伝説紀行 寒の地獄  九重町 飯田高原


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第233話 2005年11月13日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

寒の地獄

猿が教えた温泉

大分県九重町

  大分自動車道の九重インターから飯田高原へ。急坂を登り詰めると、「長者原」三叉路に行き着く。右折して間もなく、左手に「寒の地獄温泉」の看板が目に入った。九重の山を楽しむ方々にとってはお馴染みの休憩所である。写真は、星生山と硫黄山の煙
 玄関に通じる小道を進むと、独特の匂いが鼻をつく。間断なく噴出する硫黄分を含んだ地下水が小川に流れ出ているからだ。温泉と聞いて、いきなり「湯船」にでも飛び込もうものなら、危なく失神しかねない。
 “寒の地獄”は、ある偶然でその存在が知られたと言い伝えられている。

九重の山は奥が深い

 江戸時代も終わりの頃だったか。田野村に良太という腕利きの猟師が住んでいた。
「今朝も、山の神さんはご機嫌たい」
 良太は、起きだすとまず連なる九重の山々にご挨拶をする。「行ってくるよ、おっ母さん」、神経痛で寝たり起きたりの母親に告げてから山に入り、猪やウサギなどの獲物を追いかける。
 広い草原と深い山が連なる九重は、いかにベテラン猟師といえども、ときとして方角を間違えることだってある。そんなとき、彼らが方向の目印にするのが硫黄山の煙であった。あの煙だけは、太古のむかしから変わることなく、地元の人々の行き先を指し示してくれる。
 一日中山の中を走り回ったあとは、疲れをとるために噴出している温泉を探す。それが山で暮らす人間の最大の娯楽なのである。

猿を撃つなの厳しい掟

 秋も深まったある日の夕刻、猟を終えた良太が温泉を探していると、草むらでガサゴソ音がした。そっと覗いてみると、年齢を重ねた猿が1匹、水溜りに浸かっていた。水溜りといっても底がはっきり見えるほどに透き通っている。座っている猿の周りは小さな泡がぶくぶくで、絶えず水が湧き出ていることがよくわかる。猿もまた、人間と同じように温泉を楽しんでいる様子で、気持ちよさそうに目をつむっていた。
 山の恵みを享受する者には、「人類に一番近い猿を撃ってはならぬ」という厳しい掟がある。もし掟を犯せば、その罰は末代にまで及ぶと聞かされている。良太は、猿に気づかれないように、木陰から様子を伺っていた。
 しばらくして、湯船から上がった老猿は、足を引き摺りながら星生の山奥に消えていった。どうやら、手負った傷を治すために湯に浸かっていたらしい。畜生でも喜ぶ温泉だから、どんなにか気持ちのよい湯加減であろう。良太は、猿が戻ってこないことを確かめると、急いで着ているものを脱いで湯船に飛び込んだ。

温泉と思いきや

「ぎゃーっ」、途端に飛び上がった。心地よい湯加減と思いきや、なんとそれは肌を突き刺す冷たい水ではないか。間もなく雪が舞う冬がやってくる時期だというのに。このままで家まで帰ろうものなら、確実に風邪をひいてしまう。良太は覚悟を決めて、冷たい水に首まで浸かっていることにした。
 すると不思議なことに、氷のように冷たかったはずの水が次第にぬるくなった。さらに首まで沈めていると、温かさを感じるようにもなった。硫黄の成分が、皮膚の奥深くに染み込んでいくのがよくわかる。
 外に出ると、入るときのあの寒さが嘘のように温かく感じた。おまけに、体中からこれまでとは違う力が湧いてくる気がする。不思議な「温泉」であった。
 翌日、再び昨日の場所に行ってみると、同じように猿が目をつぶって「湯船」に浸かっていた。またその翌日も、そしてその次の日も、年老いた猿はこの世の極楽を満喫するように浸かっていた。写真:三俣山

冷泉の効能 …医者要らず

 10日もたって、猟を終えた良太が立ち寄ると、猿は「湯船」を出て、立ち去るところであった。気のせいか、最初に見たときと比べて猿の年齢が若返ったように見える。引き摺っていた足もシャンとなり、すたこら星生山に消えていった。
「もしかして、この水は…」
 良太は、神経痛で寝たり起きたりの母親を背負って、件(くだん)の場所に連れて行った。手をつけただけで「冷たいからいやばい」と駄々をこねていた母親も、強引に入らされたら、今度は出ないとごねる始末。
 ここは身についた親孝行。良太は少々天気が悪い日でもお供を欠かさなかった。ひと月もたった頃、母親を背負おうとすると両手ではねのけられた。背負われなくとも自分で歩いて帰ると言うのである。

 それからというもの、それまでの神経痛が嘘だったように、母親が元気になった。朝は良太より早起きして飯を炊き、昼間は畑を耕して蕎麦や野菜を育てるようになった。
 良太と母親の話はたちまち村人の間に広がった。厳しい山の暮らしで積もった疲労を癒すために、冷たい「湯」に浸かる人が続々とつめかけるようになった。「湯船」には囲いを造り、寝泊りもできるようにして恰好の湯治場にした。そんな素朴な「温泉」の生い立ちを証明するかのように、今でも「湯船」の底はむかしながらの自然石がそのままにしてある。(完)

 寒の地獄温泉は、長者原から牧ノ戸峠に向かってすぐのところにある。いかにも伝統ある湯治の宿の雰囲気を持っている。
 冷泉の水温は、年間を通じて14度くらいだという。周囲の冷気が体を冷やしているため、実際以上に冷たく感じるのかもしれない。最近では、水着を着て入浴し、隣にある暖房室で暖を取るようにしているとか。温泉の効能はというと、
頑固な皮膚病・関節リュウマチ・神経痛・炎症など。それに、神経系の病気や胃腸病・糖尿病・婦人病にも効くというから、これでは医者の商売はあがったりだ。そうそう、寒の地獄に入ると、肌が特段若返るそうですぞ。
 取材のために出かけたとき、寒の地獄の周りは紅葉の真っ盛りであった。良太が出会った手負いの猿も、実は周囲の景色に見とれるあまりに「長湯」を楽しんでいたのかもしれないな。

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