伝説紀行 洞鳴の滝  佐賀市(三瀬村)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第209話 2005年05月22日版
再編:2018.05.27

プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

洞鳴(どうめき)の滝 悲話

佐賀市三瀬村高原

 

洞鳴の滝(上)とお仙観音

 三瀬峠を越えて佐賀県三瀬村に入り、杉の大木が続く街道をだらだらと下っていくと村役場に行き着く。その先の交差点を左折して、鳴瀬川沿いに県道を東に向かったところの小さな滝が今回の舞台。
 標識には「洞鳴の滝」(どうめきのたき)と書いてある。民家に隠れていて滝の全景を見ることはできないが、落差は凡そ7〜8メートルくらいだろうか。物語の時代には、滝のスケールはその10倍もあったそうだから、滝壺の深さも「計り知れず」だったのだろう。その間に周辺の地形や川や滝のありようまで、人間の都合で変えられてしまったのだろう。
 名前の由来は、龍が洞窟で鳴き叫ぶように聞こえたからだという。滝を見下ろすようにして小高い場所に石祠が建っており、中を覗くと可愛い女性の像が祀られている。土地の人は、「大むかしに、愛する人と添い遂げられずに泣く泣く滝に飛び込んだお仙さんですよ、このお方は。だから私たちは、『お仙観音』と呼んで大切に守っています」と話してくれた。

俺たちどうしても夫婦になりたい

 時は延宝9年。今から遡ること320年以上も前の神埼郡奥山内(現三瀬高原)。井手野村に住む徳兵衛・ミノ夫婦の家に若い男女が訪ねてきた。男は奥山内一帯の村を束ねる大庄屋の嫡男で善忠といい、連れの女は川下に位置する岸高村の百姓の娘お仙である。2人は将来を誓い合った恋人どうしであった。
「徳兵衛さんに折り入ってお願いがあります」
 善忠は、座敷に上がるなり夫婦にすがった。
「俺たちは、どうしても夫婦になりたかと。でも、おとっつあんは許してくれん。百姓の娘とでは身分が違ういうんだ。一生のお願いだから、一緒になれるごとおとっつあんば口説いてくれんですか」
 徳兵衛夫婦はそれぞれ、善忠が生まれる前から音成家の奉公人だった。ミノは、善忠が生まれて後の養育を仰せつかっていたが、ある時徳兵衛と結婚して2人とも館を離れ、井手野に住むようになったのであった。

身分の違いで嫁にはできぬ

 善忠が帰った翌日、徳兵衛夫婦は土師の館に出向いた。
「お願いでございます、善忠坊ちゃまとお仙を夫婦にしてやってください」
 二人は、頭を畳にこすりつけて頼んだ。だが、六兵衛の答えは予想以上に頑固だった。


三瀬高原の秋景色

「駄目だ、駄目だ。駄目だということは息子にもちゃんと言い渡してある」
「お館さまが駄目だと言われるわけは、やっぱり・・・?」
「当たり前だ。我が音成家は、広い佐賀と神埼の大庄屋の中でも名門中の名門だぞ。その跡取りの嫁として、どこの虫けらともしれん女子(おなご)を館に入れるわけにはいかんだろうが」
「任せて」と、善忠の前で胸を張った手前、徳兵衛も後には引けなかった。
「それなら、お仙を一度格式の高いお家に養子にやり、そこから嫁を貰うということでは・・・」
「そんな小手先が通用すると思うか、馬鹿者めが。善忠には既に神埼口の長者、佐保十兵衛殿の娘ごとの縁談を進めておる」
「そのことをお坊ちゃまは・・・」
「知るものか。名家の跡取りの縁組とは、本人の意思など関係ない」

たかが奉公人、されど・・・

 隣の部屋で成り行きを聞いていた善忠が座敷に飛び込んできた。
「俺は、おとっつあんが決めた縁談なんか、死んでも承知せんからな」
「この、恥知らずの親不孝者!」
 我慢の度を超えてしまった六兵衛は、床の間に置いてある長刀を掴むと、素早く鞘を払った。その時、徳兵衛の後ろに控えていたミノが、六兵衛の前に立ち塞がった。写真:田植えも済んで、三瀬の村は静かなもの
「待ってください、親方さま。私は善忠お坊ちゃまの分身です。斬るならまず分身の方からにしていただきます。お仙は村一番の器量よしですし、気立ても優しゅうて、この館にはうってつけの嫁ですよ。それを身分だ、家柄だとこだわるお館さまの頭がどうかしています」
「なにを小癪な、たかが奉公人の分際で・・・」
「ミノという女は、この屋敷にとってたかが奉公人なのでしょうか?」
 ミノの一言で、振り上げた六兵衛の右腕から刀がポロリと落ちた。
「出て行け!とっとと出て行け。身分の違う女子と契るような奴の顔など2度と見たくないから勘当する」
 父親に足蹴にされて善忠は、ミノが止めるのを振り切って館を後にした。

私の息子を返して!

「大変でございます。若旦那が、・・・若旦那が」
 善忠が土師の館を飛び出した翌朝早く、奉公人の正助が血相を変えて駆け込んできた。正助は、下流の滝壷で善忠とお仙の水死体が上がったと告げた。「まさか・・・」とは思いながら、不吉な予感を吹っ切れずにいた六兵衛は、ただ呆然とするばかりだった。


滝を背に建つお仙祠


 六兵衛が滝壺の脇に到着した時、2人の遺体は引き上げられて筵が被せてあった。
「お館さま、私のかわいい息子を返してください」
 ミノが六兵衛に掴みかかった。「私の息子・・・」の一言に仰天する家人や村人たち。そのわけは、徳兵衛の次の言葉で理解が行き届くことになる。
「お館さまは、百姓の娘である奉公人のミノに子供を産ませて、養育まで押し付けられました。その時あなたは何とおっしゃいました? 善忠は例え大庄屋の身分に代えてでも、お前たちが望むような立派な男に育てるゆえ許せと。だから私ら夫婦は、私らが望むようなお坊ちゃまになれますようにと、お館さまにお願いしたのです。2人を夫婦にしてやって欲しいと。約束どおり願いを聞き届けてくださったなら、ミノが産んだ息子と可愛い花嫁は死なずにすんだのです」

滝の音までもらい泣き

 徳兵衛の涙ながらの訴えは、時として、滝の轟音にかき消されがちであった。亡骸に取りすがるミノの叫びは滝の音と重なり、山壁に木魂しながら、龍が洞窟で鳴くように聞こえた。
「龍までもが貰い泣きしよっと」
 駆けつけた村の女子衆が囁くと、いっせいに洟をすする音が谷間に響き渡った。
「許せ、善忠、そしてお仙さん。わしが悪かった。許せ」
 六兵衛もたまらずに、血の気を失った若い二人の顔を撫で回した。その後、実父と実母によって、善忠とお仙の手がしっかりと結ばれた。すべてを見届けた村人たちは、2体の仏に手を合わせて、一人、又一人と滝壺を跡にした。やがて徳兵衛とミノ夫婦の消息も、奥山内界隈からぷっつりと消えた。
 善忠とお仙は、死んで初めて親も認める夫婦になり、音成家の菩提寺の墓に並んで埋葬されたという。戒名は「孝岳善忠信士」と「洞岩妙仙信女」。2人が身を投げた滝を見下ろす高台の像は、幸に恵まれることなく命を絶ったお仙を哀れんで、村の女たちが浄財を出し合って祀ったものだという。その証拠に、碑面には「土師村女人講中」、「七間谷女人講中」、「落屋敷女人講中」の銘が刻されている。建立の日時は「延宝九辛酉年三月二十三日」とあった。(完)

 物語の舞台となった現在の三瀬高原は、国道筋にしゃれたお店や食べ物屋、お風呂、テーマパークなどが軒を連ねていて、物語の時代と思いを重ねることは困難だ。北山ダムに流れ込む直前の鳴瀬川の途中に洞鳴の滝(なぜどうめきと呼ぶのかわからずじまい)がある。
「大変美しい滝だそうですね?」、自力での発見を諦めて、立ち寄ったお家のおかみさんに尋ねた。「大むかしはどうか知りませんが、それほどでもなかですよ」との答が返ってきた。なるほど、日本の名滝をたくさん見てきた筆者にとって、洞鳴の滝はそれらの比ではない。しかし、滝の上から見下ろすお仙観音と組み合わせて眺めれば、それはそれで立派な絵解きの図が出来上がるから不思議だ。やっぱり名滝の何番目かに加えておきましょう。
 三瀬高原には、大むかしから人の営みが展開されていたことは確かだ。それだけに、身分や差別といった社会の最も醜い断面も里並にしっかり存在したことになる。 ところで、今回の平成の大合併では、三瀬村が背振村や神埼町とは袂を分かち、富士町・大和町など旧佐賀郡に繰り込まれて「佐賀市」の一員に加わることになった。「おかしいですよね、そんなの。私らも村のお偉さんのやることなんて何が何だかわかりません」と、街道筋のうどんやの大将。すっかり白け調子であった。現代の政治家たちは、太古からの歴史と伝統までも消し去ってしまおうとしているんですよ、おミノさん、お仙さん。そちらの世界から叱ってください。

ページ頭へ    目次へ    表紙へ