伝説紀行 亀翁山  日田市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第249話 2006年03月19日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

煩悩に泣く老亀

亀翁山由来

大分県日田市


日ノ隈山(亀山公園)全景

 三隈川とは、日田市中を流れる筑後川の別名である。日田盆地における「三隈」とは、日隈・月隈・星隈からなるそうな。日田温泉の目の前に浮かぶ標高20bほどの丘が、そのうちの一つの日ノ隈山。そこから庄手川・隈川・三隈川(筑後川本流)の三方向に分れて、北方の水源地へと駆けのぼる。
 すぐそばの日田温泉旅館の下駄を突っかけて登ってみると、頂上に社(やしろ)が建っていて、後醍醐天皇と楠正成、それに春日大神の三柱が祀ってあった。春日大神は室町時代より前から祭られていたそうだが、後の二神は明治維新時の神仏分離令によって他から移されてきたものだとか。
 神社本殿の正面には、「日ノ隈城址」と書かれた石碑が建っている。日田の郡令であった宮木長次郎(豊臣秀吉の家臣)が築いた城のことだ。
 公園は、「亀山公園(きざんこうえん)」と呼んで、今では市民の憩いの場所になっている。「亀山」は、もとを正せば「亀翁山」と呼んだそうだが…

薬師さまにすがる

 時代を仮に室町時代としておこう。陽が落ちて、日ノ隈山が深い闇に包まれる時刻である。頂上にお祭りしてある薬師如来の堂守・源助が、今日の役目を終えて下山しかけた。すると、鬱そうと繁る大樹群の間から、白い衣の上に黒っぽいマントのようなものを羽織った人影が浮かび上がった。


三隈川に流れ込む花月川

 人影は、薬師堂前に額ずいて熱心に願い事をし始めた。かすかに見えるその人相はというと・・・。
 長い首と小さくて丸っこい顔は深い皺で蔽われ、目も口もその中に隠れてしまっている。何百年も何千年も前から生きてきた仙人のようだ。
 ムササビが老人の頭上を急旋回した。その時、彼は素早く頭を衣の中に隠して難を逃れた。瞬きする間の出来事であった。
 しばらくして、「よいしょ」と立ち上がった老人は、また細い山道を下りていった。源助は、不思議な老人の後をつけた。山を下り終えて川に突き出た巨岩の前で、老人の姿は消えた。 

長生きしても、なお生きたい

 源助は不思議な老人のことをもっと知りたくて、翌晩も薬師堂の前で待った。老人は昨夜と同じ時間に現れて、熱心に祈祷を繰り返した。
 3日目、4日目と、老人の深夜の願掛けが続いた。
 老人が薬師参りを始めて17日目のこと。源助はたまらず声をかけた。


日ノ隈神社正面

「ご覧のように、私奴は間もなくこの世にお別れを告げる年寄りです。このように長く生きてこられたのですから、死ぬときくらいはすべての煩悩から開放されて、静かに往生したいものです」
「できないのですか?静かな往生が」
「頭ではわかっていても、この期に及んで、死にたくない気持ちが勝ってしまうのです。ですから・・・」
「・・・」
「捨てきれない生への執着を、何とか聞き届けてくださらないものかと・・・」
「それで、お薬師さまはあなたに何と?」
「満願の夜まで待て、と」
「その満願の日とは?」
 老人は、また「よっこらしょ」と掛け声をあげて立ち上がると、黙ったまま手を振って樫の大樹の向こうに消えた。

煩悩:衆生の心身を煩わし悩ませる一切の妄念。「百八煩悩」「八万四千の煩悩」は、煩悩の多いことを表現したもの。これら一切の煩悩を絶滅することが解脱への道の要訣(ようけつ)とされる。

執念を断ち切るお薬師さま

 源助はその次の晩も老人を待った。だが、老人は現われなかった。夜が明けて、朝もやの向こうに人影を見たような気がしたが、それも幻だったようだ。
 仕方なく山を下りた。岸辺の巨岩の脇に目をやると、そこに大きな亀の死体が打ち上げられていた。亀の甲羅は、あちこちが蝕まれたように欠けていて、苔とか貝殻がくっついている。閉じた両目を被う分厚い皺の間から、涙らしい三筋の滴りの跡が見えた。
「老人の正体は、三隈川に棲む亀だったのか! 何千年もこの世に生きてきて、なお生に対する本能を捨て切れなかった老亀が、薬師如来にすがっていたんだ。ならば、満願の夜とは・・・?」
 昨夜がその日だったのかもしれないな。薬師如来に手を引かれて、仏の世界へと去っていったのだろう。源助は、亀の死体に両手を合わせた。

 その後人々は、薬師如来を祀る日ノ隈山のことを亀翁山と呼ぶようになった。(完)

 日田盆地を囲む四方の山々に降った雨が、すべて亀山公園を取り巻く三隈川に流れ込んで来る。それまで小さかった川が一気に大河となるのは、この場所である。日ノ隈山の岸辺は、いずこも深い淵をなしている。対岸の銭淵には、人間に祟りを及ぼすカッパの大群が棲んでいるという。そしてこちらの隈の深部は、長生きの象徴である亀が支配する。万年も生きた亀でも、もっと長生きしたいと思うものなのか。源助に看取られた老亀の子孫たちは、今もなおこのあたりに棲んでいるのかもしれないな。


対岸の銭淵あたり


 再び温泉宿に戻って、湯船に浸かって亀の気持ちを思ってみる。俺も元気なうちに煩悩を捨てて、優しい如来さまに導かれたい。だが、風呂を出て宴会が始まると、そんなことなどケロッと忘れて、呑んで踊って、馬鹿言って。「人生これからなんて粋がったりもしましたよ。

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