伝説紀行 米の山由来  大牟田市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第263話 2006年06月25日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

米の山夢物語

原題:不思議な鎌の話

福岡県大牟田市


米の山バス停から見上げる三池山

 かつて石炭で栄えた三池地区(大牟田市)は、平安時代から日本刀の製作でも盛んだった。数々の刀匠(とうしょう)が名を残す中で、「三池典太(でんた)光世」という人は特に優れた腕の持ち主だったそうな。徳川家康の愛刀には「典太光世」の銘が刻されているし、加賀の前田家に代々伝わる宝刀にも、「典太光世」作があるという。家康の刀は、現在も久能山東照宮(静岡)に御神体同様にして祭られているとか。また前田家の宝刀も、「天下五剣」の一つに数えられている。
 三池典太の手にかかると、刀剣に魂が乗り移り、独りでに悪魔を追い払う超能力を持つと言われた。まるで丹下左膳の“愛刀濡れ燕(ぬれつばめ)”の如し、である。
 典太光世の魔力をさぐるため、三池山麓の米の山に赴いた。

信心深い青年が草を刈る

 米の山三叉路そばのバス停から東方を望むと、眼前に三つの池を持つ三池山が迫ってくる。
 江戸時代、あたりに義之輔という若者がいた。未だ独り身ながら、他人思いで、その上なかなかに信心深い青年であった。今日も、朝早くから普光寺に向かう参道の雑草とりに余念がない。遠くからお参りにくる方々に、少しでも気持ちよく登っていただくためである。
「それにしても…」
 使っている鎌の切れが悪いこと。仕事が捗(はかど)らなくて少々苛立っていた。
「こんな時はひと休みして…」とかなんとか理屈をつけて、刈ったばかりの草を枕についうとうとした。
「そこな青年よ、大事な用があるゆえ目を覚ませ」


三池山

 体を揺すられて、義之輔が薄目を開けると、目の前に何やら金ぴかの衣装をまとい錫杖(しゃくじょう)を持った老人が立っている。どこかでお目にかかった顔なのだが、どうしても思い出せない。

不思議な鎌が大蛇を退治

「青年よ。私はそなたの日頃からの信心に感じ入っておる。褒美と言ってはなんだが、そなたの切れない鎌と私の鎌を取り替えて進ぜよう」
「何だそんなことか、爺さま。鎌はどうでもいいから、米をいただけませんか。相次ぐ飢饉で村の者はろくに飯も食ってませんから」
「それもこれも、これなる鎌が解決してくれよう」
 話し終えた老人は、「さらば」の一言を残して姿を消した。
「鎌が替ったからといって、どうなるもんでもなかろうに・・・」
 義之輔は、老人が置いていった鎌を仕方なく取り上げた。とたんに、手の先に力が入って、鎌はどんどん先まで刈り取っていく。あっと言う間に、長い参道の雑草がきれいに刈り取られた。すると今度は、山手の薮から飛び出した大蛇が、真っ赤な口をあけて義之輔に襲いかかった。


写真は、普光寺の臥龍梅

「俺の人生もこれまでか!」と、観念しかけた時、例の鎌が独りでに立ち上がり、襲い掛かる大蛇に立ち向かった。
 夕日に照らされて、鎌の刃先が青白い強烈な光を放った。その瞬間、大蛇は体中の伸縮作用を喪失してうなだれた。絶命であった。

殿さまが「典太」を欲しがった

 信じられない光景に、呆然と立ち尽くす義之輔に、狩りの途中の殿さまが栗毛の上から声をかけられた。
「そなたが手にしておる三池典太の鎌を譲ってくれい」
「三池の何とか?この鎌はそんな立派なもんじゃありませんから・・・」
と、殿さまの頼みを断った。すると、馬から下りた殿さまが直々に頭を下げなさった。
「そなたの望みを何でも叶えるゆえ、ぜひ」
 そこまで請われて断ったのでは、失礼である。と言うより、下手をすれば打ち首にだってなりかねない。そこで義之輔は考えた。
「あのう、ちょっとばかり言い難いですが・・・」
「何なりと、申してみよ」
「はい、米が欲しゅうございます。それも、向こうの三池山が隠れるくらいに米俵を積んでもらえんでっしょか」
 容易(たやす)い御用、とばかりに殿さまは要望を聞き入れて、喜び勇んで馬上の人となった。

境内に米の山が

「殿さま、米俵ば山のようにですよ。約束ですよ」
 遠ざかる殿さまに、あらん限りの声を張り上げたところで、義之輔は長い夢から現実に戻った。せっかく米俵を貰う約束をしたのに・・・。がっくりと肩を落とす義之輔。


晋光寺の楼門


「そうだ!」、夢の中で鎌をくれた老人のことを思い出した。あのお方は、普光寺のご本尊だったのだ。義之輔は急ぎ寺の本堂に出向き、観世音菩薩に手を合わせた。
「何とぞ、米俵が正夢になりますように」と熱心に拝んで外に出た。するとどうだろう。普光寺の前庭いっぱいに米俵が積み上げられているではないか。
「こんなに早く、ご利益があっていいものか。これもまた夢なのか?」
 義之輔は、何度も何度も自分の頬っぺたをつねった。それからである。普光寺近くの村の名前が「米山(米の山)」とつけられたのは。(完)

 三池典太の仕事場は、米の山三叉路から少し北に向かった高泉だと伝えられている。義之輔は、ふるさと出身の大先輩からまたとない夢を見せてもらったものだ。
 大牟田市が、歴史的な刀の産地だとは、恥ずかしながらまったく知らなかった。それも第258話の「鍋子姫の墓」や、今年も愛でた臥龍梅の普光寺のすぐ近くだった。 大牟田地方では、現在も5人
(荒尾に1人と大牟田に4人)の刀匠が製作に心血を注いでおられるとか。
 ところで舞台となる米の山だが、60年の三池争議時に「がんばろう」や「心はいつも夜明だ」など数多くの労働歌を世に送った荒木栄が最期を送ったところ
(米の山病院)。また、「月は出た出た・・・、あんまり煙突が高いので・・・」の盆踊り曲も、このあたりが発信地点だった。写真は、米の山病院脇に建てられた荒木栄の顕彰句碑
 伝説紀行を続けていると、いろんな人や場所に巡り会うものだ。三池典太や鍋子姫など大牟田縁
(ゆかり)の“御仁”との「対面」も、筑紫次郎からのプレゼントなのかな。今年の「ふいご祭り」(11月最終日曜日・大牟田市倉永の天地稲荷神社)には、ぜひお邪魔したいと思っている。

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