伝説紀行 羅漢寺の大蛇  中津市(耶馬溪)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第254話 2006年04月23日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

仏像群の守護神

羅漢寺の大蛇


2007.05.06

福岡県中津市(耶馬溪)


寺を守った大蛇

 今回は、耶馬溪の羅漢寺を訪れた。このお寺、険しい岩場をくり貫いて建てられている。全国羅漢寺の総本山だとか。何でも、640年前にインドの法道という仙人がこの山で修行して開いたものらしい。
 寺内には、くり貫いた無漏洞(むろどう)に、五百羅漢や千躰地蔵などが祀られている。壮観の一語に尽きる。
 往復700円の有料リフトに乗って寺の本堂に赴いた。400年以上もむかしの戦国時代。寺の焼き討ちを図った大友宗麟の大軍を蹴散らした大蛇伝説を確かめるためであった。五百羅漢のすぐ前に、岩を刻んで造られた龍の像が見えた。激しい形相で周囲を睨みつける龍が、どのようにして大軍に立ち向かったのか、興味は尽きない。

羅漢:阿羅漢の略。仏教の修行の最高段階、またその段階に達した人。
羅漢寺の五百羅漢:南北朝期に京都建仁寺の昭覚禅師が、中国天台山の僧建順と彫ったものと伝えられる。
千躰地蔵:室町期、普覚禅師という高僧が、この千躰地蔵と十王尊を刻み安置したといわれる。納められている石仏の数は1100体以上。

屋根の上に3尺の蛇が

 時は戦国時代の天正9(1581)年頃のこと。羅漢寺は、平穏な日々を送っていた。寺男の伴助は、朝晩寺内の仏像に挨拶して回るのが慣わしであった。挨拶が終れば、今度は本堂や各祈願所の掃除が待っている。
「今日も一日、寺が無事でありますように」
 本堂の前庭を掃きながら大屋根を見上げると、体調が3尺(90a)くらいの蛇がどくろを巻いているのが目に入った。
「いかに高い所が平気な生き物でも、この高さから落ちればただではすむまいに」
 伴助が心配しているところに住職が通りかかった。
「あの蛇はな、寺の守り神なんじゃよ」

寺を攻めに大友軍が

 夜も更けて、下手のほうから異様な叫び声が聞こえた。山全体を揺るがすような叫び声が塊(かたまり)になって、寺に押し寄せてくる。伴助が目を凝らすと、彼方から何十、何百の松明が、激しい勢いで山を登ってくるのが見えた。
「ただごとではないの」
 知らぬ間に住職も、心配そうに伴助の傍に並んだ。
「大友宗麟の兵じゃろうよ。先日は彦山の宿坊をことごとく焼き払ったと言うし…」
「何でそんなに仏さまが憎いのですか、大友という殿さまは?」
「まったく話にもならん理由よ。大友宗麟がキリシタンだから、違う宗教はすべて邪教だと。だから、仏像の首を刎ねたり、寺を焼いたり、仏に仕えるものを殺したりと、やりたい放題さ」
「そんなあ」
 聞いている伴助の口が塞がらなくなった。そんなこんなを話しているうちに、雄叫(おたけ)びはすぐ近くまで迫った。住職は、修行中の若い僧を集めてご本尊の前に座らせ、寺の安泰を祈願し続けた。

異教の仏を壊滅せよ

 伴助も生きた心地がせず、大樹の陰に隠れていた。
「殿の厳命である。仏の首を残らず切り落せ。伽藍と洞窟はぶち壊せ。歯向かうものあらば容赦はいらぬ。僧侶であれ、女子(おなご)であれ皆殺しだ」
 隊長らしい男のだみ声が、山中に響き渡った。登ってきた大友の兵はざっと500。髭面の隊長が本堂の屋根を指差している。写真は、羅漢寺の五百羅漢像
「蛇だ!大蛇だ!」「うんにゃ、ありゃ龍じゃ!」、口々に叫びながら、一歩二歩と後ずさりを始めた。大樹の陰で彼らの会話を聞いていた伴助が小首を傾げた。
「そんなはずはない。屋根に棲んでいる蛇は、たかが3尺くらいなものだ。兵が持っている槍で一突きすればすむことなのに・・・」
 伴助は、半信半疑でそっと麦藁屋根を覗いた。
「あっつ!」
 思わず叫びそうになって、慌てて自分の口を押さえた。

蛇は体調10間の大蛇に変身

 なんと、なんと。大屋根いっぱいに蛇が巻きつき、鎌首(かまくび)をもたげて兵たちを睨みつけている。胴回りはざっと10尺(3b)、体長は少なく見積もっても10間(18b)は下らない。そんな化け物が、3筋の舌を上下させながら兵たちを威嚇しているのだ。この世の光景とは思えない図であった。伴助の体の震えが止まらなくなった。
 大蛇の首が庭に向かって垂れ下がり、真っ赤な口をあけて隊長に近づいた。その途端、黒雲の隙間から発した幾筋もの雷光が瞬時に地上と直結し、轟音とともに隊長の兜を直撃した。バタバタと兵たちが倒れていく。
 大蛇は、勝ち誇ったように兵の屍を乗り越えながら、更に次なる敵に向かっていった。目の前の恐ろしい光景に堪えきれず、伴助は気絶してしまった。

仏を守って消えた

「ともすけ、ともすけ」
 住職の声で目を覚ました伴助。すっかり陽が昇って、昨夜の出来事が信じられない静けさであった。
「大蛇はどこへ?」
 伴助は、かすれる声で住職に尋ねた。
「そんな大きな蛇なぞこの世にいるわけがなかろうが。何?イカズチ(雷)だと? 昨夜から今朝まで、雲ひとつないよい天気じゃ」
 住職は、伴助の言っていることが理解できずにいる。
「それなら、和尚さま。攻めてきた大友の兵は?」
「それじゃよ。数百もの大友勢が山を登ってきたところまでは、確かに我が目に映った。だが、その後は弟子たちといっしょに仏に祈っておったでな、よくわからんのだよ。気がついたら、大友軍らしい輩は、一人もいない」
「そんなはずはありません。確かに私の目の前で、何人もの兵がイカズチに撃たれて倒れました。更に何人かは、屋根から下りてきた大蛇に踏み潰されたのです」
「守ってくれたのだよ、昨日屋根の上にいた蛇が…。大蛇に変身して」
 住職は、自分の考えに納得したのか、何度も何度も頷いて、またご本尊の前に座り込んだ。その後、屋根の上の蛇を見かけたものはいない。(完)

 羅漢寺を訪ねたのは、4月半ばのさくらが終った時期であった。山国川の支流である跡口川を渡ると、眼前を羅漢山が遮る。短いトンネルを潜ったところが寺に通じるリフトの乗り場だった。
 寺は中腹の岩場ををくり貫いて建てられている。五百羅漢や千躰地蔵群を眺めているだけで、体中に霊気がさし込んでくるような気分になる。寺の境内には3700体もの仏さまが祀られているとか。
 目的の「羅漢寺の大蛇」は、五百羅漢を祀る無漏洞
(むろどう)のすぐ前に石像として祀ってあった。何か変だなとよく見ると、それは大蛇ではなくて龍の頭(かしら)である。それにしても、迫力ある彫刻ではある。写真は、古代から残る山門
 本堂脇で説明に当るご婦人に愚問を投げかけた。
「あんな立派な銅板の屋根では、大友軍を追い払った大蛇も居心地が悪かったでしょうに?」と。「この本堂は昭和18年に火災で焼失するまでは、粗末な麦藁屋根だったんです。建てられて600年もの間、守られてきたのですが…」、消失がいかにも悔しそうなご婦人の表情。「つけ火ですか、それとも落雷によるもの…?」。「里の民家の火事が飛び火したものと聞いています」
 言われて、下界を見下ろした。遥か彼方の民家の傍に、僕を待っている愛車らしい小粒が見える。「雷にも負けず、仏嫌いの大友宗麟をも跳ね除けてきたものが、どうして何百bも離れた民家の火事くらいで…? なんで守り神が助けてくれなかったのですかね」と問いかけても、ご婦人は「そこまではわかりません」と、愚問を発する相手を蔑視しているよう。

 1年ぶりに羅漢寺を訪ねた。今回は息子の嫁さんと2人の孫を案内して。5歳の孫は、スリル満点のリフトがお気に入り。間違って握り棒を離したりしないかと気が気ではない。膝に乗っている2歳の孫は、これまた下界を見下ろしながら興奮のしっぱなし。岩をくり貫いたダイナミックな造形に関心を示すのは上の孫。下の女の子は五百羅漢の一人一人の表情が「面白い」と言ってその場を離れようとしない。
 仏に願いごとをしたり、新緑と奇岩のコントラストに魅入るのは大人ばかりだった。(2007年4月30日)

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