伝説紀行 薬師女  大木町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第198話 2004年03月06日版     
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です。

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

如来がくれた子宝

前牟田の薬師女

福岡県大木町


薬師女伝説由来の二尊寺

 三潴郡大木町の東部に、大司山釋在院二尊寺という古いお寺さんがある。この寺には、1000年もむかしの薬師如来にまつわるお話が残っていると聞いて出かけた。

お薬師様の前に捨て子が

 安和年間というから、西暦968年から3年間をさす平安時代である。筑後国は前牟田村(現三潴郡大木町)に吉武外記と名乗る信心深い男が暮らしていた。外記にとって悩みといえば、間もなく40歳を迎えるというのに子宝に恵まれないことだった。妻の明子とともに、玄関先に祀っている薬師堂に朝晩お参りしているが、今のところ妻の体に変調は見られない。
 ある朝、明子が「大変でございます、旦那さま」と、叫びながら部屋に入ってきた。
「はしたないぞ」
 外記が諌めるが、彼女の興奮はおさまりそうにない。手を引かれて表に出ると、薬師堂の前で布に包まれた生まれて間もない赤ん坊が泣いていた。

「誰だ?赤ん坊を捨てる奴は」
 外記が怒り顔で周囲を見渡すと、明子がすかさず袖を引っ張って小声で言った。
「あなた、お薬師さまが私ら夫婦にくださったのですよ」
「そういえば今日は、2月8日だったな」写真:二尊寺の鐘楼
「はい?」
「お薬師さまのお祭りの日ではないか」

娘はは自ら嫁入希望

 欲しくて仕方なかった赤ん坊である。抱き上げるとにっこり笑うその顔が神々しくて、明子が思わず頬ずりした。
「可愛いのう」

 外記は、薬師如来がくださった赤ん坊だから薬師女と名づけた。歳月がたつほどに、可憐さは増すばかりであった。10歳になると、絶世の美人の要素を具えるまでに美しさに磨きがかかった。そこで「成長したら、ぜひ家の嫁に…」と申し出るものが後を絶たなくなった。
「この子は、仏さまからの預かりものだから、どなたであっても嫁にはやれぬ」と断っても、そんな話を信じるものはいなかった。
 薬師女が15歳になった春のこと。肥前の国の大富豪を名乗る若者が、荷車いっぱいに土産を積んでやってきた。名を吉門といい、それはいい男だった。
「断る!」
 玄関先で外記が声を荒げて若者の前に立ちふさがった。そこに出てきた薬師女が「このお方のところにお嫁に行かせてください」と言い出したものだから、状況は一変してしまった。

薬師女が行方不明に

「娘は嫁に行くものです」
 妻の明子は、夫と違って娘の将来について割り切っている。そこで、肥前国へ嫁入させることが決まった。
「何かあったら、必ず戻ってくるのだぞ」
 外記は、嫁に行く娘にこんこんと言い聞かせた。そして、薬師女が旅たつ日が来た。
「みっともないからおよしあそばせ」と明子が諌めても、外記は娘を国境まで見送るのであった。夜になると、今頃薬師女がよその男に抱かれているのかと思うだけで、外記の気持ちがおかしくなってしまった。
 薬師女が嫁にいって10日目のこと。
「妻が来ておりませぬか?」
 外記の屋敷に、血相変えて吉門が飛び込んできた。
「娘は10日前にそなたのもとにやったばかりではないか。いったいどうしたのじゃ、婿殿?」
「はい、大事なお嬢さまをいただいたのです。万が一にも粗相や事故などないようくれぐれも家人に言い聞かせております。また、愛するお父上やお母上と別れた寂しさもあろうかと、屋敷の周りを四季の花で埋めました。遊び相手や世話をする女中も数十人つけております。ところがでございます。3日前のこと、庭で花摘みをしていた薬師女が突如姿を消してしまったのでございます。広い屋敷を隈なく捜しても見当たりません。そこで、家来総動員で国中を捜したのです」
「それでも見つからなかったのか、婿殿?」

川岸に不思議な老人が

「はい。ところが昨日になって、屋敷の大きな池の中央に、白髪の不思議な老人が現われたのでございます。老人は、『そなたの嫁はわしが預かった。会いたければ、明朝夜明け前に前牟田村の山ノ井川の岸辺に立つ三本松まで来られよ』と言い残して消えたのでございます」
「それで、我が屋敷にやってきたというわけだな、婿殿」
 娘は、それほどまでに父が恋しかったのか。
「可哀そうに、もうどこにもやらないから、安心して父のもとに帰っておいで」
と口の中で唱えながら、外記は庭先をウロウロするばかりだった。
 翌日、一番鶏が鳴くとすぐ、外記と吉門が連れ立って川岸の三本松の袂にやってきた。東の空が白みかけたその時である。


写真は、大木町の風景

「貴方さまは、昨日のご老人?」
 吉門が、川の向こう岸に立つ老人に話しかけた。
「して、私の嫁は…?」
「薬師女はいずこ?」
 吉門と外記の発声が同時であった。

娘は仏の世界に

「その前に、わしから申し述べたきことがある。前牟田村に大きな鐘楼を設け、朝晩音色を響かせよ。さすれば、村の永久(とこしえ)の繁栄を約束しよう。これまで薬師女を育ててくれた、これが仏からそなたらの村への礼じゃ」
「これからも、薬師女を粗末にはいたしませぬゆえ、なにとぞ我が身にお返しください」
 外記は、地面に頭をこすりつけて哀願した。
「娘は、もう戻れぬ。薬師如来のおわす仏の世界に帰るからじゃ」
「何ですか、仏の世界とは?」
 老人の言う意味がわからず、外記も吉門も首を傾げるばかりだった。
「薬師如来は、吉武外記夫婦の熱心な信心に応えて、縁日に女の子を一時お授けなさった。だがその子を預けるのは、娘時代までなのじゃ。人間の男と交わることなどできるわけもなく、再び仏のもとに帰ることになった。話はそこまで」
 話し終わって、老人が歩きかけた。

瓜二つの老人が村に幸せを

「待ってください。でもご老人は昨日、山ノ井川の三本松で薬師女に会わせると約束されたのでは?」
「確かにそう申した。まだ気がつかぬか、私の顔を見ても・・・」
 言われて、東の空の薄明かりを頼りに白髪の老人の顔を見つめた。
「あっ!」
 またもや、外記と吉門が同時に驚きの声を上げた。そのとき、老人の姿は朝もやの中に消えていた。白髪に包まれたその奥の顔は、確かにあの薬師女であった。
「やっぱり、娘を嫁に出すんじゃなかった」
「何か言われましたか?お舅どの」
「いや、なにも」
 外記と吉門の会話はそこで途切れた。

 吉武外記は、前牟田村に神祠山門鐘楼を建造し、平松若宮八幡と名づけた。鐘は遠く筑後平野の隅々まで響き渡り、農民に労働意欲と安らぎを与えた。それからというもの、村人がつくる水田は豊作が続き、村は万々歳だったとか。
 時代は戦国時代まで下って、大友軍が若宮八幡を焼いた上に大鐘も持ち出して千歳川(筑後川)下流(城島町あたり)を船で渡ろうとした。そのとき突風が吹いて船は難破し、鐘もろとも川底に沈んでしまった。そのことがあって、梵鐘が沈んだあたりを鐘が江村(現大川市三又)と言うようになったんだと。
 その後前牟田の人たちはお宮を再建した。享禄年間(1528〜32)には、八幡社を大司山釋在院二尊寺と改め、お寺になって現在にいたっている。(完)

 周辺の村が立て続けに合併して、戦後間もない頃まで20数か町村あった三潴郡が、残るはここ大木町だけになってしまった。東を筑肥山地、北が筑紫山地、西は背振の山々が囲んでいる典型的な農村地帯である。大むかしの農業は、山ノ井川のわずかな水を頼りの栽培だったに違いない。それが、蜘蛛の巣のように張り巡らされる用水路(クリーク)を築いたお陰で、日本有数の米どころに変身した。行けども行けども、クリークとの追いかけっこの筑後平野である。
 さて、本題の薬師女についてだが。信心深い村人は、仏の世界と人間社会を結びつけることで、生きる甲斐を見出そうとした。二尊寺の鐘楼は、そのことを語りかけてくれた。

薬師如来薬師瑠璃光如来の略。東方浄瑠璃光世界の教主で、一二の大誓願を発して衆生の病苦を救い、無明の瘤疾を癒すという如来。普通薬壷を持つ。
如来修行を完成し、悟りを開いた人。真理の世界から衆生救済のために迷界に来た人。仏の尊称。

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