伝説 耳納山の由来 久留米市田主丸
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
石垣の牛鬼 久留米市田主丸町
ふるさと筑後を語るとき欠かせないのが、耳納(みのう)の山並みだ。そんなに高いというわけでもなく、かと言って、とりわけ珍しい形もしていない。なのに、西から東へ25キロ連なる嶺々が屏風を立てたように美しく、富士山よりも素晴らしく見えてしまうから不思議である。 山が動く! 耳納連山の中でも最も高い鷹取山(802b)の麓に、観音寺は建っている。1300年以上もむかし、天武天皇が造られたお寺だと聞く。一度落ちぶれかかったが、平安時代に金光というお坊さんが建てなおしたんだと。
「和尚さん、どげんしたらよかもんでっしょか?」 化け物退治に 「坊(ぼん)さん、そりゃ、どげなこつですな?」 山荒しのせいで頭が牛に 視界を塞いでしまうほどの巨大な物体が姿を現した。それでもなお、金光坊の経文は途切れない。化け物の体長は優に5bを超えている。体は筋肉隆々の赤鬼であり、首から上は牛の頭であった。角は、一突きで何ものをも砕いてしまいそうにいきり立っている。
耳たぶを山に返す 金光坊は、その日から三日三晩、牛鬼の安泰を願って祈り続けた。石垣から眺める広大な山地では、多種多様の生き物が暮らす。いずれもが大自然の恵みを受けながら、お互いが助け合っている。生き物とは、獣や鳥だけではない。雑草や雑木も、そして鬼すらも大自然の生態系の中に組み込まれていたのだ。金光坊は、谷間に毒を流して、鬼を化け物にした奴が許せなかった。 石垣山観音寺を訪ねたのは、春まだ浅い3月だった。境内に入ってまず驚かされたのは、冒頭写真のハルサザンカである。樹高10bを超す大木いっぱいに赤い花をつけている様は、壮観としか言いようがない。品種は、さざんかとヤブツバキが混じったものだと説明された。
ひとしきりハルサザンカに酔いしれた後、観音堂の内部を覗いた。金箔に彩られた仏さまは、何者をも跪(ひざまづ)かせずにはおかない、威風堂々のお姿であった。由緒によれば、物語の金光和尚は、耳納連山の西端高良山で修業した後、比叡山に登って天台の教えを得て再びと観音寺に戻り、灌漑治水などに寄与したり護摩堂などを建設して寺の中興を果たした。更に郷里を後にした金光和尚は、浄土宗の法然上人に入門して陸奥国へ。そこで生涯を全うされたとのこと。 |