伝説紀行   野中の福智さま  福岡県東峰村  古賀 勝作


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作:古賀 勝

第283話 2006年12月17日版

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

野中の福智さま
出雲に行かない神さま

福岡県小石原村

 焼き物で有名な旧小石原村(現東峰村)は、南北に長く伸びた典型的な山岳地帯にある。深い谷底を大肥川(別名:鼓川)が流れていて、そのせせらぎに寄り添うて国道211号が走っている。小石原役場へ向かう登り道の丁度真ん中ほどに、特産の陶器や農産物を売るドライブインがあり、そこで「福智さま」の住み処(すみか)を尋ねた。 写真は、姿が狸の腹に見える台山
 国道から「ポーン太の森キャンプ場」の台山(でんやま)に通じる急坂を上ると、目指す祠が見えてきた。鼓川を真下に見下ろす崖の中腹である。
「福智さま」の名前の由来は定かではないが、文字から推測するに、福をもたらす頭のよい神さまというところだろうか。
 毎年神無月の10月12日には、近隣の住民が祠の前に集まってきてお祭りをする。祭りに欠かせないのが小豆(あずき)ご飯だ。「またなんで、アズキご飯?」と首を傾げる前に、そもそも神無月というのに福智さまが祠にいらっしゃるのはなぜなのか、そのあたりからおさらいしておこう。

神無月でも留守にしない神

 旧暦10月のことを「神無月(かんなづき)」と呼ぶのは、八百万(やおよろず)の神さまが、年に一度出雲に召集されて(やしろ)を留守になさるためにつけられたもの。だが、ここ鼓村字野中に祀られている神さまだけは、何故かお出かけにならない。
「お陰でない、こん村だけは一年中福智さまがおらすけん、安心たいね」
「ほんなこつばい。ばってんさ、どげんして野中ん福智さまだけは出雲に行かんでもよかつな?これじゃ、他の神さんが黙っておられんでっしょもん」
 ごもっともな疑問ではある。鼓村の野中集落の家長(世帯主)たちが、「福智さま」を祀った祠の前でカッポー酒を酌み交わしながら、ああじゃないこうじゃないと、意見をたたかわせている。江戸も中期の頃であった。
「神さんのこつなら、ゴン太爺ちゃんに訊いいたらわかるじゃろう」

出雲をアズキマンマと聞き違え

 ところが、隅っこでチビリチビリと手酌酒を楽しんでいるゴン太爺さんは、宴席の話題などにはまったく反応しない。眠っているのかと思えばそうでもない。この爺さん、毎年秋が深まる 頃にいずこからともなく野中の村に現われる。誰も爺さんの氏素性を知る者はいない。
「爺ちゃん!」
 世話役の正蔵が爺さんの耳元で叫んだ。このところ耳が遠くなっていることは皆んなも知っているが、これほど大声で喋っているのが聞こえないわけがないのだ。
「何事な?わしにもっと飲めち言うとか。そげんいっぺんには飲めんばい」
「いんにゃたい(違う)。うちの福智さまも、出雲に行かにゃでけんとじゃろもん。それが心配で…」
「ふんふん」と頷いている爺さん。
「何ちや?アズキマンマばもちっと食わせて貰えちか?」
 これには一同開いた口が塞がらない様子。写真:出雲大社の各地の神の集合の様子(出雲大社)
「うちの福智さまは、出雲に出張せんでん怒られんとか訊きよるとたい?」
 世話役の正蔵が、先ほどの2倍もの大声で叫んだものだから、さすがのゴン太爺さんも両の耳を塞いでしもうた。
「そげなこつがわしにわかるもんか。福智さま本人に訊いてみりゃよかろうもん」

神も年齢をとる

 正蔵に促されて、皆んなが祠の前に正座した。するとやおら立ち上がったゴン太爺さんが御幣を5回振り、何やらモゴモゴ呟いた。そのうち右の耳を祠の中の御神体に近づけた。「何々、さようで…」、一般人には理解できない神さまとの会話がしばらく続く。
「皆の衆、我れがなぜ出雲に出向かぬかそのわけを語って進ぜよう。ただし…」
 明らかにゴン太爺さんのしわがれ声とは違う。低音で若々しい天から降ってくるご託宣であった。一同の目が爺さんの口許に集中した。
「そなたらが生まれるずっと以前には、10月になると我れも出雲に出かけたものだ。なれど、神といえども年齢(とし)はとるものなり。…ある年のこと。親神よりの使いがまいって『出雲にまいれ』と言われたことを、『アズキマンマを食わせる』と聞き違えてしまった。お使いは、『そんなに耳が不自由では、長旅も大変であろう』と同情されたのだが、これまた『アズキマンマの次は、お神酒を召し上がれ」と聞こえてしまった。それからじゃ。我れにだけ、親神から出雲への召集令状が来なくなったのは」

 福智さまの名代で、長々と打ち明け話を済ませたゴン太爺さんは、その場に倒れてしまった。心配顔で覗き込む村人をよそに、カミナリのようないびきが当たり中に響き渡った。
「なるほど、それで福智さまに小豆ご飯ばお供えするごつなったとたいね。納得納得」
 村人は、福智さまに供えた小豆ご飯の残りを、ありがたそうに食べた。だが一人だけ腑に落ちぬ顔をしている男がいる。青年団長の頓兵衛だ。
「やっぱり、おかしかばい。そうじゃろう、ゴン太爺さんの耳が遠かち言うのはわかっとるばってん、どうして福智さままで同じごと耳が遠かつね。それに、『お神酒やアズキマンマが好きなとこまでそっくりたい。ひょっとして、ゴン太爺さんの正体は…」
 祠の前に集まった一同、ござの上に寝そべっている爺さんの顔を覗き込んだ。それからである。野中の住民が神無月のお祭りに、小豆ご飯を供えるようになったのは。(完)

 平成の大合併でお隣の宝珠山村と合併し、「東峰村」と名前を変えた旧小石原村。名前が変わっても、谷底を流れる大肥川のせせらぎは昔のままだ。谷川に沿って走る国道沿いには、無数の窯元と20軒から30軒単位の集落が点在する。
 野中地区の奥さんに福智さまの住み処を尋ねると、不思議そうに見返られた。なるほど、崖っぷちに立つ祠も中の御神体も、とりわけ珍しいものではないのだから、怪しまれるのも仕方ないのかもしれない。
「福智さまの何を調べるとですか?」と、逆に質問されてしまった。「いえね、年寄りの趣味で、あちこちのお話
(伝説)を収拾しとるとこです」と、頭をかきながら説明した。それでも奥さんは完全に納得していない様子。
「神無月に出雲に出かけない神さまなんて、全国的にも珍しいと思いませんか」なんて、思いつきを言い残して現地に急いだ。「名もなく野辺に立つ祠やお地蔵さんの謂れを探し出すのが伝説紀行の本来の姿なのである」と、誰も聞いていない社中で独り言が飛び出してしまった。

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