伝説紀行 市の塚史跡  筑後市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第246話 2006年03月05日版
再編:2019.03.17
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

平家は筑後でも戦った
市の塚史跡

福岡県筑後市


尾島の市の塚

 筑後市中心部から国道209号を南に進むと、花宗川岸辺に由緒ありそうな「二本松白瀧神社(にほんまつしらたきじんじゃ)」を見つけた。境内には「玉鶴霊社」と書かれた大きな石碑が置かれている。この地は、古くは「平家堂」と呼び、平家の落人伝説が伝えられているところ。白瀧神社から更に南へ1キロあまり、船小屋温泉のすぐ手前の「尾島」交差点そばには、「市の塚」という名の落人遺跡もあった

軍団を追って平家の姫が

 時は、壇ノ浦の合戦(1185)で平家が滅亡してから20日も経たない頃の昼下がりであった。ここ二本松の村(現筑後市)に、女一人と供侍風の男5人が通りかかった。一行は歩くのもやっとといった疲れようである。


玉鶴姫を祀る花宗川ほとりの白瀧神社

「ちと、ものを尋ねるが…」、農作業中の夫婦に、供侍の一人が声をかけた。
「肥後に向かう一行を見かけなかったか?」
 亭主の時助は、慌てて一行を池の傍の楠の陰に連れ込んだ。
「大変でございましたよ、この辺一帯は・・・」
 時助夫婦が話すには、2日前に、赤い幟を掲げた武士の一団が通りかかった。彼らを追いかけてきた源氏の追手が一団に襲いかかった。
「源氏に雇われし虫けらども。我らの行く手を邪魔するものは許さん」
 鎧に重ね菱の紋所をあしらった軍団の大将らしき男が、全軍に徹底抗戦を命じた。後は、いつ果てるともわからない戦いが続くことに。

追手との死闘が筑後路で

「命耐えて井手の濁り水に顔を突っ込むもの、命からがら逃げ回る者、それは一言では言い表せない壮絶な戦いでした」
 時助と女房は、思い出すのも気持ちが悪いといった仕種で眉をひそめた。
「大方の勝負がついたのは、日も暮れてからのことでございました。何人が逃げられたのか、わしらにはわかりません。しばらくしてからでございました」
 時助や村人は、夜明とともに一帯に転がっている武将や雑兵の遺体を集めた。遺体は圧倒的に平家方が多かった。
「それは、散乱する平家の赤い幟(のぼり)を見ればすぐにわかることですから・・・」

侍大将は辞世を残して

 時助たち村人は、死臭が充満する中で、集めた遺体を丁寧に埋葬した。一つ一つの墓の土盛には、今まさに満開の桜の枝を手向けた。土盛した墓の数は、全部で56基にもなったという。


壇ノ浦合戦場跡

「して、…その中に重ね菱の紋の鎧を着た武士を見なんだか?名前を浅山小次郎と申すのじゃが」
 初めて一行の主人らしい女が声を出した。
「このお方は、御所でお過ごしの位の高い玉鶴姫さまでござる」
 供侍が、時助夫婦に紹介した。さすがに都で暮らす女房は言葉一つにも品が漂う。傍で女房が、浅山小次郎の最期を見届けたと申し出た。
「その御大将なら、虫の息ながら私にこれなる書状を渡されました」
 差し出したのは、皺くちゃの懐紙によれよれの文字を記した辞世であった。
「武士の命を売るや市の塚 立そめしよりかうと思えば」

絶望の姫は…

「夫を埋めた墓はどこじゃ?」
「あそこでございますよ」
 女房は、南の方角の尾島を指差した。
「あれか?」
 玉鶴姫は、女房の指の先を確かめた。何のことはない、僅か10町(約1000b)ほど先を指差したのに、玉鶴姫はその遥か向こうに聳える清水山と勘違いしたのだった。
「我が夫に一言なりとも別れを申し上げたかったのだが、あんな遠くでは・・・。それに源氏の追手がすぐそこに迫っているというではないか。これまでじゃ」
 ふらふらと立ち上がった玉鶴姫は、目の前の池に身を投げて帰らぬ人になってしまった。供侍5人も、時助夫婦の親切に礼を述べると、我先に井手に飛び込んだ。
 村人は、目の前で起こった出来事をしばらくは理解できなくていた。
 こうして、二本松の川岸に玉鶴姫と供侍の塚が祀られた市の塚には、夫の浅山小次郎が葬られた。玉鶴姫が身を投げた池を、平家の赤い幟にかけて「赤井手」と呼ぶようになったそうな。(完)

 尾島交差点そばの「市の塚」史跡を訪ねた。「塚といっても、形はないですよ。今では敷地全体が地名(字)になっていますから」と市役所の文化財担当の人が教えてくれたことを思い出した。なるほど、銀杏の古木の向こうにいくつかのお堂や祠が建ち、供養塔と地蔵群が見える向こうは、公民館があるだけの静かな空間であった。
 表の209号は、大型トラックがひっきりなしに通って砂埃を撒き散らしている。ここは全国的にも悪名高い、新幹線の船小屋駅の建設現場のすぐ近くだったのだ。僕が820年前の平家滅亡の瞬間に夢をめぐらせている間も、税金の無駄遣いの典型である九州新幹線建設は、着々と進行していた。

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