伝説紀行   伽藍堂美人  大分県日田市  古賀 勝作


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作:古賀 勝

第279話 2006年10月22日版

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

伽藍堂の不思議

大分県日田市


神渕寺前を流れる“ふけ川” 

 日田市の市街地は、三隈川(筑後川の別称)の北岸に沿って東西に細長く発展している。そのむかし、川が大きく蛇行していた折は、現在最も賑やかな本町や中央町付近が本流であって、「ふけ川」と呼んでいたそうな。その名残りが、中央2丁目の神渕寺(しんえんじ)前を流れる小川あたりだという。小川というより側溝といった感じの川だが、そんなに遠くない頃には、大川がとうとうと流れていたのだろう。川は農業や生活用水にも活かされたし、天然プールとして子供たちの恰好の遊び場にもなっていた、と古老は懐かしがる。
 在りし日の、そこが三隈川であったことを裏付けるために、神渕寺を訪ねた。

とびきり美人に声かけられて

 時は江戸時代のこと。
「早く雨が降らないかな。そうすりゃ仰山魚が獲れるのになあ」
 若宮に住む吉次爺さんが、目の前の川の水量を見つめながら、大きくため息をついた。
「ご熱心ですね」
 神渕寺の門から出てきた女性が、爺さんに声をかけた。初めて見る年増の女であった。浮世絵から抜け出たような、色白で豊満な体のとびきり美人だった。


神渕寺

「あなたは、水が増した時に寺の下に魚が集まることを知っているのですね?けっしてここの魚を捕まえて食べようなどと思わないことです」
 女は、それだけ言うと、さっさと川下の方に去っていった。ふけ川の対岸には伽藍堂(がらんどう)が建っていて、すぐその横手の門を出たところに土橋が架けられている。どうやら女は、そのお堂から出てきたようだが、中には人が住んでいる様子などまったくなかった。

水嵩増して獲り放題

 いくら美人に諭されたからといって、狙った獲物をみすみす逃がすわけにはいかない。女が言うとおり、水嵩が増せば魚が集まってきて、伽藍堂下の淵深くに消えていくのを何度も見た。あの魚を一網打尽にして街で売れば、これまた一獲千金間違いなしだ。
 吉次爺さんの貪欲が通じたか、夜になってまとまった雨が降った。ふけ川の水が伽藍堂のすぐ下まで迫った。川面を見つめている吉次爺さんの頬が自然と緩む。赤く濁った水面が黒く見えるほどに、大小の魚がお堂下の淵に集まってきたからだ。
「今だ!」
 爺さんは、持ってきた網を川幅いっぱいに投げ入れた。引き揚げる手応えも十分である。大きな(たらい)がたちまち獲物で盛り上がった。鯉、鮒、鮎、鰻、鯰、川エビなど種類も大きさもさまざまだ。これ以上はとても担げないほどの収獲を得て、爺さんが帰り仕度にかかった。
「お待ちなさい」
 対岸から声がして、下駄の音を響かせながらいつぞやの美女が近づいてきた。
「あれほど、ここの魚を獲ってはいけないと言ったのに・・・。みんな川に放しなさい」
 睨みつけられて一瞬(ひる)んだ爺さんだったが、ようやく手に入れた大漁である。そうやすやすと言われるままになるわけにもいかない。

魚は神の使い

「せっかくのお申し越しですがね。こればっかりは、はいそうですかというわけにはいかないんで」
 爺さんは急いでビクを肩に担いだ。


神渕寺境内の伽藍堂跡

「まだわからないのですか」
 女は、右手をしなやかに爺さんの肩に乗せた。途端に爺さんはバランスを崩して、膝まづいてしまった。
「どうしたこつか、こりゃ?」
 理由(わけ)がわからないまま、女の顔を見上げた。
「これなる魚たちは、三隈川一帯に棲む神さまの使いの者たちです。ここで暮らす人たちがいつまでも平和で暮らせるよう、川を護っているのです。水嵩が増す日、神さまのお使いの魚たちは、神渕寺の伽藍堂に集まります」
「何をしに?」
「平和をかき乱すものを撃退するための方策を考えるのです。こともあろうにあなたは、神さまの使いの者を捕まえて売り飛ばそうなど・・・」
 まだ信じられない吉次爺さんが、ビクを担いだまま立ち上がろうとするが、腰が()えて身動きが取れない。

そして美人の正体は…

「そんなに聞き分けがないのなら、籠の中のものをどうぞお持ち帰りください」
 女は爺さんの肩から手を離すと、カラコロ響きのよい音を残して土橋を渡り、伽藍堂に消えていった。
「そうこなっくっちゃ。やっぱり美人は優しいね」
 そんなことを呟きながらビクを覗いて驚いた。中には魚どころか、石ころが数十個ぎっしり詰められている。
「どうなってるんだ、こりゃ」、爺さんが土橋を渡って伽藍堂に入ろうとするが、扉は頑として開かない。
「やめときなさい。それ以上の抵抗は無駄です」
 後から声をかけたのは、神渕寺の住職だった。
「伽藍堂に集まってくる魚が神の使いだというのは本当のことです。今、この扉の奥で、これからの三隈川の安泰について話し合われているところですぞ」
「して、あのとびきり美しい女の人は?」
「まだわかりませんか。この会議を招集されている伽藍堂の主、つまり弁天さまなのです」(完)

伽藍:寺院の建造物の称。
伽藍神:寺院の伽藍を守護する神。インドから来た神(帝釈天・毘沙門天・弁天等)など。
伽藍堂:寺院の中で、伽藍神を祭ってある堂。

 神渕寺を訪ね、寺の奥さんの案内で伽藍堂跡に行き着いた。広さが5b四方くらいで、中央に大きな石が祭ってある。なるほど、後の塀がなかったら、すぐ下はふけ川なのだ。そのむかしは蛇行していた三隈川だったが、その後ショートカットしたため、支流の小川になってしまった川である。川を見下ろす伽藍堂(がらんどう)が、三隈川を護る神さまたちの集合場所だって、粋な設定だね。しかも、召集するのが伽藍堂の主の弁天さまだなんてますます面白いじゃないか。って、筆者もご満悦。
「伽藍堂跡のすぐ脇に門があったんですが、こちらは鬼門で縁起が悪いということで、塀で塞いでしまいました」と、奥さんが説明してくれた。なるほど、それでなかなか伽藍堂跡が見つからなかったわけだ。
 日田は、九州を代表する水の都であり九州の小京都です。神渕寺周辺は、その象徴的な景観を見せてくれる、隠れたスポットでもあるのです。

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