猪は神の化身なり
高原の鳥獣供養塔
佐賀県三瀬村
昔の人は、博多から佐賀方面に旅をするとき、三瀬峠を越えていった。峠から見渡す左右の尾根は、筑前と筑後・佐賀平野を分ける背振山脈である。旅人は、三瀬峠の茶屋で絶景を楽しんだ後、だらだらと続く高原の肥前路を下りていった。
今回は、峠から半里ほど下った国道脇にひっそりと立つ石碑にまつわるお話。風化した碑の表面を透かして見れば、そこには「従十八歳至五十歳 山本軍助利恭 慶長十七年十一月」とある。また表面の上部には仏の像が彫られ、下部には鳥や猪、鹿が草むらで平和に生きている様子がバランスよく配置されている。
地元(今原地区)では、この石碑を400年前に山本軍助なる人物が建立した「鳥獣供養塔」だとして、大切に祀ってきた。「慶長17年」といえば、関が原の合戦から12年が経過した頃だ。当時三瀬高原に住んでいた山本軍助なるお人とは、いったい何者なのか。
猪千頭狩りを誓って30年
今原に住む軍助は猟師で、今日も鬼が鼻岩まで登ってきて獲物を追っていた。村では、彼に銃を持たせればどんな獲物でも取り逃がすことはないとの評判だ。特に猪に対する思いいれがひときわ強く、一頭仕留めるたびに山の神に報告するほどであった。昨日までに仕留めた数が999頭。1000頭目の猪を狙って、洞穴から外を窺がっている。
軍助が、どうして猪にそれほどまでの執着をみせるのか。それは、かつて鬼が鼻の山の神さんに「必ずやり遂げる」と約束したからであった。
軍助が暗い穴倉から外の様子を伺っている、その時分…。留守を守る妻のタエが、病身の義母に呼ばれて座敷に畏まった。
「お前に、我が家の家訓ば教えるけん。うちはこの世に未練などなんもなかばってん、一つだけ気になることがあるとたい。それは、息子軍助に猪狩りをやめさせられんこつじゃった。家訓ば守らせきらんこつじゃった」写真は、背振山中
先祖は猪子大王なり
軍助の家訓とは…、遡ること平安時代。先祖は平家の中心をなす武家だった。「平家にあらずんば人にあらず」と栄耀栄華を独り占めにしていた。だが、総帥の清盛入道が死に、嫡男の重盛まで早死にすると、平家は坂を転げ落ちるように衰退し、巻き返しに成功した源頼朝と義経兄弟に追い立てられて、壇ノ浦で滅亡した。
このとき、生き延びた平家の武将・山本上総守は、数人と連れ立って九州に上陸し、背振の山頂に隠れた。時は下って、天下が織田信長から豊臣秀吉に代わったころ。上総守の子孫の山本軍左衛門は、同じ平家落人子孫の娘と結婚した。その娘が軍助の母である。軍左衛門は今わの際に妻に告げた。
「我が家の前世は、立願の神であり恵みの神の猪子大王なるぞ。その化身である猪だけは殺してはならぬ」と。
「それがこともあろうに、息子の軍助は、猪の千頭狩りまで誓願してしまった。わたしは、息子が猪を一頭殺すたびに、体で矢玉を受けてきた。それゆえ身も心も萎え衰えてしまったのじゃ。よいか、タエ。わたしが死んだら軍助に、くれぐれも今申したことを伝えよ」
話し終わると、義母は嫁の腕の中で永遠の眠りについた。
立ち塞がる不気味な老婆
母が嫁にそんな大事な話をしていることなど知る由もなく、軍助はただひたすらに1000頭目の猪の出現を待ち続けた。
「来た!」、声にならない叫びを上げて、軍助は銃に火をつけた。目の前に子牛ほどもある大きな猪が現われ、牙を剥いて向かってきた。
「今だ!」、引き金を引こうとした瞬間、白衣をまとって白髪を逆立てた老婆が立ちふさがった。
「どいてくれ!どかなければそなたを撃つ」
軍助は、持っていた火縄銃の引き金を引いた。
「ずどーん」、鼓膜も破れそうな激しい爆発音とともに、老婆も猪も姿を消し、その後に点々と血潮が散らばっている。
軍助は鉄砲を投げ捨て、血痕を辿って転がるように山を下りた。
「どうしたんだ?タエ」
上がり口で、嫁のタエが頭を下げたまま泣いている。
「半刻ほど前に、お義母さんが亡うなりました」
「猪に代わって、青白い顔をした老婆が我が前に立ったあの時と同じ時刻だ。母は、命に替えて俺に1000頭目の猪狩りをやめさせたかったのだ」
軍助は、母からの遺言を聞いて、猪狩りをきっぱり諦めた。そして、誇り高き平家の末裔として生きるために、余生を鳥獣保護に努めることを山の神に誓いなおした。国道脇の石碑は、これまでに殺した鳥獣に謝罪し、今後とも三瀬の山が鳥や鹿・猪たちの楽園であり続けますようにと、山本軍助が祈りを込めて建てたものだって。(完)
三瀬村は、40平方キロに1800人が住む典型的な山村である。福岡から出かけるのに車で1時間とかからない。2日前の雪が道端に残っていて標高の高さを実感させてくれる。
三瀬トンネルを抜けて南下していくと、右側に鎮守の森が見えてくる。樹齢数百年の杉の大木に覆われた杉神社である。「鳥獣供養の塔はどこだ?」と探していると、国道を挟んで向こう側の草むらの中に石碑が立っていた。
山本軍助が獲物を求めて走り回った山中に赴いた。無数に流れる小川の水はあくまで澄んでいて冷たさそう。周囲の山々は冬枯れも最終章を迎えて、キラキラと光っている。軍助が猪千頭狩りを誓った鬼が鼻岩も機嫌のよい表情で僕を迎えてくれた。 (2005年2月20日取材)
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