伝説紀行 釜屋淵  立花町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第240話 2006年01月01日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

福岡県立花町

2007.06.24

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

竜宮城への入口
釜屋渕の浦島
八女市立花町

 
田形の釜屋宮

 立花町と黒木町を結ぶ釜屋橋上で、矢部川を挟んで向かい合う二つのお宮さんを見つけた。右側が田形(立花町)の釜屋宮。左に見えるのが湯辺田(黒木町)の釜屋神社である。土地の人に尋ねたら、江戸時代初期(徳川家光の時代)に、田形村の釜屋宮を分祀して湯辺田村の釜屋神社が創建されたということ。二つの神社の仲を取り持つ矢部川の釜屋淵は、底なしを連想させるほどにコバルト色が濃い。
 古くから、この淵が竜宮に通じていると言い伝えられてきた。その竜宮におわす水神さまが、八女地方への水を護ってくれているとのこと。

水神さまにお祈りしたら

 平安時代も半ばの頃である。八女地方は旱魃と大雨の繰り返しで、毎年のように不作が続いていた。矢部川べりの釜屋の里も例にたがわず、食うに困る状態だった。このような異常気象のもとはと言えば、失意のうちに太宰府で死んだ菅原道真公の祟りだと皆んなが信じている。
「水神さま、道真公の霊をお慰めください」
 釜屋の里に住む若者・太郎兵衛は、釜屋淵に採れたての米と野菜を流しながら熱心に手を合わせた。
 水面はあくまでも青く、さざ波に揺れる水面がまぶしかった。その時、突然浮かび上がった大きな亀が、太郎兵衛の前でしゃがみこんだ。「どうぞ、私の背中にお乗りください」と誘っているようである。写真:赤間神宮の楼門
 太郎兵衛が恐る恐る大亀の背中に乗ると、たちまち水中へ。日の光が届かなくなる水深でいったん視界が途絶えた後、今度は眩いばかりの海底が広がった。昆布や珊瑚礁の林の向こうに煌(きら)びやかな楼門が立ち塞がった。

着いた所が竜宮城

「私は、地上で水神と敬われる竜宮城の乙姫です。世のため人のために祈るそなたの心優しさにほだされ、お招きしました」
 黄金の冠と色鮮やかな衣装をまとった美しい女性が、微笑みながら太郎兵衛に歓迎の意を伝えた。ご馳走と舞いや踊りに酔いしれたあと帰り仕度を始めると、「おみやげに」と乙姫さまが直径1bもある卵を持たせてくれた。
「これは、地上に永遠の楽園を築いてくれる龍の卵です。でさが、間違っても陽のあたる場所に置かないように」と念を押された。
 太郎兵衛が再び亀の背中で釜屋淵の水面に上がると、夜明け前でまだうす暗かった。
「見かけないお爺さんだが、どこから来なさった?」
 通りがかりの農夫に呼び止められて見渡すと、そこは前に住んでいた釜屋と違う。それに、生まれて20年しかたっていない自分に、年寄り呼ばわりされたことが気に食わなかった。

いつの間にやら700歳

「菅原道真公の祟りを治めてもらおうと、竜宮の神さまにお願いに行ってきたんじゃが…」
「そう言えば、釜屋宮の神主さんが天神さんの話をしとったな。あの時、祟りを恐れて全国いたるところに天満宮を建て、道真公の霊を慰めたんだそうじゃよ。あのお方が亡くなって既に700年も経っている」
「700年! ということは、わしの年齢は700歳ちいうことか」
 竜宮に行くため亀の背中に乗ったときから、まだ4日か5日しか経っていないはずなのに。水鏡に写した己の頭は真っ白で、額も皺だらけの年寄りであった。
「…して、淵の側に建つあれは?」
「湯辺田村の釜屋宮たい。黒木の源助能ちいう殿さまが500年前に建てなさった水神さんげなばい」

みやげに貰った龍の卵は?

「それなら、川の向こうのあれは?」
「あれは田形村の釜屋宮たい。あっちは最近久留米ん殿さまが建てなさった」
「何で? 同じ名前の水神さんが二つもあると?」
「徳川さまの世になって、筑後ん国が北と南に分れてしもうて、矢部川んむこうとこっちが別々の国になったもんじゃけな。それぞれに神さんは要るけんね」
 農夫が立ち去った後、太郎兵衛はどこからどこまでが夢なのか(うつつ)か、わけがわからなくなっていた。
「しもうた!乙姫さまに貰うたおみやげが…」
 夜明け前から夢中で農夫の話を聞いている間に、みやげの龍の卵のことをすっかり忘れてしまっていた。その間に陽は上空に上がり、淵の砂が裸足では踏めないくらいに熱しられていた。(写真は、湯辺田の釜屋神社と大楠)
「間違っても陽のあたる場所に置かないように」との乙姫さまの言いつけを忘れてしまっていたのだ。確かに置いたはずの場所に卵がない。代わりに、以前には存在しなかった卵型の大きな岩が一つ、岸辺に転がっていた。
「地上の楽園も、これで永遠に絶望なのか」
 90度に折れた腰を擦りながら、700歳の老人が杖を頼りに上流に向かって歩いていった。(完)

 全国に散らばる「浦島伝説」が、矢部川のほとりにも現存した。竜宮に通じているとなれば、釜屋淵はその入り口としてうってつけの景観である。
 先日降った雪が残る矢部川の岸辺に降りると、目の前に釜屋淵が広がった。呆けていると、底なしの淵に誘い込まれそうな凄みを感じる。周囲が岩と山に囲まれているせいか、静かなこと。
 湯辺田の釜屋神社は、大岩盤の上に建てられている。祠の脇には幹周り10b・樹齢600年の大楠がへばりついている。境内を半周すると眼下に釜屋淵が。淵の向こうには田形の釜屋宮の玉垣が見える。絵心を誘う構図であった。
 さて、伝説の「龍の卵」らしき岩はどこに転がっているのか。いくら見回してもそれらしいものは見えない。縁起のいい「龍の子」と聞いて、どこかの欲張りが庭石にでもしていなければよいが、と思いつつ帰路についた。1週間後に新年を迎える筑後路は、静寂の世界にあった。
 

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