くわばら くわばら
原題:桑原のかみなりさん
朝倉市(旧甘木市)
五所権現神社境内の「カミナリさん井戸跡」
「くわばら、くわばら…」
子供の頃、かみなりさんが鳴り出すと、祖母ちゃんが蚊帳の中に潜りこんで「ゴロゴロさんが鳴よろうが。早ようお前も蚊帳に入らんと、臍ばとらるるばの。くわばら、くわばら…」と、何やらわけのわからない呪文を唱えていたことを思い出す。言われるままに、僕も「くわばら」を繰り返していた。とっくに亡くなった祖母ちゃんから、「くわばら」という呪文の意味を聞かずじまいになってしまった。
最近、伝説紀行のネタを探して秋月地方を歩いていると、食堂のおばさんから、「甘木の南方の桑原に行きなっせ。雷さんが落ちたお井戸があるけん」と教えられた。
怨めしいカミナリさん
江戸時代のこと。下座郡に、卯吉爺さんとお留婆さんが暮らしていた。この老夫婦、何が嫌いかといえばカミナリさん。「ゴロゴロ」と遠くで聞こえるだけで、かみなり雲を睨みつけた。写真は、桑原の田園地帯
夫婦が雷を嫌うにはそれなりの理由があった。というのも、10年前に頼りにしていた一人息子が、田んぼで雷に打たれて死んでしまったからだ。敵討ちをしたいが、天までは登れないし、怨めしそうに稲光の方向を睨みつけるほかなかった。
そんなある夏の昼下がり。毎度のことで西の空が掻き曇り、「ゴロゴロ」とかすかな音が鳴り出した。ピカッとイナヅマが走り、たちまち近づいてきた。いつものようにお留婆さんが外に出て天空を睨みつけた。すると、西から近づいた雷光は、桑畑を4分の1周して、「バリバリ、どかーん」と大音響をたてた。
振り向くと、権現さまの大きな楠の木が真っ二つに裂けている。
井戸に落ちた赤鬼は…
婆さんの悲鳴を聞いて出てきた卯吉爺さん。「近くに落ちたばいね」と目を右往左往させている。
「そうたい、爺さま。どっかそこんにき(そこら)に落ち取るとらすたい」
夫婦が家に入ろうとすると、足元で何やら「ゴソゴソ」と音が聞こえる。変な音は、裏庭に掘った井戸の中からだった。
覗いてみると、暗闇の中で赤い顔に縮れ毛、それに2本の鋭い角が生えている鬼が壁をよじ登っているところだった。赤鬼は、丁寧にもかわいい太鼓を背負っている。
「カミナリだ!」
婆さんが叫ぶと、爺さんがそばにあった蓋を井戸に被せた。
「それだけじゃ、逃げ出すばの」
婆さんに言われて爺さんは、漬物石を蓋の上に乗せた。それでも安心できずに、荒縄で蓋を縛りつけた。
絶対に落雷しない呪文とは
「ここから出してつかわさい。早よう天に戻らんと、鬼の世界から追放されますけん」
井戸の中から鬼が懇願した。
「息子の命を奪った憎いカミナリめ。息子の敵討ちばする千載一遇のチャンスじゃ。一生井戸の中に入っておれ!」
お留婆さんが、恨み節を並べ立てた。
「ほんなら、あんたさんにだけによかこつば教えますけん、助けてください」
「よかこつちゃ何か?」
「これから先、俺たちカミナリ族が、あんたさんのとこにだけは絶対に落ちんごつする方法たい」
赤鬼のカミナリは涙をボロボロ流しながら訴えた。それならと、井戸の蓋を半分だけ開けた。
「カミナリというもんは、桑の木が一番好かんとです。桑の木の臭いばかいだだけで、雲からさでくり(すってんころりん)落ちてしまうとです。ですけん、鬼は桑畑には近寄らんごつしとります」
「先ほど桑畑ば回り込んだつはそのためばいね。ばってん、うちには桑の木はなかぞ」
「そんならですね…」
「くわばら」発祥の地はここ
井戸の中のカミナリが言うには、雷鳴が近づいたら、蚊帳の中に入って「くわばら」の呪文を唱えることだって。
「なして、蚊帳に入らにゃならんとか?」
卯吉爺さんが、念を押した。
「それはですね、蚊帳の原料になっとる麻が、桑の臭いに似とるけんですよ。それでは皆さん、さようなら」
カミナリは、半分開いている蓋の隙間からするりと抜け出て、迎えに下りてきた雲に飛び乗った。
「ほんなこつ(本当)かいね、あのカミナリの言うこつは…」
爺さんと婆さんは、顔を見合わせて何度も首を傾けた。
でも、赤鬼の雷さまが言ったことは嘘ではなかった。次の日から、「ゴロゴロ」が近づくと、用意していた蚊帳を貼り、「くわばら、くわばら」を唱えた途端、あっと言う間に遠ざかったのだ。 隣村に雷が落ちた時も、お留婆さんから話を聞いいた村人が「くわばら」を唱えたお陰で、何の被害もなかったということ。そんなことがあって、卯吉・お留夫婦が住む村のことを、「桑原村」と名づけたんだって。
話は瞬く間に日本全国に広がって、カミナリ除けにには「くわばら」が一番効果的ということに相場が決まったのだそうな。(完)
雷さん縁の井戸なんて、本当にあるのかなと、半信半疑で桑原地区に出かけた。「雷さんが落ちた井戸なら、五所権現さんの境内にありますばい」、トラクターを運転していたおじさんが親切に教えてくれた。確かに、雷さんが落ちた「井戸跡」と書かれた碑が建っていた。
帰りに再び秋月の食堂によって、おばさんに話しかけた。そうしたらおばさん、「あのね、雷さんというのは、本当は菅原道真公のなりの果てよ。菅公の領地には桑畑があって、そこには雷さんが絶対に落ちたことがないことから、「くわばら」の呪文が始まったんだって。これほんとの話」だって。写真は、桑原の五所権現
井戸跡がある五所権現神社は、桑原地区のはずれに建っている。仰々しく幟が立っていて、村人たちの信心の深さがよーくうかがえた。
遠くで「ゴロゴロ」カミナリの音がしたような気がする。くわばら、くわばら。
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