父ちゃんが言うたじゃなかね」
「今はおらんばってん…」
わけのわからないことを言う祖父ちゃんに、太郎は消化不良のまま獲物を担いで土堤を上りかけた。
「うぉーん、うぉーん。けえせ、きゃいろ」
祖父ちゃんが危ないと注意した淵のほうから、気味の悪い声が聞こえてきた。祖父ちゃんにはその声が聞こえないのか、さっさと家の裏口に入っていった。
小便で川の水が臭うなった
その晩のこと。太郎は寝つきが悪かった。あのどす黒い淵から聞こえた声が、耳底から離れないのだ。
「確かめてこよう」、太郎は、こっそり起きだして、寝巻きのままで昼間の川岸にやってきた。大きな石に腰をおろしていると、濃い緑色をした自分と同じ背格好の生き物が水中から姿を見せた。そこで、カッパとの会話が始まった。
「最近カッパは、星野川におらんち聞いとったばってん?」
「そうたい、こん川の水が臭うて…。今では下流の矢部川にお世話になっとる」
「昼間言うとった、『けえせ』とか『きゃいろ』ちはどげなこつな?」
「『けえせ』ちは、元のきれいか川に返せちいう意味たい。『きゃいろ』は、こん汚か川の水ば、きれいか水と取り替えろちいうこつたい」
「こん川の水は、おまい(お前)が言うごつ汚うはなかばい」
それまで砂浜に寝転んでいたカッパが、起き上がった。
「 おまいどん(お前たち)がフルチン(素っ裸)で泳ぎょる時、小便しとうなったらどげんするか?」
言われて太郎は考え込んだ。わざわざ、そのために泳ぎを中断することはない。水中で勝手に発射している。
「そんために、淵の水がどげん臭うなったか」
なるほど、そういうわけか。
100年たったらまた来るたい
「ばってん、カッパがおらんでん、おっどん(俺たち)なそげん困らんとぞ」
「馬鹿んごたるこつば言うな。田んぼの水ば守っとるのは、いったい誰ち思うとるとか。みんな、カッパが協力しとるとぞ。わかったか、小僧!」
太郎は、祖父ちゃんが言っていた「カッパはよか妖怪」の意味が、少しわかってきたような気がしだした。
「川で小便したり、ゴミとか汚か水ば垂れ流しするとばやめたら、あと100年もしてまた星野川に戻ってきてやるけん」
カッパは、尻についた埃を手で払うと、後ろも振り向かずにどす黒い淵に飛び込んだ。後には大きな水の輪を幾重にも残して。
「また、太郎はおかしか夢ばみたばいね。カッパと話しばしたてんなんてん言うて」
翌朝、太郎の話を聞いた祖父ちゃんは、大きな口をあけて笑い飛ばした。
「ばってん、祖父ちゃん。ほんなこて(本当に)むかしはこん星野川にもカッパは棲んどったつじゃろ?カッパの言うことも信用できるばい」
元禄の鉱山のつけ
祖父ちゃんは、少しばかり真剣な顔になって、太郎に話しかけた。
「祖父ちゃんが生まれるずっとずっと前の元禄の時代。そうそう、大石内蔵助ちいうお人が、仲間と一緒に殿さまの仇ばとりなさった頃たい。こん、北河内村の久木原には銅山があったげな。800人もの鉱夫が働いておったが、そん時洗練所から汚か水が流れ出して、魚もカッパも、みんなおらんごつなったげな」
写真は、むかし銅山があった久木原地区の星野川
「100年たったら、また戻ってくる」と言ったあの夜のカッパの言い分が真実味を帯びてきた。だけど、今では小魚も棲んでいるというのに、それを食べるカッパだけがどうして棲まないのか。
「それはさい。カッパが人間ば信用しとらんけんたい。100年も様子をみとけば、ほんなこつ(本当に)水がきれいになったどうかわかるじゃろけんね」
「もうこのくらいにしてくれ」と、立ち上がった祖父ちゃんは、「どっこいしょ」と掛け声を発して鍬を担いで段々畑を登っていった。(完)
太郎が言うように、星野川にはきれいな水が流れている。掌で掬って飲みたいほどだ。最近では源氏ホタルも復活したそうな。でも、祖父ちゃんの言う「カッパにも信用されなくなったという人間論」も否定はできない。銅山で汚した水の信用を回復するのに、元禄から昭和までかかったのなら、化学汚染が元に戻るには1000年くらいはかかるかもしれない。音を立てて流れる星野川が、いつまでも「清流であって欲しい」と願うのは、何も地元の人ばかりではなさそう。
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