伝説紀行 千栗八幡  みやき町(北茂安町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第229話 2005年10月16日版
再編:2018.08.26
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

千栗ちりくと読むわけは?
千栗八幡由来

佐賀県みやき町(北茂安町)

 佐賀県北茂安町(05年3月よりみやき町)の小高い丘の上に、由緒ありげなお社(やしろ)が建っている。本殿正面には、「千栗八幡宮」の額縁が掲げられていた。土地の人は、このお宮さんのことを、ちりくのはちまんさん」と呼んでいる。「ちくりはちまん」なんて言っちゃいけないんだって。そのわけを物知り博士に質してみた。写真は、県指定の文化財一の鳥居

弓の先に白鳩が止まった

「千栗」を「ちりく」と読むわけを知るには、遠い奈良時代の神亀元(724)年まで遡らなければならない、と博士は宣(のたま)うた。舎人親王(とねりしんのう)という偉いお方が「日本書紀」を撰上された頃のことだそうな。
 肥前国の養父(やぶ)郡司である壬生(みぶ)春成というお方が、千歳川(筑後川)岸辺の丘陵で猪を追いかけていた。当時の筑後川は、現在の千栗八幡のすぐ下まで大きく蛇行していた。春成が、目の前に現われた大きな獲物に狙いを定めて、今まさに矢を射ろうとした時だった。弓の先に真っ白の鳩が止まった。鳩は、「猪(しし)を殺めてはならぬ」と言いたげに、しきりと太い首を振った。
 鳩は神の使いだと信じる春成のこと、即刻狩りをやめて官舎に戻り八幡大菩薩に額づいた。

神がチリクに祀れと

「春成、起きよ」
 誰かが呼んでいる。総白髪の老人が背丈より高い杖を持って立っていた。
「あなたさまは?」
「昼間、鳩の形(なり)をしてそなたの前に現れた八幡神の使いである。これから申すこと、聞き漏らしのなきよう」
 体に似合わず若々しい声で、老人が言うには・・・。
チリクの茂る丘に、新たに八幡神を祀るべし。さすれば、汝に望外の幸運が舞い込むであろう」だと。
チリクとは何ぞや? また、そのチリクが茂る場所とは?」
 この世に生を得て40年、聞いたこともなければ見たこともない呼び名であった。写真は、境内に聳える大楠
「それは、八幡神を信じるそなたが考えること」
 神の使いの老人は、用事がすむとさっさと姿を消した。

八幡神…八幡宮の祭神。応神天皇を主座とし、弓矢の神として尊崇され、古来広く信仰されてきた。
八幡大菩薩…八幡神に奉った称号。奈良時代に、神仏混合の結果起こった称。

逆さに生えた1000本の栗

 チリクと言われても、春成には何のことやらさっぱり見当がつかない。昨日弓の先に白鳩が止まった場所に立つと、目の前に異様な樹林が出現した。栗の木の林である。しかもその木たるや、みな逆さに立っている。はじけそうに稔った栗の実も、すべて逆さに生っている。栗の木を数えたら、丁度1000本あった。
「ここだ! 八幡神を祀る場所は・・・」
 壬生春成は早速、その場所に華やかな社殿を建立した。社の名前は「チリク八幡」とした。1000本の栗の木が逆さに立っている場所だからである。それからというもの、壬生の家は栄え、養父の人々の暮らしも豊かになった、とさ。
 これが今日、久留米市長門石町と北茂安町(みやき町)の境にある千栗八幡宮の始まりだという。(完)

 神社正面から車道を通って境内に入る。参道は、そのむかし大いに賑わったであろう門前の佇まいが今もはっきり残っていた(写真)。海抜30bというが、境内に入った途端冷気を感じるから不思議である。
それもそのはず、樹齢何百年もの大樹が空を塞いでいる。「9月15日の浮流(祭り)は、ほんに賑わいますもん」とは、地元のお年寄りの話。「肥前一ノ宮」の貫禄十分である。
 さて本題の「千栗」の読み方であるが、本当のところどうなのだろう。単にいつの頃か訛ってそうなったんじゃないかな、なんて野暮は止めておきましょうね。

千栗八幡宮に関する事項

在所…佐賀県みやき町白壁(海抜30b)。参道階段は145段。

壬生春成について…奈良時代の養父郡司で、千栗八幡宮を創建した人物といわれる。以来本宮は宇佐神宮の五所別宮の一と称せられ、朝廷からも厚く尊崇を受けた。
鳥栖市の「養父八幡宮」境内には、「壬生春成君碑」が建っている。

祭神…応神天皇 仲哀天皇 神功皇后ほか

由緒…慶長14(1609)年には、、後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅額を賜った。中世以降は、肥前国一宮と呼ばれている。(千栗八幡宮由緒より)

ちりくの呼称について…「知名抄」の郷名に「千栗」とあり、呼称は高山寺本の訓「知利久」とある。
寺院には、天台宗千栗山妙覚寺がある。

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