伝説紀行   髪掛けの松  大分県日田市  古賀 勝作


http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/

作:古賀 勝

第281話 2006年11月05日版

   プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です
             【禁無断転載】
        

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

髪掛けの松

大分県日田市


慈眼山から望む花月川

 日田盆地は、文字通り山に囲まれた九州の臍(へそ)部にある。四方八方の山々から流れ出た水が、毛細血管のような小川を伝って流れ落ち、いくつかの中小河川にまとめられる。日田の市街を取り巻くようにして流れる花月川は、その代表格だ。
 川が大分自動車道を潜ったあたりの岸辺に、西有田の坂本という地名が見える。戦国時代には原ノ城があったところだとか。城主は坂本氏(うじ)で、かつて「坂本村」だったと教わった。第84話で紹介した「カッパ踊り」の大行司神社の近くである。
 坂本氏には、それは美しい姫君がおった。名前を千代姫のいったが、美人にもたった一つの泣きどころがあった。

恋する人に振られて街に出る

 千代姫の泣きどころとは、髪の毛が赤くて、棕櫚(しゅろ)の幹を覆う毛のように硬いことだった。目に入れても痛くないほどに寵愛する殿さまは、姫の相手に中津の若君との縁談をすすめた。
 お見合いのために原ノ城にやってきた若君を見て、千代姫はすっかりその気になった。殿さまも上機嫌で、三日後には中津の城に「千代をよろしく」と、使いを出した。
 ところが、相手からはなかなか返事が来ない。業を煮やして更なる使いを出すが、相変わらずのらりくらり。挙句の果てには、「姫の美貌と教養には申し分なかれども…」とやんわり、断りの使者を寄こす始末。
 一目惚れの若君に拒絶された千代姫の嘆きは、底知れないものがあった。
「こんな折には、気分を変えて…」と、乳母の田代の方が姫に外出を勧めた。
 町娘に変装した千代姫が城を出た。慈眼山に登って見下ろすと、眼下に花月川がまるで大蛇のようにくねりながら流れている。写真は、西有田付近の花月川
 その姿を見て千代姫は、またもや若君への不信が頭をもたげた。
「田代よ、中津の若君は、わらわのどこが気に食われなかったのか?」
 蒸し返されて、乳母も返答に窮した。

黒松の枝に姫の髪

 田代の方は急ぎ山を降りて、姫を豆田の街に案内した。さすが豊後を代表する町並みだけあって、華やかである。道行く町娘は、色とりどりに着飾って青春を謳歌している。美貌にかけてはひけをとらぬ千代姫だが、立ち寄った茶店でうなだれてしまった。恋人どうしではしゃいでいる目の前の娘を見てからである。御髪(おぐし)を背中まで伸ばして、櫛やリボンで飾りつけている。カラスの羽のようにしっとりとした黒髪にこそ似合う飾りであった。
「田代、城へ帰ろう」
 姫は、田代の方を促して、さっさと歩き出した。気がついたら、姫の姿が見えない。「そんなはずはない」と、田代の方は必死で街中を走り回った。このまま城に帰れば、打ち首に処せられること必定。行くあてもなく花月川のほとりを彷徨(さまよ)った。
「もしかして…」
 目の前に枝ぶりよろしい黒松が見えた。

花月の川が黒髪に

 目を凝らすと、川に突き出た松の枝に棕櫚(しゅろ)の毛のようなものがぶら下がっていた。
「姫の髪」、思わず叫んだ田代の方の目が、向こう岸のどす黒い淵に釘付けになった。
「…まさか、そんなことが、…あってたまるものか!」田代の方が呆然としていると、一陣の風ともに、赤い髪の毛は松の枝から離れて川面に落ちた。すると、それまで赤くて硬い髪の毛が柔らかな黒色に変わり、ふんわりと川下に流れ出した。
 近所の男衆を淵の底に潜らせると、変わり果てた千代姫の遺体が浮かび上がった。姫の頭からは髪が切られていた。岸辺に置かれた遺書には、「重ね重ねの親不孝をお許しください」と、父君宛のものが一通だけだった。
「わらわは、赤くて硬い髪のために愛するお方にも見捨てられた。死んだ後は仏になり、髪の色で悩む人々を援けたい」と記されていた。

 この話を聞いて、やはり髪の色で悩む娘たちが、大勢花月川の岸辺にやってくるようになった。彼女らは、上半身裸になって髪を川の水に浸けた。そうすることで、「カラスの濡れ羽色」の髪を得ようとするけなげな願いであった。
 その後、花月川ほとりの枝振りのいよい黒松のことを、誰言うとなく「髪掛けの松」と呼ぶようになったそうな。(完)

 慈眼山公園から見下ろす花月川は、小京都とうたわれる日田盆地にうってつけの眺めだ。御本家の鴨川にも匹敵する上品さを漂わせている。それでも、恋する人に袖にされた女性には、魔性の大蛇にしか見えなかったのか。
 川のほとりを歩いて、髪かけの松を探したが見つからなかった。でも、深くて薄気味悪い“青紫”の淵は随所にある。ススキの岸辺から見つめていると、知らずのうちに引きずり込まれそう。華やかな豆田の街のすぐ裏手である。日田を散策するには、十分すぎる時間を用意して出かけなければ意味が少ない。

ページ頭へ    目次へ    表紙へ