伝説紀行 カッパの嘆き 八女市(旧上陽町)


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作:古賀 勝

第301話 2007年05月13日版

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

川の水を取り替えて〜

カッパの嘆き

八女市(旧上陽町)


北河内公園下の星野川の淵

 久方ぶりに、定番のカッパにお出まし願おう。今回の舞台は、星野川の中流域。険しい山の(いただき)から一気に駆け下りてきた水流は、ところどころの淵でひと休みする。そこがカッパ諸君の棲家(すみか)なのだ。そろそろ田起こしも始まるこの時期には、“彼ら”も人里近くに現れる。
 カッパは人間にとって敵ではない。むしろ「よか(良い)妖怪」なのだ。しかし、彼らを舐めてかかると、ひどい目に遭うことも事実。だから、先祖は子供や孫に対して、上手な付き合い方を伝授してきた。「伝説紀行」のあちこちでも、そのことは十分にお話ししてきたつもりである。
 ところで、最近星野川ではカッパの噂を聞かなくなった。彼らにとって、ここも居辛くなったのではと、危惧している。

淵から気味の悪い声が

 昭和初期のことだった。星野川岸に住む太郎は、今朝も祖父ちゃんといっしょに、仕掛けていた(うけ)を引き上げていた。中では、(うなぎ)(ふな)が勢いよく跳ねている。


星野川沿いのさくら

「おい、太郎。そっちの深みにはまったらカッパにやらるるぞ」
 祖父ちゃんが、太郎に注意を促した。
「ばってん、カッパはおらんち、祖父ちゃんが言うたじゃなかね」
「今はおらんばってん…」
 わけのわからないことを言う祖父ちゃんに、太郎は消化不良のまま獲物を担いで土堤を上りかけた。
「うぉーん、うぉーん。けえせ、きゃいろ」
 祖父ちゃんが危ないと注意した淵のほうから、気味の悪い声が聞こえてきた。祖父ちゃんにはその声が聞こえないのか、さっさと家の裏口に入っていった。

小便で川の水が臭うなった

 その晩のこと。太郎は寝つきが悪かった。あのどす黒い淵から聞こえた声が、耳底から離れないのだ。
「確かめてこよう」、太郎は、こっそり起きだして、寝巻きのままで昼間の川岸にやってきた。大きな石に腰をおろしていると、濃い緑色をした自分と同じ背格好の生き物が水中から姿を見せた。そこで、カッパとの会話が始まった。
「最近カッパは、星野川におらんち聞いとったばってん?」
「そうたい、こん川の水が臭うて…。今では下流の矢部川にお世話になっとる」
「昼間言うとった、『けえせ』とか『きゃいろ』ちはどげなこつな?」
「『けえせ』ちは、元のきれいか川に返せちいう意味たい。『きゃいろ』は、こん汚か川の水ば、きれいか水と取り替えろちいうこつたい」
「こん川の水は、おまい(お前)が言うごつ汚うはなかばい」
 それまで砂浜に寝転んでいたカッパが、起き上がった。
「 おまいどん(お前たち)がフルチン(素っ裸)で泳ぎょる時、小便しとうなったらどげんするか?」
 言われて太郎は考え込んだ。わざわざ、そのために泳ぎを中断することはない。水中で勝手に発射している。
「そんために、淵の水がどげん臭うなったか」
 なるほど、そういうわけか。

100年たったらまた来るたい

「ばってん、カッパがおらんでん、おっどん(俺たち)なそげん困らんとぞ」
「馬鹿んごたるこつば言うな。田んぼの水ば守っとるのは、いったい誰ち思うとるとか。みんな、カッパが協力しとるとぞ。わかったか、小僧!」
 太郎は、祖父ちゃんが言っていた「カッパはよか妖怪」の意味が、少しわかってきたような気がしだした。
「川で小便したり、ゴミとか汚か水ば垂れ流しするとばやめたら、あと100年もしてまた星野川に戻ってきてやるけん」
 カッパは、尻についた埃を手で払うと、後ろも振り向かずにどす黒い淵に飛び込んだ。後には大きな水の輪を幾重にも残して。
「また、太郎はおかしか夢ばみたばいね。カッパと話しばしたてんなんてん言うて」
 翌朝、太郎の話を聞いた祖父ちゃんは、大きな口をあけて笑い飛ばした。
「ばってん、祖父ちゃん。ほんなこて(本当に)むかしはこん星野川にもカッパは棲んどったつじゃろ?カッパの言うことも信用できるばい」

元禄の鉱山のつけ

 祖父ちゃんは、少しばかり真剣な顔になって、太郎に話しかけた。
「祖父ちゃんが生まれるずっとずっと前の元禄の時代。そうそう、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ちいうお人が、仲間と一緒に殿さまの仇ばとりなさった頃たい。こん、北河内村の久木原には銅山があったげな。800人もの鉱夫が働いておったが、そん時洗練所から汚か水が流れ出して、魚もカッパも、みんなおらんごつなったげな」


写真は、むかし銅山があった久木原地区の星野川

「100年たったら、また戻ってくる」と言ったあの夜のカッパの言い分が真実味を帯びてきた。だけど、今では小魚も棲んでいるというのに、それを食べるカッパだけがどうして棲まないのか。
「それはさい。カッパが人間ば信用しとらんけんたい。100年も様子をみとけば、ほんなこつ(本当に)水がきれいになったどうかわかるじゃろけんね」
「もうこのくらいにしてくれ」と、立ち上がった祖父ちゃんは、「どっこいしょ」と掛け声を発して鍬を担いで段々畑を登っていった。(完)

 太郎が言うように、星野川にはきれいな水が流れている。掌で掬って飲みたいほどだ。最近では源氏ホタルも復活したそうな。でも、祖父ちゃんの言う「カッパにも信用されなくなったという人間論」も否定はできない。銅山で汚した水の信用を回復するのに、元禄から昭和までかかったのなら、化学汚染が元に戻るには1000年くらいはかかるかもしれない。音を立てて流れる星野川が、いつまでも「清流であって欲しい」と願うのは、何も地元の人ばかりではなさそう。

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