忠犬が太閤を救った
「羽犬塚」由来
【関連資料】
福岡県筑後市
JR羽犬塚駅から線路沿いに北へ5〜600b行くと、宗岳寺という名の古いお寺がある。門を潜るとすぐに、高さ3メートルの五輪の塔と6面の地蔵石像が目に入った。この寺こそ、「羽犬塚発祥の地」だそうな。
説明板によると、「六地蔵」は豊臣秀吉が寄進したもので、右隣の石塔もまた秀吉縁(ゆかり)の「犬の塚」だと書いてある。
太閤が葛野にやってきた
織田信長が京都の本能寺で明智光秀に殺され、跡を継いだ羽柴秀吉が全国の大名を支配下に置くために奔走した時代である。
秀吉は大名から百姓にいたるまで、ありとあらゆる合戦・私闘を禁じた。いわゆる「豊臣平和令(惣無事令)」といわれるものだ。どこかの超大国が土足でイスラムの国に攻め入る論理と同じで、「自分は破壊兵器を使っていいが、他国は一切だめ」だった。関白の位を得た秀吉は、豊後の大友宗麟を援助する名目で、薩摩の島津義久を討つべく、大軍を率いて九州路に入った。天正15(1587)年のことだった。
坊の津街道(現在の国道209号)を南下し、葛野(現在の筑後市羽犬塚)の街に宿営することになった。飛ぶ鳥落とす勢いの関白の到来に、街は緊張に包まれた。
「どの籠が関白さまかいのう?」
雑兵から鎧兜姿の強そうな武将まで、何キロも続く行軍を葛野の街衆は道端に正座して出迎えた。だが、行列のどこに総司令官がいるものやら、そのお方がどんな顔をしているものか、とんとわからずじまいであった。
連れの武将が百姓談義
関白一行が葛野に到着した翌朝のこと。街外れの田んぼ道を見かけぬ小男が一人で歩いている。このあたり、竹藪の多いところだ。
「昨日お着きの関白さまのお連れの方で?」
畑を耕している農夫が、小男に声をかけた。畑の隅では、農夫の連れらしい柴犬が心地よさそうに目をつむっていた。
「そうじゃが。…して、おまえは何の種を蒔いておるんだ?」
「へい、かぼちゃの種をね」写真は、豊臣秀吉像
「今植えたら夏の盛りには食えるな?」
「お武家さまなのに、よくそんなことまでご存知で」
「不思議がることもなかろう。わしだって、殿に仕えるまでは百姓やってたんじゃから」
小男と幾八が、畦に座り込んで百姓談義に花を咲かせていると、それまで気持ちよさそうに眠っていた飼い犬が、竹薮に向かってけたたましく吠え出した。
白いヤマイヌに及び腰
「どうしたんだ?ジョン」
柴犬は、主人の制止も無視して吠え立てた。すると、そばの竹藪が大揺れして、猟犬を一回り大きくしたような、大きな白い獣が長い舌を揺らせながら姿を現した。
「こいつだ!最近畑を荒らしたりするヤマイヌは」
白い獣は前足で砂を蹴り上げて、幾八と小男に飛びかかる構えである。よほど腹をすかしているのだろう、鋭く尖った牙の隙間から粘っこいよだれが滴り落ちている。
「強そうなお武家さま、ここはあなたの出番でございますよ」
幾八が誘っても、小男は前に出ようとしない。
「俺の運命もこれまでか!ナムアミダブツ・・・」
幾八が諦めかけたそのとき、眼前で信じられない光景が展開された。いつもはおとなしい愛犬のジョンが、勇猛にもヤマイヌに飛びかかったのである。獣も、目障りな飼い犬からまず片付けなければと考えてか、向きを変えてジョンに飛びついた。
天狗よろしく跳ねる飼い犬
小さな柴犬とその何倍もの体を持つ白い獣の死闘が始まった。ジョンは、ヤマイヌの股間を潜ったかと思えば、今度は背中越しに大ジャンプして、相手を翻弄する。その都度獣は耳まで裂けた真っ赤な口をなおも広げて飛びかかった。
「そちの犬には、まるで羽が生えているようじゃ」
小男が、震え声で幾八の背中を掴んだ。しかし、所詮は番犬として飼われている身、ジョンのスタミナにも先が見えてきた。敵に噛まれた首筋からは鮮血が噴出している。(写真は、駅前の羽犬モニュメント)
「ウォーッ」
そこに一本の矢が飛んできてヤマイヌの目にに突き刺さった。断末魔のような呻き声を残して白い獣が倒れたのはそのすぐ後だった。
「との、ご無事で?」
獣は、ジョンとの戦いで弱りきったところを、駆けつけた鎧兜の武者の矢に射抜かれたのであった。
「勝義、邪魔をするでない。わしがこれなる化け物を退治しようと思っていたのに…」
実は、白いオオカミ
主従らしい小男と武者たちのやりとりを、不思議そうに眺めていた幾八が声をかけた。
「あの〜」
「よいよい、皆まで申すな。お前の犬といっしょにこの化け物と格闘したお陰で、ひと汗かいて気持ちがよいわ」
小男が立ち上がろうとするが、なかなかうまくいかない。
「それにしても…、このように獰猛なオオカミの出る場所を、一人で出歩くなぞ困ったお方でございます。御身にもしものことがあったらいかがなさいますので?」
「なに?あれがオオカミだと!」「あの白いヤマイヌはオオカミだったのですか?」
小男と幾八が、同時に驚嘆の声を上げた。
「はい、九州では珍しい白いオオカミでございます」
物知り風の家来が、オオカミと普通の犬の違いを語った。話を聞いた小男の腰がまたなえた。
「ジョン、しっかりせんか!」
気がつけば、白いオオカミと格闘した柴犬が息も絶え絶えである。
「可哀そうにのう」
小男が同情して近づこうとするのを、武者たちが押し留めて無理やり駕籠に乗せ、街の方に連れて行った。
小男、実は・・・
「幾八とはそなたか?」
翌朝突然、数人の武者があばら家になだれ込んできた。よく見ると、昨日オオカミの解説をしていた髭面の武将である。
「確かに私は幾八ですが・・・。悪いことをした覚えはございません、どうか命ばかりはお助けを」
幾八は、冷たくなった愛犬を抱いたまま合掌して命乞いをした。
「何を勘違いしておる。咎めどころか、関白殿下からの礼を伝えに来たのだ」
有藤勝義と名乗る武将は、幾八の前に床机を置いて腰をかけ、丁寧な言葉遣いで来訪の目的を告げた。
「何ですって?きのうのあの臆病な、いえ、強そうなお人が、関白秀吉さまなのですか?」
「いかにも、あのお方が関白秀吉殿下でござる」
「でも、私は関白さまに礼を言われるようなことは何もしておりまっせんが」
「殿下が礼を述べられるのは、そなたではなくて、そこな羽の生えた柴犬のことなのだ。実は殿下は、その柴犬にお命を助けてもらったと感謝されておる」
「私のジョンには羽なんぞ生えておりまっせん…。それに、オオカミに首筋を噛まれて、今朝方死んでしまいました」
「ん、それは困ったのう」
勝義は本気で困っている様子。
羽の生えた犬の墓?
「殿下からは、確かに羽が生えている犬と聞いたが・・・」
「そ、それは…」
「よいよい、そちの愛犬は、敵と戦うときだけ羽を生やす利口な奴だったのよ。な、そういうことにしておこう。殿下から金子(きんす)を預かってきたによって、その羽の生えたようにすばしっこい犬を懇ろに葬ってくれ」
有藤勝義が立ち去った後も、幾八は何がなんだかわからずに、ボーっと突っ立ったまま時を過ごした。(写真は、宗岳寺本堂)
こうして葛野の寺には、幾八の愛犬の墓と秀吉が信仰する六面地蔵が祭られることになった。それまでの「葛野」という地名が「羽犬塚」と言い換えられることにもなった。
江戸時代になると羽犬塚は、お茶屋・会所・問屋・旅籠・商店などが軒を連ねる重要な宿場町としてますます繁栄することになる。(完)
宗岳寺は、むかしお茶屋だった跡に建った羽犬塚小学校の隣だった。そこから100メートル西側をJR鹿児島線が通っていて、特急列車が轟音を響かせて通り過ぎていく。
「羽が生えた犬は現実的でない」と、どこかの解説書には書いてあった。これもまた伝説の世界である。そんなことで剥きになることもなかろう。いかに筑後市と名を変えようが、町村合併で見せかけだけの人口が膨らもうが、九州新幹線の駅を遥か南の田んぼの中に持っていこうが、羽犬塚は羽犬塚なのである。九州を縦断する幹線(209号)の要衝なのだから。今は昔の話になったが、羽犬塚駅を基点として黒木の町までポッポ汽車が走っていたことも懐かしい思い出だ。
そんなことを考えながら宗岳寺を出たら、線路の先の八女工業高校の校舎が目に付いた。あの学校には、競輪の中野浩一を世に送り出した正義感溢れる先生がいたな、僕の同窓生の…。やっぱり羽犬塚は良い町だ。
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