牛頸村の天狗松
天狗の鞍掛けの松
福岡県大野城市(牛頸)
天狗の鞍かけの松
福岡市の中心部から南へ12〜13キロのところに、「南ヶ丘」なんて格好いい名前の巨大団地がある。江戸時代から明治22年まで「牛頸村」といっていたところだ。戦後福岡市のベッドタウンとして開発されるまでは、集落が点在する静かな農村だった。団地の中を走る往復4車線の県道脇に、枝振りが嬉しい高さ4bくらいの黒松が見える(上写真)。街路樹に松とは奇妙なりと、車を止めてしげしげと。
根元の案内板には、「天狗の鞍掛けの松」と記してある。天狗が棲む樹木にしては低すぎる。そこで近くの牛頸公民館に赴いた。「本来の天狗松は、牛頸村と上大利(いずれも現在は大野城市)の境に、天にも届くように聳えていた」んだって。いつの間にか枯れてしまい、棲んでいた天狗も行方不明に。そこで、「天狗さん、住民の守り神として戻ってきて」との願いを込めて、住民が苗木を植えたのがこの黒松だと。
あと100年もたてば、また天狗が棲める巨木に成長するかな。「排気ガスなどに負けないで頑張れ!」と、声をかけたくなる。
道がのうなった
村の鎮守の平野神社を真ん中にして、細々と成り立っていた江戸時代の牛頸村。そんな村中に、年老いた爺さまと孫の米吉少年、それに愛犬ジョンの「三人家族」が住んでいた。爺さまは可愛い孫を毎日山に連れて行った。そんな時はいつもジョンが先導を努めてくれる。
米吉少年は、体より大きな籠を担いでいる。茸など食べるものを調達するためだ。爺さまは、どれが食べられるもので、どんなものが毒茸か、わかりやすく教えた。夕刻になって、獲物や食料を担いだ家族が、ジョンを先頭に山から下りてきた。写真は牛頸の平野神社
「おかしかね??」
爺さまが立ち止まって首をかしげた。
「どげんしたと、祖父ちゃん?」
「確かに今朝方まであった道がなくなっとる!」
馬に乗った泥棒
上大利の山裾に出たところだった。そういえば、朝方山に入るとき通ってきた道がない。
「ははあん、酒が切れたから怒って、道ばひん曲げなさったとばいね・・・」
爺さまは、妙なことをしゃべりながら、一人で町の方に歩いていった。夜遅くなって、爺さまが帰ってきた。いつもの口癖で「やれやれ」と呟いて、囲炉裏の傍に座り込んだ。
「どこに行っとったと?」と米吉が訊くと、「街で酒ば買うて、天狗さまにさしあげてきた」と、こともなげに答えて、すぐいびきをかきだした。
翌朝、向こうの集落の男が大声をあげて爺さまのところにやってきた。
「大変だ、大変だ!」
昨夜、村の野菜畑から収獲前の野菜が根こそぎ持っていかれたと言う。
「そん泥棒ときたら、腰に刀ばさして馬に乗っておったげな」
馬に乗って、刀をちらつかせて、畑ごと野菜をかっさらっていく泥棒なんて聞いたことがない。平成の世ならいざ知らずだが。
泥棒と馬と盗品がバラバラに
「そんならいっちょう、お願いしてみるか」
その晩から毎日、爺さまは酒とご馳走を持って出かけるようになった。
「大変だ!大変だ!」
10日もたって、また向こうの集落の男が駆け込んできた。
「今度は何ごとな?」
爺さまが男の後についていく。何やら歴史的瞬間に出合えそうな気がして、米吉とジョンも追いかけた。平野神社の前を流れる牛頸川まで来ると、川岸に素っ裸の侍が仰向けに倒れていた。
「ゆっくりしとられん」と、爺さまは米吉の手を引いて平野神社へ。
境内では、裸馬が手綱を放されて、どうしたものかとウロウロしている。周辺には、盗まれた野菜や果物、それに侍の単(ひとえ)や薄汚れた褌(ふんどし)までもががゴロゴロ転がっていた。
そのうちに、村中のものが平野神社に集まってきた。
「ははーん、効き目があったばいね」
爺さまは、またわけのわからないことを呟くと、北に向かって歩き出した。着いたところは、松の巨木の根元。
お呪(まじな)い
「ほら、見てみらんね」
爺さまが指差す先の木の枝に、何やら腰掛みたいなものがブラブラ揺れている。
「祖父ちゃん、どげんなとっと?俺には何が何だかさっぱりわからんが」
「そうたい、爺さま。わしらにもわかるごつ聞かせてくれんね」
孫に袖を引っ張られ、向こうの集落の男にせがまれては、爺さまもこれ以上機密事項を発表しないわけにはいかない。
「実はな、泥棒を懲らしめてくれたのは、この松の木のてっぺんにおられる天狗さまなんじゃよ。わしは、村の存亡に関わる野菜泥棒を捕まえなきゃならんと思い、天狗さまに相談したんじゃ。そしたら、10日の間酒と肴を運べとおっしゃる。村のため、世のためじゃと思うて、毎晩松の木の根元に酒1升と肴を置いた」
爺さまの願いを聞いた天狗は、好きな酒を腹いっぱい飲んで、赤い顔をますます赤くして、木の上から泥棒が現われるのを待った。昨夜のこと。馬で乗りこんできた泥棒が畑で「働いている」ところに、天狗はお呪(まじな)いをかけた。
天狗は正義の味方
泥棒侍は、盗んだ野菜を馬の背中に載せて、意気揚々と引き揚げようとした。
牛頸川
「あれ、道がない?」、立ち止まってキョロキョロしている侍に、松の木のてっぺんから強烈なつむじ風が吹き下りてきた。天狗が大団扇(おおうちわ)で風を送ったのだ。侍が馬もろとも宙に舞った。
舞い上がった泥棒侍の馬は、平野神社の真上まで来て急降下した。馬と盗んだ野菜は境内へ落下。素っ裸の泥棒侍だけは、強風に乗って更に東へ100b。ようやく落ちたところが牛頸川の土堤だったというわけ。境内で野菜を片付ける百姓は、「お陰で収獲の手間が省けた」と喜んだ。
「一つだけ訊いてもよかですか?」
向こうの集落の男が、また爺さまに疑問を呈した。
「松の木の上にぶらさがっとるもんは何ですな、あれはいったい?」
「ああ、あれね。馬の鞍たい、泥棒侍が乗っておった・・・」
「ばってん、なして鞍だけ、松の木に残されたと?」
「そりゃ、おおかた、天狗さまが揺り篭代わりにいただきなさったんじゃなかかな」
それから村の人は、この巨大な松の木を「天狗の鞍掛け松」と呼ぶようになったとか。爺さまの、わかったようでわからないような話を聞かされた人々は、「とにかく天狗さまは村を守ってくるる、正義の味方たい」と、妙に納得して帰っていったとさ。(完)
ところで、村の名前の「牛頸」だが、天拝山西北の低くて長い山の形が牛の首によく似ているからだと。「牛頸」は、聞きようによっては「牛の生首」とも取れる。そのためかどうか、出来立てには「牛頸団地」だったはずの巨大住宅群が、今では「南ヶ丘団地」なんて名前までスマート化している。
平野神社と牛頸川周辺を歩いていて、天狗に守られていた当時の素朴な村の面影を見つけようとしたが無理だった。それほどまでに、このあたりは拓けてしまった。洒落た喫茶店やブティックなどが、広い道路の両サイドに建ち並んでいる。天狗が棲む黒松は、そんな街並みのパチンコ屋さんの駐車場脇に植えられていた。
のどかな牛頸の村(2016年9月15日)
筑紫次郎のエリアは、本来有明海に注ぐ筑後川流域に限定されるべきなのだが。伝説紀行も間もなく目標の【300話】に近づき、一度くらいの浮気もよかろうと、あえて博多湾に向かう牛頸川流域に出張した。オリンピックでも招こうかというだけあって、福岡に近い旧牛頸村は、エリアとは違う文化を感じた、様な気もする。
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