伝説紀行   鬼の面  福岡県筑後地方 古賀 勝作


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作:古賀 勝

第285話 2007年01月01日版

   プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です
             【禁無断転載】
        

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
鬼の面

筑後地方

 波乱万丈が予想される2007年の幕開けです。
 古来、人間にとって鬼は怖い存在であり、常に嫌われ者の代表格でありました。我が筑後地方にも鬼の話がいくつかあります。今回はその代表格。鬼が怖いというより、鬼のお陰で幸せを掴んだ娘の話です。正月ですから、こんな話題もいいんじゃないですかね。

奉公娘は親思い

 江戸期の久留米の街は、夜明けとともに店が開き、夜が更けるまで忙しい。奥で働く年季奉公の娘たちも、お(たな)の主人やおかみさん、それに子供たちの世話で忙しい。また、番頭さんや丁稚どんが働きやすいように、炊事や洗濯もこなさなければならない。
 彼女らの唯一の楽しみは、夜が更けて3人が一緒の部屋でおしゃべりする時間帯だ。故郷の話や兄妹のことなどを自慢しあう。
 星野川のほとりで生まれたお袖には、悲しい想い出の方が多かった。唯一の弟が5年前に急流に呑まれて亡くなり、3年前には頼りの母親まで他界してしまった。残された父義助を助けて畑仕事や川魚獲りなどをしながら細々と暮らした。

お面に「ご無事で」と

 16歳になると、娘盛りを貧しい田舎暮らしで終らせたくないとの思いで、義助はお袖を女中奉公に出した。久留米のお店で働くようになっても、寝る前には必ず父の無事を祈ることにしている。
 五穀神社の「御繁盛」(秋季例祭)は、女中たちにとって年に一度のお休みの日である。おかみさんからお小遣いをいただいて3人揃って祭り見物に出かけた。境内に入ると、軒を連ねる露店を観てまわる。お袖の足が、お面を売る店の前でぴたりと止まった。
 そこで父親のニコニコ顔に似たお面を買った。
「あら、お克ちゃんは?」
 後ろの方から人ごみを掻き分けながらお克が追いかけてきた。どうやら彼女もお袖と同じくお面を買ったらしい。でも、どんなお面を買ったかは教えてくれなかった。
 それからというもの、お袖は朝晩、お面に向かって「父ちゃん、今日も無事で…」と話しかけた。

心乱され山を越え

 そんなある晩のこと。いつものように柳行李(やなぎこうり)に仕舞っているお面を取り出して驚いた。にこやかな表情のはずが、怒った鬼の形相に変わっている。
「父ちゃんに何か変わったことが起きたのかも」
 実は、お克がこっそりお面をすり替えていたのだった。「御繁盛」の露店で買ったお面は、悪戯のための小道具だったのである。
 今さら、「あれは…」とも打ち明けられずにお克が困っている間に、お袖は番頭さんを通じて一時のお暇を願い出た。
「明日の朝にしたら」と心配するおかみさんの親切を振り切ったお袖は、とりあえずの着替えとお守り代わりのお面を風呂敷に包んで飛び出した。普段であれば久留米から坊津街道を通って福島(八女市)から星野川沿いに北河内に向かう、平坦で人家の多い道を行く。しかし、命より大切な父親の一大事とあればそんなのんびりしたことも言っておれない。東方に聳える高良山の裏手の山を越えることにした。星も見えない山道を、小田原提灯の灯だけを頼りに登っていった。

行く手を山賊に阻まれて

 いかに気持ちがはっているとはいっても、未だ16歳の小娘である。耳納連山の峠を登りつめると、さすがに息は上がり、重機を引き摺っているように足が動かなかった。前方に建物が見えた。かすかな記憶に残る、横山の集落あたりのお宮さんかもしれない。近づいてみると、焚き火を囲んで、3人の男が酒盛りの真っ最中。写真は、上陽町横山地区
「親分、今夜の押し込みはうまくいきやしたね」
 (やしろ)を背に顔中髭だらけの太鼓腹の男に、対面から卑屈な態度でご機嫌を伺う子分らしい男。
「思ったより上々だったない」
 太鼓腹は、満足そうに強奪した金銀財宝の品定めをしている。「ひゅうーっ」、社を覆う梢が気味悪い風の音を鳴らすと、一面が凍りつくような冷気に包まれた。吹き降ろす強風で、髪は乱れ放しである。
 お袖は風呂敷に包んだ白い襦袢を羽織り、まっさらの手拭を顔に巻きつけて、山賊たちの立ち去るのを待った。それでも剥きだしの顔面が寒い。そこで思いついたことがある。
 山賊たちも、寒さが堪えるのか、焚き火から遠ざかかろうとしない。その時である。背後から「はっくしょん」。大きなくしゃみが聞こえた。

思わず金銀財宝が

 山賊がいっせいに振り向いた。その途端、一同思わず尻餅をついてしまった。
「お化けだ!」「鬼だ!」「助けて〜」、顔に似合わずだらしない山賊ども。焚き火も手荷物も、もちろん収穫物の金銀財宝もその場に置いたまま一目散に逃げていった。
 真っ白の襦袢を羽織り、髪を振り乱した鬼が目の前に立ちふさがったのだから、山賊じゃなくても誰でも腰を抜かすに違いない。
 静かになった焚き火の前で、彼らの“忘れ物”を拾い集めるお袖。その時分には、お天道さんも顔を見せて、懐かしいあたりの山々が微笑むように彼女を出迎えてくれた。
「父ちゃん!」
 びっくりしたのは父親の義助だ。
粗相(そそう)をしてお店を追い出されたつじゃなかろうね?」
「何ば言いよると。父ちゃんに何事かあったかち思うて…」
「俺はこげん元気たい」
 父娘は久方ぶりの再会を、肩を抱き合って喜んだ。山賊が残してくれた金銀財宝のお陰で、お袖は再び奉公に出ることもなく、その後は父親と豊かに暮らしたとさ。(完)

 賑やかだった江戸時代の久留米の面影を残す問屋街。それも虫眼鏡で探さなければならぬほどに小さくなってしまった。一方、お袖の生まれ故郷の上陽町はむかしのまんまだ。最近お隣の八女市に吸収されたが、星野川の急流と独特の石橋の風景には、やっぱり「上陽」の地名が似合っている。
 住民の努力で、源氏ボタルも戻ってきたそうな。激しい音を立てて流れ落ちるせせらぎが、川底まで覗かせてくれる美しい水である。いつまでも、お袖のふるさとが「日本の原風景」を残したままでいて欲しいと願うのは、僕だけではあるまい。

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