伝説紀行 船小屋温泉由来  筑後市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第189話 2005年01月02日版
再編:
2007.04.22 2019.03.10
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

雀(すずめ)の地獄

船小屋温泉の由来

福岡県筑後市・瀬高町


船小屋温泉の雀地獄
2013年4月2日撮影

 筑後市と瀬高町の境を流れる矢部川の北岸に、古くから鉱泉湯として知られる船小屋温泉がある。国道209号を入ったところにある「日本一の含鉄炭酸水」という看板の場所がその源泉だ。そこには、「雀地獄」なる不気味な名前もつけられている。

突然、足元から蒸気が…

 久作と半次郎は幼馴染である。今日も矢部川に浸かって(ふな)を捕まえたり、仕掛けていた鰻の(うけ)を引き揚げたり、共同作業に余念がない。時代は江戸時代の中頃。久留米藩の尾島(現筑後市尾島)でのお話。
 2人が一日の漁を終えて帰ろうとする足元で、ブクブク音を立てながら水が湧き出している。半次郎が溜りに手をつけるとそんなに冷たくない。湧き水はあたり数箇所から噴出していて、噴出し口の周りの夏草は鉄が錆びたように赤く変色していた。
「半次郎、雀が死んどる」
「ほんなこつ(本当)たい。あっちにも・・・」
 雀は10羽ほど息絶えていて、白い腹毛を天に向けていた。死んでいるのは雀だけではない。イナゴやバッタなど夏の夜長を鳴き通す昆虫たちも、無数に無残な姿をさらしていた。
「雀や虫があげん死ぬとじゃけん、この水にはそうとう強か毒があるとじゃろね」
 湧き出す水に手をつけた半次郎の顔色が変わった。
「お前も、雀と同じ生き物じゃけんな」
 何気なく言った久作の一言で、久作の膝頭の揺れが更に激しさを増した。

触れたら危ない“雀の地獄”

 さあ大変、放っておいたら相棒の命が危ない。久作は半次郎を荷車に乗せると、ガタガタ橋(矢部川に架かる流れ橋)を渡り、川向こうの瀬高にある医者の屋敷に駆け込んだ。矢部川を渡ればそこは柳河藩である。言葉も久留米弁から独特の柳河弁に変わる。
「おかしかばんた。あんたはん、どこもどうもなかばんた」


 医師は、この忙しいのに、よその藩からまで冷やかしに来ないで欲しいと言いたげである。医者から見放され、仕方なく外に出た久作と荷車の上で息絶え絶えの半次郎。行くあてもなく尾島に戻ろうと矢部川の手前の長田村までやってきた。再びガタガタ橋を渡ろうとすると、年齢の頃なら60歳を超えたくらいの老人に声をかけられた。


写真は、船小屋温泉に架かる旧流れ橋(2012年豪雨で流される)またの名をガタガタ橋
2007年9月撮影

「ありゃ、雀も近寄れん地獄ですけん」
 久作が()()くしかじか、何とか親友の命を救いたいと、涙ながらにいきさつを話した。久作の話を聞きながら、老人はニタニタしている。
「ありゃまあ、よく似た話もあるもんたん」
 老人は、顎鬚(あごひげ)をさすりながら吹きだしそう。
「おとっつあん、そげん髭ばっかり触っとらんで、どこかよか医者ば引き合わせてくれんね」

長田の老人が毒水を飲んだ

 老人は、2人に同情したのかしないのか、「ついてこんかん(ついてこい)」と言うなり、さっさと前を歩き出した。
「なんがそげんおかしかですか?俺の親友が今にも死のうちしよるとに・・・」
 久作は、伴作と名乗る老人の行動が不可解なので尋ねた。
「ばってん、死んどらんめえが、あんたの親友は・・・」
「死んどりゃせんばってん、尾島で噴出しとる水に触れたら雀でんイナゴでん、みんな死んでしもうとる。そいけん、こん半次郎もこのままじゃ死ぬとたい」
 久作が本気で怒り出したものだから、さすがの伴作老人も少しまじめな顔になった。
「ほらあそこば見んさい。同じごと赤っかな水が噴き出よるじゃろ」
 老人は、久作があっけにとられるのも知らぬげに、溜まった湧き水にしわくちゃの両手を浸けた。そして手のひらにすくって飲んでしまった。
「なんまいだ、なんまいだ」
 久作は思わず両手を合わせて念仏を唱えた。
「何ば縁起の悪かこつば・・・、あんたさんもいっちょう飲んでみんさい」

・・・飲んだら疝癪がよくなった

 遠慮する久作を、今度は「もっとよかもんば見せてやる」と言って、側の板囲いの中に案内した。中には風呂桶が置いてあり、老婆が熱心に焚き物を押し込んで沸かしていた。
「こりゃ、わしの婆さんたん。よか湯加減じゃけん入ってみんさい」


写真は、新船小屋の源泉場(2013年4月22日撮影)

 気味が悪くてまたも遠慮する久作を尻目に、伴作老人はさっさと褌をはずして風呂桶に飛び込んだ。
「もうわかったろう。こん風呂の水は、あの湧き出しとる赤っか水たい。毎朝毎晩こん湯に浸かっとったら、肩の凝りやリュウマチがようなった」
「はい、私もですよ」
 風呂釜の前の老婆が、亭主に相槌をうつようにしゃべりだした。夫婦が住む長田村で、噴出した湯を見つけたのは伴作老人だったそうな。やはり雀やイナゴの死体が散らばっていたが、お構いなしに手をつけたところ、何とも気持ちが良い。疝癪(せんしゃく=胸や胸部がさしこんで痛む病気)で苦しむ婆さんも、「ものは試し」とばかりに、湧き出し口の水をすくって飲んだ。そのとき亭主の伴作は、やはり「南無阿弥陀仏」を唱えながら目をつむったと言う。ところが、これまた老婆の疝癪はたちどころに治ってしまった。

湯質は有馬温泉と同類げな

 半次郎が青ざめ、久作が雀地獄と恐れた矢部川を挟んで同じように噴出した水は、実は人間の病気を治す恵みの薬水だったのだ。「雀地獄」、実は世にもまれな薬水の噂は近郷近在に響き渡り、やがてその筋の専門家が鑑定することになった。すると、なんとこの水の成分は、日本の三大名湯に数えられる有馬温泉と同じことが判明した。飲んで効果を表すのは、炭酸成分を多く含んでいるためだとか。もちろん、温泉ではないので沸かさなければ風呂にはならない。
「そんなに、よか湯なら」ということで、尾島と長田の村では総動員で井戸を掘って、湯治場とした。久作や老人が、雀地獄を発見してから20数年経過してからのことである。その後幾多の変遷を経ながらも、尾島の船小屋温泉と長田の鉱泉場は湯治場として、その後もくつろぎの場として栄えている。(完)

 僕が子供の頃に知った船小屋温泉は、「飲めばラムネの味」であった。久しぶりに訪ねると、雀地獄も矢部川の清流も、そしてラムネの味もまだむかしのまんまだった。ガタガタ橋(特有の流れ橋)を渡り、中の島で一休み。師走と言えども、清流をかすめてくる風が心地よかった。
 矢部川の向こうは長田鉱泉場。現在では新船小屋温泉として売り出している。レトロ調の雀地獄には、引きも切らず水を汲みに来る人で賑わっていた。彼らの願いは、下記の病気を治したい一心であろう。
 雀が見つけた温泉(正確には鉱泉)が、これからも末永く地元に愛される憩いの場であって欲しいものだ。それがどうだ、この度近くに新幹線の「船小屋駅」を造ることになった。自民党の幹事長までやった僕と同姓の代議士が、強引に誘導したみたい。静かな環境こそ命の船小屋温泉も、こんなことでぶっ壊したくないな。

船小屋温泉について・・・
  泉質…単純炭酸水(緊張性、低張冷鉱泉)
  泉温…19度
  飲用適応症…慢性胃カタル、特に胃酸減少症。胃アトニー慢性便秘、慢性腎炎、慢性膀   胱カタル。(この項、九州大学温泉治療学研究所)


  

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