伝説紀行 横田の稲荷  日田市(大山町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第221話 2005年08月14日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

老松さまとお稲荷さん

原題:横田の稲荷

大分県大山町

 横田の稲荷
老松天満社

 大山町を貫通する国道212号から旧前津江村にぬける「県道日田鹿本線」の三叉路そばに、由緒ありげな神社が建っている。名前を「老松神社(おいまつじんじゃ)」といい、大山の人々にとってはかけがえのない心の支えである。
 その交差点から200b入って左折すると、山の裾野に赤い鳥居が見えてきた。鳥居を潜って急坂を登った中腹には、小さな稲荷神社が祀ってあった。老松神社は長生きの神さま、そしてお稲荷さんは五穀豊穣の願いを聞いてくれる大切な神さまである。
 何の関係もなさそうに見える二つの神さまが、実は深い絆で結ばれていた。

隣村同士の仲の悪さ

 もう400年もむかしのこと。老松さまの中川原村とお稲荷さんの横田村は隣村同士であるが、ことあるごとに角を付き合わせる仲の悪さだった。


老松天満社前の交差点


 ある時、横田の三郎が日田に出かけた帰り道、中川原の与太郎に難癖をつけられた。「おまえんとこの庄屋が小便した跡には草も生えんげなない」と。日頃尊敬する庄屋さんの悪口を言われて、三郎が怒った。担いでいた荷物を放り投げて与太郎に飛びかかると、果てしない殴り合いに。集まってきた野次馬は全員与太郎の応援団で、「やれ!やれ!」「もっと、顎(あご)を狙え!」なんて囃(はや)したてる。
 勝負がついて、与太郎と応援団が引き揚げて行った。
「どうして喧嘩ばかりするの、あんたたちは」
 立ち上がろうとする三郎に通りがかりの女が声をかけた。
「そりゃ、中川原のもんがみんな悪かけんじゃ」

でも、神さまだけは別

 ここは横田村の名誉のためにも、あちらが悪いことを主張しておかなければならない。
「中川原のもんがみんな悪いと言うなら、中川原に鎮座されている老松さまも悪いお方ですか?」と女が問うと、「うんにゃ、老松さんだけは別たい。立派な神さんじゃけん」と答えた。
「今あなたが言ったことを忘れてはいけませんよ」、女はそれだけ言い残して、さっさと老松神社の方に去っていった。女の姿が見えなくなって三郎が考えた。
 横田の者は、何か苦しいことがあると、あんなに嫌いな中川原村にある老松神社にお参りをする。連中に見つかって嘲笑われるのが嫌で、必ず夜中にお参りする。村のもんはいがみ合っていても、神さまはどこのもんにも等しくご利益をくださるもんだ。写真は、お稲荷さんから眺望する横田の集落
 その夜の、草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)。三郎が外の気配で目を覚ますと、老松神社の方で火の手が上がっていた。火は、強い東風に煽(あお)られて横田に向かってくる勢い。

協同で消火活動

「大変だ、大変だ!老松さまが大変だ」
 三郎は、大声を張り上げて村中に触れ回った。火の元は老松神社から大山川に下り立つ途中の、通称宮ノ下の農家だった。中川原の人と横田の人が協同で消火に当たった。川から汲み上げる水を横一列になってバケツリレーする。
 火事現場の最前列で消火にあたっている三郎が、自分の前にいる与太郎に気がついた。
「この野郎、よくも俺さまをひどか目に合わせたない」
「何を小癪(こしゃく)な」
 三郎と与太郎の喧嘩が再開された。
「痛い!」、そのとき、二人がほとんど同時に頬っぺたを押さえてしゃがみこんだ。平手を食らわせたのは、昼間出会った女であった。
「あなたは、『老松の神さまは立派』と言ったではありませんか。与太郎さんも、『横田のお稲荷さんのお陰で今年も豊作』と感謝していましたね。喧嘩なんてしてる暇があったら、早く火を消しなさい。そうしないと、あなたがたが大切に思っている、老松神社もお稲荷さんも灰になってしまいますよ」

神さまは神通力

 気をとりなおして三郎と与太郎が消火にあたると、間もなく鎮火した。火災は出火もとの一軒だけですんだ。
「不思議だな、あんなに凄かった火の勢いが一瞬にして消えるちは?」、三郎と与太郎がくすぶる火事の後を眺めて首をかしげた。そこにまたまた平手打ちの女が…。
「これも、中川原の老松さまと横田のお稲荷さんがお力を合わせて消火に当たられたためですよ。これからも火事を出したくなかったら、犬を飼うのをやめて、横田のお稲荷さんによくよくお願いしておくことです」
「どうして、犬を飼っちゃいけんの?」
「それはね、お稲荷さまは犬が嫌いだから。大好きなのは油揚げで包んだ酢飯…」
「それはまた、どうして?」と尋ねようとすると、女の姿は消えていた。

神が取り持つ縁で…

 あれだけ仲の悪かった中川原村と横田村の住民が、宮ノ下の火事の一件で何かと助け合うようになった。双方の村では犬を飼うことをやめたお陰で家事が出ることもなくなった。
「みんな、横田のお稲荷さんと中川原の老松さまのお陰たいね」
 いまではすっかり親友みたいになった三郎と与太郎が酒を酌み交わしながら話している。
「ばってん、あんときの女の人は、いったい誰じゃろか」
「そうたいね、村の人じゃなかけん、やっぱ神さまのお使いじゃろかね」、「使いなら、お稲荷さんたい」と三郎が言えば、「そげなこつはなか、あげなきれいな人じゃけん、中川原の老松さんのお使いに決まっちょる」
 そこでまた口喧嘩が始まった。だが、今度ばかりはあの時の女が仲裁に現われることはなかった。(完)

「大蛇の仕返し」や「田中長者」などでお世話になった人口4400人の大山町も、今では6万人の日田市に飲み込まれてしまった。でもやっぱり、僕は以前の素朴な大山町の方が好きだな。
 そんなことを考えながら老松神社を訪れた。境内から見る大山川ははるか遠く、その間に物語の「宮ノ下」の集落が重なって見える。さて、横田のお稲荷さんは何処においでか。三叉路近くの薬屋さんに訊いて山裾の赤い鳥居を探し当てた。果樹の手入れをしているご夫婦に確かめて急坂を登った。息が切れそう。やっとたどりついた祠は、岩の陰の僅かなスペースに窮屈そうに祀られていた。
 僕のご利益もお願いして振り向くと、杉の古木の間から、横田と中川原の集落が一望できた。もちろん、老松神社も。この物語、賑やかな街道筋と静かな山裾の人の営みの違いを言い伝えたかったのかもしれない。

 横田の集落を散策していると、納屋の陰から大きな柴犬に吠え立てられた。「あれ、お稲荷さんのそばで犬を飼っている?」と、不思議な気持ち。まさか、だからと言って、またぞろ火災が発生ということでもなかろうに。

 最初に訪れた頃の天満社さんは、よほど気をつけていないと見落としそうにひっそりと佇んでいらっしゃったのに、平成14年に移転されたとかで、今では堂々たる豪邸である。これでは、横田のお稲荷さんが嫉妬しないかと心配だ。(2011年09月09日)

ページ頭へ    目次へ    表紙へ