伝説紀行 千丈淵の竜神  日田市(大山町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第208話 2005年05月15日版

2007.09.09 2018.07.15
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

千丈淵の竜神さま

大分県日田市大山町


千丈淵に祀られた竜神さま

 旧大山町役場のすぐ下流の大山川に「千丈大橋」が架かっている。橋の下を「千丈淵」と呼び、右岸一帯の地名を「千丈」という。上流のダムができるまでは、水深が30尋(約60b)もあったという。両岸の住民は、川底に竜が棲むことを信じて、川岸に「竜神さま」を祀るしめ縄が張らた。阿蘇や杖立などからの帰り道にある、人気ドライブイン「木の花ガルデン」の裏手あたりだ。
 今のような立派な橋ができる前は、浮き橋を渡って千丈地区と左岸の八幡地区を往復していたそうな。
浮き橋とは、橋桁がなくて、水面に丸太を浮かべ、その丸太に板を打ち付けただけのものだった(大山町町史より)

神さまはタバコが嫌い

 100年以上もむかし、千丈村に茂七というあまり評判のよくない青年が住んでいた。茂七は毎日仕事はせずに遊んでばかり。遊びの金がなくなれば、千丈淵の浮き橋の上で、覚えたばかりのタバコを吹かしたりして暇をつぶした。吸い終わったタバコの殻は、淵に向かってポンポン投げ捨てる。
「やい、茂七」、後から声をかけた者がいる。村の長老で、物知り博士としても君臨している藤吉のおっちゃんだ。
「この罰当たりめが。ここにゃ、竜神さまが住んでござるとぞ」
「そんなの迷信じゃ。ばかばかしい。俺には関係なかこつたい」
 茂七は長老に顔も向けないで(うそぶ)いた。写真:千丈淵
「竜神さまがタバコのニコチンば好かっしゃれんこつくらい知っとろもん。今にどげな罰をくださるか、わかったもんじゃなかぞ」
「迷信、そげなこつは、迷信に決まっちょる」
 茂七は、年寄りの繰言などに付き合ってはおれんと言って寝転がった。

お神酒を淵にばら撒いて

 藤吉が次の小言を言いかけたとき、二人の前を赤ん坊を背負った女が通り過ぎた。女は、水辺にしゃがみこむと、持ってきた竹の筒に入っている酒を淵に向かってばら撒いた。
「あの奥さんなばい、あげんして毎日竜神さまにお神酒ばあげなさって、乳が出ますごつちゅうて頼みござっとたい」
 竜神さまは田んぼの水をくれるだけじゃなくて、ことによっては村人の悩みまで解決してくれるんだと。


写真は、千丈地区の民家
「よかか、あのお神酒がすーっと水の底に吸い込まれたら、竜神さまが飲みなさったとたい。そうすりゃ、あの母ちゃんのおっぱいが出るごとなる」
「そげん、ならんときは…?」
「流した酒が沈まんで下に流れたら、竜神さまは願いば聞かれんじゃったちゅうこつたい。可哀そうにそん時は、今までどおりおっぱいが出らんで赤ちゃんも痩するばっかり」

突然、水中から怪物が…

 女が流したお神酒は、手品でも見ているようにスーッと水中に吸い込まれた。女は満面の笑顔で立ち上がった。
「嘘だ、明治の世になっち、そげなこつがあるわけがなか」


現在の千丈大橋

 茂七は、藤吉おっちゃんの言うことを素直に受け入れることができないでいる。その時であった。一陣のつむじ風が川面を駆け抜けたかと思うと、千丈淵の中央部分が異常に盛り上がった。「ゴーッ」という、耳が裂けるようなものすごい音を合図に、太い煙突のような物体が宙に浮き上った。茂七は、恐怖のあまり意識をなくしてしまった。
「ウウーッ」
 目を覚ました茂七は、家の布団の上にいた。そばには村の長老藤吉と茂七のおっかさんが座っている。


「どげんしたと?おっちゃん」
「どげんしたもこげんしたもなかたい。お前が千丈淵で気ば失うてから今日で4日目ばい。その間中、40度の熱にうなされっぱなしじゃった」
 藤吉に続いて、おっかさんのお説教が始まった。写真:老松神社の彫刻
「今朝方やっと熱が下がったとよ。お前は千丈淵にさでくりおてて(落ち込んで)、今頃はほんなこて(本当に)閻魔(えんま)さんの前におるところたい」 

それは四足の龍だった

「そんならおっちゃんに訊くばってん、あの怖ろしか龍はどげんなったと?」
 おっかさんが台所に立った隙に、茂七が藤吉に尋ねた。
「何のこつか、そん龍ちゅうのは。俺は知らんぞ」
「何ば言いよると。龍の好かんタバコば千丈淵に投げ入れたけん、水の底から龍が出てきて、俺ば飲み込んでしまおうとしたとじゃなかね」
「確かに、竜神さまがタバコのニコチンばいっちょん好きでなかちは言うた。ばってん、俺は龍とか竜神さまには会うてはおらん」
 藤吉が腕組みしたまましきりと首を傾げている。
「淵の真ん中に水柱が上がって、煙突のごとある白か鱗ば持った四足の大蛇のお化けが、牙を剥いて空中に躍り出たじゃんね。ありゃ淵の底におらるる竜神さまが、タバコの吸殻ば投げ込んだ俺に罰ば与えに出てこられたたつたい。そう思うたら、頭がおかしくなってしもうて・・・」
 思い出したらまた怖くなって、茂七の震えが止まらなくなった。

竜神さまがお乳をくれた

「もーし」
 玄関で女の声がした。おっかさんが出て行くと、赤ん坊を背負った女が入ってきて、茂七の枕元に座った。
「ああー、あの時の・・・」
 千丈淵にお神酒を捧げて「お乳が出ますように」と願っていたあの時の女だった。
「この人が、浮き橋から落ちたお前に、赤ん坊ば背負っちょる紐ば投げて助けてくれたつじゃけんね。よーくお礼ば言わにゃあばい」
 藤吉がその時のことを話している間、女は乳首を赤ん坊に含ませていた。
「出るようになったつね?おっぱいが・・・」
「竜神さまのお情けで、赤ん坊はお腹いっぱいお乳を飲めるようになりました。有り難いことです」
 しばし、皆んなが赤ん坊の口元に注目した後、女が茂七に話しかけた。

さて、女の正体は?

「あなたは浮き橋の上で突然空ろな目を宙に向け、『竜神なんちゃ迷信たい。ほんなこつおるなら俺の前に出て来い!』と何度も叫びましたね。その後です。竜神さまが水中から現われたなさったのは。私は見たんです、あの時の竜神さまのお怒りのお姿を。あなたが行いを正さなければ、これからも何度も出てきて懲らしめになるでしょうね」
 女はおっかさんが運んできたお茶をうまそうにすすりながら、茂七の改心を促した。
「もう、2度と淵にタバコば捨てません」
 涙ながらに誓う茂七に続いて、藤吉とおっかさんも深々と頭を下げた。お腹いっぱいになってすやすや眠る赤ん坊を抱いて、女が家を出ていった。
「そいで、あん女の人は、いったいどこのどなたですか、藤吉さん?」とおっかさん。
「そういえば、見知らん人じゃな。名前も訊き損ねた」
「村一番の物知り博士も知らんのなら、大方竜神さまのお使いの方じゃなかろうか。そうでなければ、藤吉さんには見えなかった竜神さまのお姿があの人にだけに見えるはずがなかですもんね」写真:千丈淵の水天宮
 おっかさんのお見通しに恐れ入った藤吉が、急いで女を追いかけた。だが、千丈淵の縁で見失ってしまった。(完)

 五月晴れの気持ちのよい日に取材に出かけた。木の花ガルデン前の停車場が「千丈入り口」。大山川に沿って民家が散在している。周囲の山の深緑を反映した千丈淵の水面は、今にも飲み込まれそうな不気味さを漂わせていた。淵を見下ろして暮らす千丈の人たちが、竜神さまを頼りに生きてきた歴史が頷ける。
 淵にタバコの吸殻を捨てた茂七は、罰として千丈淵に突き落とされたが、上流にダムを造って竜神さまの住家を脅かしたものはどんな罰を受けたのだろうか。茂七の子孫を訪ねようと役場に訊いたが、「ここはもう、日田市と合併した大山支所ですたい。明治は遠くなりましたけん、調べてわかることやらどうやら・・・」と、はぐらかされてしまった。

 あれから2年以上たって、再び千丈淵を訪ねた。たまたま立ち寄ったコンビニで出会った先輩は、81年間千丈村に住んでおられるという。「何でも訊いてください」と、1キロにも及ぶ淵の岸辺を案内してくれた。
「あそこに、しめ縄を張った岩が見ゆるでしょうが。あれが竜神さまです」だと。前回もこの岸辺に下りたのに、その時はしめ縄にまったく気がつかなかった。「対岸の八幡や目串の人たちもいっしょになって、竜神さまを守っています。大切な水をくれる川は、皆んなの宝物ですけん」だと、何の力みもなく言われる先輩に、思わず頭が下がった。
「もっといろいろありますよ」と、今度は水天宮の社へ。それから山の中腹に祀ってある「足手荒神」へ。「あたごと読む神さまです」と。こちらは先の大水害で流された祭神が下流で救われ、再びふるさとに戻られたものだと教えてくれた。

 下流域の人間が、ともすれば川に対する崇敬を忘れがちな今日、大切な心を教えてもらったような気がする。(2007年9月6日)

 4年ぶりの訪問だったが、淵の凄さが少しばかり和らいだかなという印象。これじゃ茂七の改心もなかなか進まないかもしれないな。登場する龍神のイメージは、お隣の老松神社本殿のお飾りから拝借させてもらった。(2011年09月09日)

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