雉谷の恨み節
原題:天神塚
大分県日田市(旧上津江村)
熊本県との境に位置する福岡県旧上津江村(現日田市上津江町)は、どこまで行っても限りない山岳地帯にある。ところどころに見える民家は、農業と林業を主な糧にしているようだ。
山いっぱいに繁る雑木は、筑後川の水源地帯を確保するために欠かせない保水機能である。支流の雉谷川の岸辺に素朴な石の鳥居が建っていた。「雉谷天満宮」という。もとはこの地に七つの塚が並んでいたらしい。そこでこのお宮さんのことを「天神塚」とも呼んできた。
天満宮といえば菅原道真を祭るお宮さんのこと。「学問の神さま」としては、大宰府の天満宮が有名なのだが・・・。
突然、妖怪の呻き声
今から270年もむかしの享保年間。奥津江(中津江・上津江の昔の呼称)の雉谷(きじや)というところに、太郎兵衛と次郎吉の仲良し青年が住んでいた。二人は、深い谷底の淵で釣り糸を垂らしている。
気がついたら、日は西の山に隠れていて、周囲は真っ暗闇に包まれていた。
「俺ん帯ばお前の腰に巻きつけろ、絶対に離しちゃいかんぞ!」
兄貴格の太郎兵衛が次郎吉に命令して、10間(18b)ほど登ったところで、妖怪の呻き声が頭の上から降ってきた。
「うぃふふ、うぃふふ」、思わず次郎吉が太郎兵衛にしがみついた。
ひょっとして天狗か?
「うぃふふ、うぃふふ。ぬしらの先祖に恨みがある」とも聞こえる。薄気味悪いしわがれ声が少しずつ近づいてきたところで、二人とも気を失ってしまった。
夜が明けて、太郎兵衛が目を覚ました。気を失う前に、二人を繋いだ帯が大木に引っかかっていて、それが命を救ってくれたらしい。
「今時、こん山ん中で幽霊でもなかろうに」
「うんにゃ、いるかも知れんぞ。ひょっとしたら天狗かも」
二人の話を聞いた村の青年たちは、皆半信半疑である。それならと、夜更けを待って昨夜のあの場所に出向くことにした。怖いもの見たさで、村の元気者数人もついてくる。漆黒の闇の中で、見えない恐怖の出現を待った。
「うぃふふ、うぃふふ、…」
高い木のてっぺんから、例の薄気味悪いしわがれ声が下りてきた。「出た!」、真っ先に腰を抜かしたのは、「迷信、迷信」と、二人の話を疑っていた男だった。
道真公と都人に許しを乞う
へとへとに疲れて戻ってきた青年たちの話を聞いた長老が、むかしからこの村に伝わる話を持ち出した。
「何でも、700年か800年前に、都からお人が7人でおいでになって、大宰府で亡くなった菅原道真公をお祭りするよう頼んだそうな。里人は言うことを聞くどころか、彼らを谷底に突き落としてしまった」
「それで…?」
村の青年たちの唇が青ざめてきた。
「道真公が亡くなった直後から、日本中で地震は起こるわ、大水は出るは、蝗(いなご)は大発生するわで、飢饉が続いていた。それが道真公の祟りだなどと知る由もない山奥のもんは、『神さまは山の神だけで十分だ』と言って殺してしまったってことだ。谷底に突き落とされた都の人たちの恨みは、700年経った今も消えてはいなかったんだな」
長老は、話し終わったところで、額の脂汗を拳で拭き取った。
谷底からの恨み節を怖がって、人が外出もできなくなったら大変だというわけで、村の者は雉谷の村中(むらなか)に、殺された7人の塚を築いた。加えて、先祖が犯した罪を償うために道真公の分霊をお祭りした。「雉谷天満宮」の始まりだ。
お陰で、以後妖怪の不気味な声は、雉谷の谷から消えた。(完)
菅原道真:平安時代、宇多天皇に重用されて右大臣まで上り詰めたが、時の左大臣藤原時平によって大宰府に左遷される。失意のうちに大宰府で死去するが、その後天変異変が相次いだため、時の政府は彼を神(天神)として崇め、霊を慰めるために全国各地に天満宮を祀った。京都の北野や大宰府の天満宮がそれ。
3年ぶりに上津江を訪ねた。平成の大合併で、村全体が日田市に吸収されてしまっていた。所番地は変わっても、景色は変わらない。四方が完全に山で囲まれ、いたるところで水が噴き出ている。ゴーゴーと落ちる滝の音や、すさまじい急流も、谷が深すぎて覗くことすらできない。
何度か道を訊いて、ようやく西雉谷の天満宮を探し当てた。村の人たちの心の支えになっているのだろうか、本殿も境内も、蜘蛛の巣一つなくきれいに掃除されていた。雉谷と太宰府天満宮との関わりを考えてみる。雉谷川から上野田川、下筌ダムを下りていけばやがて筑後平野に到達する。その途中から宝満川を上れば、そこが大宰府なのだ。雉谷も筑紫も、わが筑紫次郎のふるさとの内なのだ。
せっかくだからと、すぐ近くのオートポリスを訪ねた。そこはスピード狂たちの集合場所で、耳を劈(つんざ)くばかりの金属音が絶えない。こんなに喧しいところなら、天神さまも逃げ出したいのではあるまいか。
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