伝説紀行 亀翁山 日田市
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
煩悩に泣く老亀 亀翁山由来 大分県日田市
三隈川とは、日田市中を流れる筑後川の別名である。日田盆地における「三隈」とは、日隈・月隈・星隈からなるそうな。日田温泉の目の前に浮かぶ標高20bほどの丘が、そのうちの一つの日ノ隈山。そこから庄手川・隈川・三隈川(筑後川本流)の三方向に分れて、北方の水源地へと駆けのぼる。 薬師さまにすがる 時代を仮に室町時代としておこう。陽が落ちて、日ノ隈山が深い闇に包まれる時刻である。頂上にお祭りしてある薬師如来の堂守・源助が、今日の役目を終えて下山しかけた。すると、鬱そうと繁る大樹群の間から、白い衣の上に黒っぽいマントのようなものを羽織った人影が浮かび上がった。
人影は、薬師堂前に額ずいて熱心に願い事をし始めた。かすかに見えるその人相はというと・・・。 長生きしても、なお生きたい 源助は不思議な老人のことをもっと知りたくて、翌晩も薬師堂の前で待った。老人は昨夜と同じ時間に現れて、熱心に祈祷を繰り返した。
「ご覧のように、私奴は間もなくこの世にお別れを告げる年寄りです。このように長く生きてこられたのですから、死ぬときくらいはすべての煩悩から開放されて、静かに往生したいものです」 煩悩:衆生の心身を煩わし悩ませる一切の妄念。「百八煩悩」「八万四千の煩悩」は、煩悩の多いことを表現したもの。これら一切の煩悩を絶滅することが解脱への道の要訣(ようけつ)とされる。 執念を断ち切るお薬師さま 源助はその次の晩も老人を待った。だが、老人は現われなかった。夜が明けて、朝もやの向こうに人影を見たような気がしたが、それも幻だったようだ。 その後人々は、薬師如来を祀る日ノ隈山のことを亀翁山と呼ぶようになった。(完) 日田盆地を囲む四方の山々に降った雨が、すべて亀山公園を取り巻く三隈川に流れ込んで来る。それまで小さかった川が一気に大河となるのは、この場所である。日ノ隈山の岸辺は、いずこも深い淵をなしている。対岸の銭淵には、人間に祟りを及ぼすカッパの大群が棲んでいるという。そしてこちらの隈の深部は、長生きの象徴である亀が支配する。万年も生きた亀でも、もっと長生きしたいと思うものなのか。源助に看取られた老亀の子孫たちは、今もなおこのあたりに棲んでいるのかもしれないな。
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