伝説紀行 水天宮のカッパ  久留米市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第260話 2006年06月04日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

水天宮のカッパ

久留米市


筑後川に浮かぶ水天宮茣蓙船

 筑後川岸に祭られる水天宮は、水の神さまである。御祭神は、平清盛とその妻(二位の尼)、それに孫君の安徳天皇で、いずれも平家(ゆかり)の人物ばかりだ。
 筑後川では、むかしから九千坊と名乗るカッパの大将が君臨してきた。“かれ”は、あるときは、水田に貴重な水を送り込む善玉として尊ばれる。そしてまたあるときの九千坊は、人間に悪さばかりする嫌われ者として軽んじられてきた。写真:筑後川から見上げる水天宮
 果たして九千坊は善玉なのか、それとも悪玉なのか。はたまた、水天宮とカッパとの因果関係やいかに。筑後川の境内からじっくり観察してみることにしよう。

九千坊が威張っている

 ときは江戸時代。水天宮の社務所では、今日も氏子らが集まって相談ごとの真っ最中。
「最近のカッパは、畠の野菜ばかっぱらう(盗む)だけじゃ気がすまんで、小(こ)まか子供んじご(はらわた)ば尻から引っ張り出して食うごつなったげな」
「そうたいね。カッパどんな、そんくせおごらるっと(怒られると)すぐ、『俺たちは9000匹のカッパの親分・九千坊さまの子分ぜ』ち言うて、威嚇するげな」
「カッパどんな、人間さまよりよっぽど高等な生き物じゃと思うとるから、始末に悪か」
 世話人たちの愚痴は尽きない。
「そんなら、カッパどんが言うプライドちゅう奴の鼻ばへし折ってやればよかじゃんか」
 その時、氏子総代の清之介が身を乗り出した。
「どげんすっと?」
「ここは、神さまに一番近くにおらっしゃる神主さんにお出まし願わにゃならんない」

水天宮祭礼に招かれて

 4月5日の「水天宮さん(祭りをこのように呼んだ)がやってきた。近年は5月5日に執り行われる祭りだが、むかしは旧暦の4月5日だったのだ。
 案内を貰った九千坊が喜んだこと。水天宮境内にある座敷では、床の間を背にして神主さんが。カッパの九千坊も大勢の子分カッパを従えて上座に案内された。
「この度九千坊先生をお招きしたところ、快くご臨席いただきまして、この上なき幸せにござりまする」
 氏子代表して清之介が歓迎の挨拶を伸べると、九千坊がそんなに高くもない鼻を無理やり尖らせて会釈した。
 宴も酣(たけなわ)になって、余興に人間とカッパの対抗戦が始まった。五番勝負で3勝したほうが優勝とする。負けたチームは、罰として勝者の要求を無条件で受け入れなければならないというルール。審判は、水天宮の神主さんである。

カッパと人間の闘いが…

 まず最初に、庭先での相撲大会。カッパ界の横綱が、あっさりと氏子の力持ちを投げ飛ばしてまず1勝。次はキュウリの大食い競争。これも氏子連ではカッパの足元にも及ばない。たちまちマッチポイントとあいなった。
 勝負を決める3番目は、境内3周の障害物レースとあいなった。豌豆(えんどう)の蔓(つる)を跨いだり、しゃもじに乗せた卵を落とさずに走ったり。これにはカッパがズッコケ放しで負け。4番目は喉自慢。カッパの歌い手が「筑後川音頭」を披露すれば、氏子連は美人の娘が出揃って「そろばん踊り」を賑やかに。場の盛り上がりが最高潮に達した。神主さんの判定は微妙な差で氏子連の勝利に。
「そんなー」と九千坊が不服を申し立てたが、神主さんに睨まれてしぶしぶ引っ込んだ。2対2になっていよいよ最後の大一番。
 炊き立てのタケノコご飯の大食い競争とあいなった。九千坊、願ってもない種目とあって自らが選手に名乗り出た。タケノコこそ人間社会の最高級食材だと思っているからだ。九千坊がでるなら、氏子連からは総代の清之介が。
 それぞれに盛られたどんぶりに食いついたものの、九千坊のほうは噛めども噛めども、具のタケノコに歯が立たない。清之介はというと、瞬く間にどんぶり5杯を平らげた。

タケノコには歯が立たず

「水天宮氏子連の優勝。カッパチームの負け」
 神主さんが厳かに判定を下すと、九千坊とその一行はすごすごと筑後川に戻っていった。
「カッパは、人間にはかないまっせん。なぜなら、人間社会の最高食材であるタケノコご飯に歯も立たなかったのですから・・・」と言い残して。九千坊にとって、人間の暮らしの知恵には歯が立たないことを認めたのだ。世話人の一人が清之介に尋ねた。
「毎日川ん中で小魚ば捕まえて食いよるカッパが、歯だけは強かはずなのに、何でタケノコば噛めんとかいな?」と。清之介が腹を抱えて笑いながら答えた。
「それはさい、九千坊のどんぶりには竹になりかけの硬か節のとこばよそおったとたい。俺のには、掘りたての柔わかなとこばない。これ、九千坊には内緒ぞ」
 清之介は、勝ち誇ったように2本の指を自分のこめかみにあてた。「頭の勝負よ」と言いたげに。(完)

 そんな卑怯な手を使わなければ、カッパとの闘いに勝てない人間も哀れなものだ。
 安産の神さまで有名な東京・蛎殻町の水天宮は、久留米水天宮を分祀したものである。さすが久留米のほうは、本社だけあって境内が広くて立派なもんだ。平家贔屓の筑後の民は、二位の尼(清盛の妻)も安徳幼帝も、誰も壇ノ浦で死んでいないと信じてきた。平家の総帥・平清盛をはじめとして、安徳天皇と二位の尼を
天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)と合わせてお祭りしたのもそのためである。
彼らはそれだけでは気がすまずに、清盛らはその後もカッパに姿を変えて、筑後川に棲みついたのだという。「九千坊=清盛」の構図も、このようにして描かれていく。水天宮と平家を結びつけながら筑後川を眺めていると、いつでもカッパが顔を出すよ。
 さて、「水天宮」の名前だが、下関市の赤間神宮に聳える竜宮造りの楼門に掲げられている額の「水天門」と関係あるのだろうか。神宮では、祭神である安徳幼帝のことを「水天皇大神」と称えている。同じ安徳幼帝を祭神として祭る久留米の水天宮の名前の由来であっても不思議ではない。

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