唐尾のほうぜ
福岡県瀬高町
今は取り壊された唐尾の南筑橋
瀬高町は、「邪馬台国」候補として、近畿説と二分する一方の雄である。大分県日田市(前津江)あたりを源流とする矢部川がもたらす肥沃な土地は、大むかしから人々の暮らしを豊かにしてきた。
江戸時代の坊津街道(ぼうのつかいどう)が跨ぐ南筑橋の袂の唐尾(からお)地区は、そんな古代の雰囲気を漂わせる代表格だ。江戸初期に植えられた矢部川土堤の大楠群と南方の清水山(きよみずやま)が、さらにその雰囲気を盛り上げてくれる。この場所、卑弥呼よりもっとむかしは、川と陸の境がわからないくらいの湿地帯で、有明の海もすぐそこまで迫っていたいう。
丸木舟で湖を渡る
時は神代(かみよ)というから、2000年以上もむかしの物語である。トキオは、今日も有明での漁を終えて、湖の岸辺にある舟着場に帰ってきた。丸木舟を岸辺の立ち木に繋いで陸にあがろうとした時。
「すまんが、向こう岸まで運んでくれい」
突然声をかけられて見上げると、大きな袋を背負った髭面の男が立っている。
「お連れするのは容易(たやす)いことですがね。山からの風をみると、ひょっとして嵐の前触れじゃねえかと…。お急ぎじゃなけりゃ明日になすったら」
と、やんわり断った。
「そうはいかんのだ。3日以内に筑紫から有明までの作物の取れ具合をお上に告げなければならぬでな。褒美は望みどおりにとらすゆえ、なんとか向こう岸の唐尾まで…」写真:矢部川の流れ
恰幅がよくて束子(たわし)のように硬そうな黒髭がよく似合う大男が、トキオに頭を下げている。
「余ほどのご事情がおありのようで。よござんす、お送りしましょう。ただし、運は天に任せて参りますんで、結果をおいらのせいにはしねえでおくんなさいよ」
清水が嵐を呼んだ
舟が湖の中ほどに差し掛かったとき、一陣の風が湖面をかするように吹き抜けた。
「おお、山が霞んでしまったの」
舟の中ほどに腰掛けている髭面が、曰くありげに東の山を見上げた。
「悪い予感が当たらなきゃいいが…」
トキオの相槌が終らないうちに、今度は「びゅーっ」とけたたましい音を伴って、竜巻風が突撃してきた。あれほど静かだった湖面が、一瞬にして騒がしくなり、舟が木の葉のように揺れた。
「もうおいらの命もこれまでか」
トキオは、櫂(かい)を置いてしゃがみこみ、ガタガタ震えだした。
「清水の山の神さんが怒ってなさるんだ、きっと」
男は、意外と冷静である。
「何で神さまが怒るんだい。おいらは毎日漁に出て、まじめに働いているっていうのに。お上から人夫を出せと言われれば、仕事を休んでまで奉仕している。神さまに怒られるいわれなんかこれっぽちもないよ」
髭面がトキオの話を遮った。
「神さんは、お前のことを怒ってるのではない」
大波にも揺れない小舟
「じゃ、誰なんだ、神さまを怒らす悪い奴は?」
男は、一瞬考えた後にトキオの問いに答えた。
「お前らを働かせるだけ働かせて、上前(うわまえ)を掠(かす)め取っている奴らさ」
「そんなあ。おいら、そんな連中といっしょにされたくねえよ」
何とかならないかと相手を拝んでみても、どうにもならない。
「我れは、お前が危険を承知で舟を出してくれたことに、心から感謝しておる。お陰で、湖に吹く風の心も読むことができた」
髭面は、南方の清水山に向かって手を合わせた。すると、あれだけ大揺れしていた舟が、舳先を唐尾に向けたまま水面に吸い付くように穏やかになった。
写真は、唐尾付近の土堤の桜
「さあ、もう大丈夫だ。漕ぎなさい」
促されて立ち上がると、舟は嵐の中をものともせずに滑り出し、間もなく唐尾の船着場に着いた。
ほうぜが救う
「あれをご覧なさい」
言われるままに膝をついて覗きこむと、舟底にほうぜ(川蜷=カワニナ科の巻貝)がびっしり吸い付いている。あの嵐の中でも転覆を免れたのは、ほうぜの重量のせいだったのだ。
「こんなことは生まれて初めてだ。旦那さんが山に向かって何やらお呪いのようなことをなさってたが、あなたは…」
立ち上がると、そこに髭面の男の姿はなかった。代わりに、舟に籾俵が3俵積まれてあった。
トキオには、髭面男の正体がわからなかった。持ち帰った籾俵を見た村長(むらおさ)が、「そのお方こそ、我らの住む筑後平野を治める野良(田畑)の神さまに相違ない」と言い放った。
トキオの村で、3俵の種籾を元に稲作りを始めたところ、たちまち裕福になったという。
それからというもの、川といわず田んぼといわず、どこにでも生息するほうぜを、村の者はけっして食べたりしなかったそうな。唐尾を見下ろす筑肥山地の山裾には、「舟河原」という地名が今も残っていると聞いたが…。(完)
清水山の麓の赤米(写真)を見ると、やっぱり邪馬台国は近畿ではなく、九州の瀬高だとつくずく思う。これまでに瀬高出身のお方にずいぶん親しくしてもらった。“ふるさと自慢”ではナンバーワンを自負する僕も、瀬高の皆さんには負ける。
彼らが自慢の第一に挙げるのは、やっぱり清水(きよみず)の観音さん。中でも8月の「よがんのん(夜観音)」にお参りすると、4万6000日分のご利益があるというからすごい。次が、「瀬高の米はうまか」。わかる、わかる。町を取り囲むように流れる矢部川は、すぐ上流まで大きな音を立てて流れ落ちる急流である。さすれば、川が運ぶ山の栄養が瀬高と有明海にどんどん富を運んでくれるわけだ。
そしてもう一つは、何たって邪馬台国の在り処だろう。近畿説論者が何と言おうが、我々には古代史小説家の最高峰・黒岩重吾先生(故人)がついていてくださる。瀬高の自慢は卑弥呼さんだけじゃないよ。2300年前に日本に五穀の農業を伝えた徐福さんだって、瀬高を本拠にして不老不死の薬草を探したっていうじゃないか。
最近、「伝説紀行」の題材が矢部川周辺に偏っているというご批判も多いが、ロマンの世界に惹きつけられない者はいませんよね、トキオさん。
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