伝説紀行 万寿寺のお不動さん 大和町
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
万寿寺のお不動さん 佐賀県大和町
渓谷の美で知られる大和町の川上峡。石仏像が立ち並ぶ実相院から歩いた山中に、水上山万寿寺が建っている。地元の人は、親しみを込めて「お不動さん」と呼ぶ。ご案内によると、この寺は大治5(1130)年に善住和尚によって開山されたとか。
冷気漂うお庭を散策していると、曰くありげな小さな池を見つけた。名前を「竜王ヶ池」と呼び、四季を通じて水が涸れることはないという。そのわけをご住職が次のように説明してくれた。 不動明王:五大明王・八大明王のひとつ。大日如来が一切の悪魔を降伏するために忿怒(ふんぬ)の相を表したもの。色黒く、眼を怒らし、両牙を咬み、右手に降魔の剣を持ち、左手に羂索を持つ。常に火生三昧に往して大火焔の中にあって石上に座し、八大童子などの使者を有する。不動尊。無動尊。 明王:大日如来の命を奉じ、忿怒の相を現し、諸悪魔を降伏する諸尊。不動・愛染・降三世など。 突然現われた若者が二振りの剣を 蒸し暑い真夏の昼下がり。開山して間もない万寿寺で、善住和尚が木の枝を払ったり落ち葉を掃いたり、相変わらず忙しそうに動き回っている。和尚の頭を占めるのは、寺を開いて信者を迎えるのに肝心のご本尊が未だ定まらないことだった。 岩を叩いたら尽きない水が 善住和尚は、兄弟が寺に滞在することを許した。それからというもの、彼らは寺の周囲を拓いて極楽の庭園を築いたり、自給自足のための畑を耕したり、いっときも休むことなく働いた。また、山を下りて、農民の田づくりを手伝い、あるときは急流に巻き込まれた子供の命を助けて、里人からもたいそう有り難がられる存在になった。 若者は天に戻った 和尚は、「ありがたや。これで、里に本来の平和が戻る」と感謝し、「天に戻ったら、竜王殿によろしくお伝えあれ」と手を振った。3年前に、二筋の雷光の梯子を伝って下界に下りてきた兄弟が、実は竜神の使いであることを、和尚は承知していたのである。 川上峡の官人橋袂で、通りがかりの婦人に万寿寺への行き道を尋ねた。「ああ、お不動さんだね」と、婦人は「そこを右に、それから左、しばらくして大豆畑をまた左・・・」と親切に教えてくれる。「毎月28日の祭りには、むかしは村をあげて行列をつくって出かけたものだよ。何せあそこのお不動さんは、願いごとを何でも聞いてくれますけえの」。こちらが訊きもしないことをさっさと話してしまわれる。肥前の人は親切である。
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