伝説紀行 浜田の石仏さん 佐賀県みやき町(三根)
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
衆生済度の贈物 浜田の石仏さん 佐賀県みやき町(旧三根町) 筑後川が、中流域から下流域にさしかかるあたり。肥前(佐賀県)と筑後(福岡県)を結ぶ「天建寺橋(てんげんじばし)」の袂に、浜田(佐賀県みやき町三根)という名の集落がある。高い土堤を駆け下りたところの公民館前で、相当年季の入った石仏群を見つけた。周辺は、重たそうに頭(こうべ)を垂れた稲穂が続く田園地帯。群の中でも一番大きな石祠の仏さんに注目した。いつの頃かに頭と胴体が別々になったらしく、それをセメントで繋いである。いかにも、簡単すぎる修復法だ。写真は、浜田の石仏群 覚えのない届け物 ずっとずっとむかしのこと。筑後川右岸の浜田村に今村又七というお百姓さんが住んでいた。ひと月もすれば稲の収獲が待っている。今年の出来を心配して落ち着かない日々であった。 贈り主を仏に問う キツネに摘まれたように目をウロウロさせる又七さん。届け物を見てみると、それはもう、何ともかわいらしい菩薩さまである。しかし、どう首を捻って考えても、仏(像)さんを注文した覚えはない。 衆生済度:仏・菩薩が衆生を迷いの苦界から救済して、彼岸に渡すこと。人々を救って悟りを得させること。 お祭りしたら災いが逃げた 「ははあ」 土堤下のお婆さんに場所を尋ねて公民館に辿りついた。資料では「石仏群は公民館の東側」とあったが、そこは田んぼ。カチガラス(カササギ)が熱心に落穂を啄んでいた。南側に回ると、10体ほどの石仏が無造作に並んでいる。端っこの仏さんが、目指す首をつないだ菩薩さまだった。最近、部落民の都合で、居所を移動させられたものだろう。 |