伝説紀行 古湯温泉由来  佐賀市(富士町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第199話 2005年03月13日版     
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です。

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

夢みる徐福さん

古湯温泉由来


2007.05.20 2008.08.27

佐賀県富士町


徐福翁像

  

 背振山地を水源とする嘉瀬川の中央付近に、むかしから湯治場として栄えてきた古湯温泉郷がある。温泉街の奥まった宿の玄関先には祠が建っており、中を覗くと石造りの像が2体祀られていた。そのうちの一体は、定番の薬壷を持った薬師如来。片方は大むかしに秦の国から渡ってきた伝説の偉人・徐福さんである。温泉とは縁遠そうな徐福さんの存在なのだが・・・
 本編に入る前に、まずは伝説紀行の第80話「恋する徐福さん」を読み返していただきたい。

死刑判決の夢を見た

 「皇帝陛下をコケにしたそなたに、死刑を申し渡す。この者に従った輩は一人残らず打ち首といたせ」
 判官らしい髭むじゃの大男が判決を言い渡した。判官の後方一段高い壇上には秦の始皇帝が怒り顔で座っていらっしゃる。死刑判決を言い渡されたのは、始皇帝に仕える方士(道教のお坊さん)徐福である。
「嫌じゃ、死ぬのは嫌でござる!」
 徐福は、刀を振り下ろそうとする役人を払いのけようともがいた。だが、腕にいつもの力が加わらない。
「お爺さん、お爺さん・・・」
「嫌じゃ、嫌じゃ」
 彼は、掴まれた手を離そうと必死だった。

ヤマトよいとこ、住み着いちゃった

「なんですよ、お爺さん。私ですよ、辰ですよ」
 やっと目が醒めて見ると、腕を掴んでいたのは女房のお辰さんだった。ここは、佐賀平野の北方に聳える金立山(501b)の中腹あたり。そろそろ秋も終わりに近づいて、ちょっとお洒落な庵の縁側であった。
「どんな夢を見ていたんです?ずいぶん(うな)されていましたよ」
「危うく、始皇帝の前で打ち首になるところだった」
 このご老体、今から遡ること2200年前、中国大陸の秦の始皇帝の命令で、不老不死の霊薬を求めて日本にやってきた徐福さんであった。当時有明海の搦浜(からみはま)(現佐賀市諸富町)に上陸した徐福さんの一行は、薬草を求めて北方に聳える金立山(きんりゅうざん)に登っていった。写真:金立山
 あれからウン10年。(よわい)60を過ぎて、徐福さんもすっかり老け込んでしまった。それに、少しばかりだが認知症らしき症状もみられる。それでも、(やまと)で見初めたお辰さんとの間に10人の子をもうけ、既に30人の孫にも恵まれて目じりは下がりっ放し。 

ふるさと捨てた罪滅ぼしを

「気持ちいい天気で、また眠くなった」
「そんなところで眠ると風邪を引きますよ」
「だから・・・、温かいお婆ちゃんの膝枕が必要なんじゃよ」
 なんて戯言を言いながら、徐福さんはお辰さんの甘い体臭をかきながらまたまた夢の中へ。
「これこれ徐福よ」
 現われたのは、総白髪で胸のあばら骨がむき出しの老人であった。どこかで会ったような気がして思い出すのに苦労した。始皇帝の下で方士を勤めた折知り合った仙人だった。仙人は、日頃人が寄り付けない崖の上で霞だけを食って生きているという。東方の倭に「不老不死の妙薬」があると、「神仙思想」を教えたのもこの老人だったのだ。今度は何を伝えようとしているのか?
「よく聞け、徐福よ。そなたはわしが唱えた不老不死の薬などあるわけがないと、はなから探そうとはしなかった。そして、勝手にふるさとを捨てて居心地のよい倭に住み着いてしまった。その罪は重いぞ」
「勘弁してください、仙人さま。罪滅ぼしなら何でもしますから」
 徐福は真剣な顔で老人にすがった。

霊薬以上の薬の湧き水が

「それでは、罪滅ぼしの仕方を教えて進ぜよう。よいか、この付近には不老不死の霊薬に勝るとも劣らない幻の薬湯が湧き出ておる。その水を探し出し、病気で難儀している人々に分け与えよ」
「さて、そのようにありがたい神の水がいずこにありましょうや?」
「そなたの隠居庵から嘉瀬川を遡っていくがよい。2里(8キロ)ほども行ったところの川岸の椋の根元の岩をはぐれ」
「もう少し詳しく教えて…?」
 問いかけた時、頭がぐらりと揺らいで目が覚めた。お辰さんが、膝枕を動かしたのだった。今度もまた夢だった。写真:古湯温泉そばを流れる嘉瀬川
 腰の曲がったお辰さんの手を引いて、嘉瀬川に出て、河上(現川上峡)をスタートに、よっこらよっこら歩いていった。上流にダムなどありようもない紀元前のことである。山間を流れる嘉瀬川は、川幅いっぱいに勢いよく水が流れている。
「ひと休みしようか」
 川原の手ごろな岩を見つけて腰を下ろした徐福さん。夫婦2人で仲良く弁当を頬張ったらまた眠くなった。肩にかけた荷を下ろし、草履も脱ぎ捨ててまたまた恋女房にもたれて足元の水溜りに裸足をつけた。水が温かい、なんだか変だ。よく見ると、岩の間から湯気のようなものが立ち昇っている。見上げると、天にも届くような椋の木が枝を張っているではないか。気のせいか、モヤモヤしている頭がすっきりした上に、持病の坐骨神経痛まで和らいだような気分になった。
「これだ!」、夢の中の仙人が告げたとおりの湯がそこにあった。

生涯かけて湯守りの決心?

 見つけた湧き湯を守る決心をした徐福さんは、付近に小さな小屋を建てた。
「お爺さん、もうそろそろ陽が落ちますよ」
 お辰さんの甘ったるい声で、またまた目が覚めた徐福さん。
「せっかく見つけた温泉だ。飯前にちょっくらひと風呂浴びてこうかね」
「そうしてください。その間に晩のご飯を用意しておきますけん」
 どこまでが夢なのか、(うつつ)か。徐福さんが見つけたとされる温泉は、その後誰かが「古老が見つけたから古湯」と名づけ、このあたりを古湯村と呼ぶようになったそうな。写真は古湯温泉の鶴霊泉
 徐福さんの死後、この地方を襲った地震で山が崩れ、川の流れも変わってしまい、温泉の行方もわからなくなってしまった。
 それからまたまた時代は下って、今から200年ほどむかしの寛政3(1791)年、稲口三右衛門なる御仁が畑からの帰り道、奇妙な出来事に出くわした。鶴が川岸の水溜りに浸かっている。よく見ると、足の片方を怪我しているようだ。「可哀そうに」、三右衛門さんが翌日確かめに来てみると、傷を負った鶴が同じ場所でまだ湯浴みをしている。1週間もたった頃、鶴は元気よく羽ばたきをして川原を飛び立っていった。すっかり怪我も治ったようだ。鶴が浸かった水溜りに手をつけると、ほどよく温かい。三右衛門さんは、近くの寺の住職や村人と相談して、水溜りの上に屋根をつけ、皆んなが使える湯治場とした。それが今日の古湯温泉の始まりだと。
(完)

 国道脇の「古湯温泉センター」にお邪魔した。湯に浸かってわかったことだが、ここのお湯は非常にぬるい。寒い冬だと、何時間も浴槽から出れそうにない。同年輩の方が10人ほど首まで浸かっていて動こうとしない。約30分ほどして僕が浴室を出るまで、誰一人上がる人がいなかった。皆さん、それぞれ持病を持っていて悩んでおいでなのか。ぬるい湯にいつまでも浸かっていれば、確かに効き目がありそう。なんたって、徐福さんが見つけた温泉なのだから…。
 温泉街を散策した。「白玉饅頭」の看板を見つけて食べたくなった。だが既に売り切れ。饅頭は泊り客が帰宅する時に売るもので、昼すぎにぶらっと寄る者には用がないそうだ。薬師如来と徐福さんを祀っている祠の前の宿は「鶴霊泉」という。なんでも、稲口三右衛門さんが鶴の入浴を見た場所なんだそうな。

古湯温泉

項目 説明 備考
泉質 アルカリ性単純温泉 立ち寄り湯あり
効能 浴用 慢性リュウマチ、神経痛、神経炎、骨及び関節等運動器障害
外傷性障害後の治療、疲労回復
飲用 神経衰弱、ヒステリーの興奮型、脳溢血後の半身不随
不眠症、小児麻痺、動脈硬化症(軽症)

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