伝説紀行  黒谷のお薬師さま  福岡県宝珠山村  古賀 勝作


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作:古賀 勝

第294話 2007年03月25日版

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             【禁無断転載】
        

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

マンマンシャンかるい

黒谷のお薬師さま

福岡県朝倉郡東峰村(小石原)


黒谷地区の集落

 福岡県東峰村は、平成の大合併で旧宝珠山と旧小石原がいっしょになった行政区である。二つの村は南北に伸びる山岳で遮断されていて、村民といえども簡単には行き来ができない。小石原の人が宝珠山に向かうには、10`もの山道を村の南端まで下りてきて、更に迂回する。それでも、大日ヶ岳(829b)を越える険しい山道ならあるにはある。
 その山道の途中、谷間を走る国道211号から1キロばかり入った黒谷川沿いに、数軒が寄り添うようにして暮らす民家を見つけた。「黒谷地区」である。国道や通信手段が未熟だった時代、村の人たちはどのようにして、街や隣村と交流していたのだろうか。そんなことを考えながら、お薬師さまを祀るお堂の前で立ち止まった。

旅の男が行倒れ

 時は江戸時代中期、天保年間のこと。夜明(大分県日田市)方面から大肥川に沿って旅姿の中年男が上ってきた。男は、誰かに追われているようで、目をキョロキョロさせている。背中には、大事そうに大きな風呂敷包みを担っていた。
 行き交う人は山伏ばかり。その誰もが男の存在など無視して通り過ぎた。そのうちに、慣れない山道と空腹から、男は川岸に倒れこんだ。
「可哀そうにな…」
 川底から這い上がってきた老婆が声をかけた。「おかまい下さるな」と、男が老婆の親切をはねつけようとした。
「馬鹿を言いなさんな。このままだと、野良犬か(けだもの)に食いちぎられてしまうわ」
 老婆は、脇道を入ってしばらく行ったところの炭焼き小屋に男を連れて行った。

男は摂津の侍だった

「誰かに追われているようじゃが、ここなら誰も来やせん。遠慮は無用だ。…まずは腹ごしらえじゃ」
 老婆は独り言を呟きながら、懐の握り飯を差し出した。老婆の親切にすっかりほだされた男は、身の上話を始めた。
 男の名前は木下鶴太郎、摂津国(せっつのくに)の武士だと言った。国では、10年間も続いた飢饉で民百姓が疲弊しきっている。大坂や京都では百姓による豪商・豪農への急襲(打ち壊し)が激しさを増した。城の重役らは、百姓の蜂起を(そそのか)した藩士の割り出しにかかった。その中に木下の名前が上がった。
 深夜、年老いた母が息子鶴太郎に告げた。
「我が木下家を後世まで繋ぐために、そなたには生き延びてもらわなければならぬ。私が嫁に来るとき持ってきたこれなる家宝を持参して、西方へ逃げよ。風呂敷の結び目は必ず後に向けて背負わなければならぬ。よいな」
 母は、念を押すようにして、大風呂敷の結び目を外側にして背負わせた。

親切な老婆は…

「どこをどう歩いたのかわからないまま、今日にいたった」
 長い打ち明け話が終ると鶴太郎は、横になって夢の中に。
「可哀そうに、お疲れじゃろね」
 老婆は、同情するふりをしながら、口許が自然と緩んだ。
「苦しい」、鶴太郎が体の不自由を気にして目を覚ました。両手両足をがんじがらめに縛られている。あたりを見回すと、母から預った大切な家宝が消えていた。
 老婆は、盗んだ風呂敷包みを背負って小石原の松尾城を目指していた。大坂での打ち壊しの犯人を通報して褒美を貰おうという算段だ。支流の黒谷川が大肥川と合流するところで、谷川を飛び越えようとした。写真:大肥川と宝珠山川が合流する行司付近
 鶴太郎は縛られている縄を解き、逃げた老婆の後を追った。山道を下っていく途中、月明かりで、倒木に引っかかっている老婆を見つけた。既に息絶えている。老婆の背中には、風呂敷包みが括られたままだった。

仏さんは背中合わせに背負うもの

 翌朝、小屋に戻った鶴太郎が、気になる風呂敷の結び目を解いた。中からは、柔和な表情の薬師如来さまが現れた。
 そこへ小屋の持ち主である(きこり)の爺さんが顔をみせた。
「あの婆さんのことを、このへんでは山姥(やまんば)と言っておる。旅人の持ち物を盗んだり、谷底に蹴落としたり、悪いことばかりする嫌われもんじゃ。お侍さんも、やられなさったか。気の毒に…」
「して、山の中を知り尽くしているはずの婆さんが、どうして、あんなちっぽけな谷川にはまり込んだのかな?」
 鶴太郎は、気がかりなことを爺さんに訊いた。
「婆さんは、仏さんを包んだ風呂敷の結び目をどっちに向けて背負っておったかな?」
「あっ!」、鶴太郎が思わず声を発した。故郷(くに)を発つとき、母から何度も念を押されたことだった。「風呂敷の結び目を外に向けて背負え」と。

如来さんが援けてくれた

「そうじゃ。婆さんは、その言いつけを守らなかったために、(せな)の如来さまの罰を受けたのさ。仏さんをおんぶ(背負う)するときは、必ず背中合わせにするもんじゃ。ここいらではそのことを『マンマンシャンカルイ』ち言うんじゃが…」
「はあ?、マンマンシャンカルイですか。それどういう意味?」
「マンマンシャンは仏さんのこと。仏さんをからう、背負うことをこのへんでは『からう』と言い、『カルイ』はそれが訛ったもんじゃ。つまり、仏さんは背中合わせにからえと言うことじゃ」
 やっと納得した鶴太郎、「役所への通報を止めて拙者の命を救ってくれた如来さまを、けっして粗末にしまいぞ」と、改めて決意するのだった。写真は、薬師如来像
 木下鶴太郎は、親切な樵に諭され、名前を変えてこの地に住みつき、子孫も繁栄したそうな。その時の薬師如来像が、今小野修三さん宅の前のお堂に祀られているそれだって。
 4軒しかない黒谷地区では、8月8日になると、ご馳走を供えてお薬師さまのご恩に感謝することを今日まで欠かしたことがないとのこと。(完)

 国道から黒谷川沿いの山道に入ると、そのまま山中に迷い込みそうな恐怖に駆られる。でも、そんな心配もすぐに解消した。目指すお薬師さまを祀る黒谷の集落に出会ったからである。
 お堂の中には、弘法大師と観音さまも同居されている。よく見なければ、どれがお薬師さんなのかわからないほどに風化している。「マンマンシャンカルイ」の伝説と合せ考えるに、この集落は相当むかしから存在したのだろう。
 人里離れた場所で、皆さんは辛抱強く生きてこられたのだと感心する。だから、お薬師さんなど心の支えが不可欠だっただろうし、仏さんをお世話することで村人の団結も保たれたのだろう。今も彼らは、毎日きれいな湧き水をあげてお参りをしているそうな。素敵な集落を離れる際、もう一度振り返って薬師堂に手を合わせた。
                        

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