伝説紀行 カイモン屋敷  佐賀市(富士町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第218話 2005年07月24日版
再編:2018.12.02

プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

カイモン屋敷の猫騒動

佐賀県富士町


貝野川縁に建つ「十一日神」

 貝野川は、嘉瀬川の支流。名湯で知られる古湯温泉付近で合流している。源流は、自然が多く残る杉山地区である。途中飯を盛ったように見える山は、むかしの古湯城址だと教わった。城址の麓に架かる城山橋の脇に、曰くありげな石碑を見つけた。「十一日神」と名乗る。

引っ越してきた三毛猫

 江戸時代の中頃、杉山(地名)に中年の男が住み着いた。男の名前は吉武嘉右エ門といい、素浪人の身である。それ以外のことは誰も知らない。村人は、彼が年老いた三毛猫と住んでいることから、家のことを「カイモン(嘉右衛門)の猫屋敷」と呼んだ。その三毛猫が、平穏な山村にとんでもない騒動を巻き起こすことに・・・。
 嘉右エ門は、朝早くから日暮れまで山中を歩き回って何かを探している。その間腹をすかせた三毛猫は、よその家の台所を荒らしまわった。追い払おうとする家のものには牙を剥いて威嚇する。発情期には、子供の指に噛み付いて大怪我をさせたこともあった。
 村人の苦情を代表して、庄屋の徳治郎が嘉右エ門と直談判に及んだ。

凶暴化した猫を殺したら

「見逃してくだされ」と、嘉右エ門は頭を下げるばかり。
「あんたにとっては可愛い猫でっしょが、村じゃ迷惑なもんですけん」と、庄屋が猫の追放を要求すれば、「この猫には、亡き妻の魂が乗り移っておるのでござる。猫を虐めれば化けて出ますぞ」と、逆に脅される始末。


杉山地区集落

 猫は、時がたつにつれてますます凶暴化した。放し飼いの鶏を片っ端から噛み殺すし、ヨチヨチ歩きの赤ん坊にまで飛び掛った。
 我慢の限度が切れた村の若者は、三毛猫をを殺して死骸を貝野川に投げ捨てた。若者はそれだけでは飽き足らずに、カイモン屋敷に火をつけた。火だるまになって飛び出した嘉右エ門は、手に不思議な光を放つ珍しい石ころを握りしめたままこと切れた。

猫の祟りは…

 それからというもの、貝野川周辺で不吉な出来事が頻発するようになった。人気のない雑木林で、気味の悪い人の泣き声が・・・。貝野川の川底からは青白い光が出て空中をユラユラ揺らめく。夜道を歩く村の者が腰を抜かして倒れこみ、提灯を焼いてしまうことなども。
 それだけではすまない。雨不足で困っているところに今度は一転して豪雨となり、下流の貝野村が水浸しになった。農作物は壊滅するし、医者も匙(さじ)を投げて、流行病はますます蔓延した。しばらくして、貝野村の城山近くで全身傷だらけの三毛猫の死体があがった。


城山から望む古湯温泉

 庄屋の徳治郎は、これらの災害があの三毛猫の祟りだと考えた。だがそれだけでは、嘉右エ門が死ぬ間際まで手放さなかった不思議な石の謎解きにはならない。徳次郎は、嘉右エ門が杉山に来る前に暮らしていたという小城の城下を訪ね、姉という人に訊いた。
「お気の毒に、皆さま方。それに弟の嘉右エ門も・・・」

すべては愛妻のお強請りに始まっていた

 嘉右エ門の妻は、死出の旅たちを前に夫の嘉右エ門に二つのことを頼んだそうな。その一つが、馬鹿可愛がりをしている三毛猫の行く末である。そしてもう一つは、古湯の山奥に埋まっているという「緑柱石」を、自分の仏前に供えて欲しいというものだった。奥方は、生前からペットを可愛がることと、身につける装飾品に凝ることが生き甲斐であったらしい。
 嘉右エ門が握って離さなかった不思議な光を放つ石こそ、奥方が強請(ねだ)っていた幻の鉱物だったのだ。嘉右エ門は愛妻の遺言を叶えてやるべく、杉山にやってきて山中に埋もれていると言う緑柱石を探し回っていたのだった。
 庄屋の徳治郎は、嘉右エ門と三毛猫の遺骨を、彼が探し当てた緑柱石を添えて亡妻が眠る小城の実家に連れて帰ってやった。それでも不安が消えなくて、猫の死体が上がった川べりに猫の神さまをお祭りすることにした。それからというもの、蔓延していた流行り病も潮が引くように沈静化した。
 城山橋の近くに祀られている『十一日神』は、そのとき杉山の庄屋徳治郎と貝野の村民が建てたものだそうな。祭りは師走の11日に執り行われるらしいが、どうして11日なのかまではわからなかった。

 貝野川周辺を散策するうちに、愛車は杉山の細い道に迷い込んでしまった。対向車が現われないことを祈りながら進むこと○○時間(本当は30分くらいか)、やっと人里に出て、しばらく川沿いを走っていたら、再び古湯の温泉街に出た。何のことはない、山の中をくるくる回っていただけのことだったのだ。お陰で、佐賀の山中の珍しい景色や農業のやりようなどたっぷり見せてもらった。でも、緑柱石は見当たらなかった。
「十一日神」のことは、地元の観光協会の方も知らない話だった。猫を山中に捨てるなとか、生き物に慈悲をといった昔の人々の願いが、川べりの石碑に込められているように思えた。

緑柱石杉山の鉱山について

六方品系六角柱状の結晶をなす鉱物。成分はベリリウムとアルミニュームとの珪酸塩、塊状・粒状でも産出。純粋のものは無色。多くは緑色または淡青色で、やや透明、ガラス光沢がある。深緑色のエメラルドはその一種。(広辞苑)

鉱山の場所は、貝野川源流の杉山地区で、白石山(794b)の麓にあたる。
当時鉱山で採取されていたのは、紅色長石、石英、緑柱石(Beryl)などであった。
鉱山は佐嘉(さが)鉱山ともいったが、それも今は昔のこと。

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