伝説紀行 お池とから池 九重町
|
僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
お池とから池 大分県九重町
三俣山が真っ白い雪を被ると、九重の山々は人をも寄せ付けない威厳を増す。冬篭りをする植物たちにとって、この時期こそ春を迎えるための新しい芽を慈しんでいるのだ。獣たちは、誰に遠慮もせずに雪原を走り回っている。 猟師の目に母子猿が 江戸時代も終わりの、季節が秋から冬に移ろうとする頃。田野村に住む又八という猟師は、女房のおかつにつくってもらった弁当を腰にぶら下げて、今日も九重の山を駆け回っている。どうしたことかこの日に限って鳥も猪も現われなかった。このまま家に帰ろうものなら、おかつのしかめっ面が迫ってくるに違いない。 すがりつく小猿を谷底へ 「ズドーン」、山中が震えるような爆発音とともに、弾は母子猿目掛けて飛んでいった。手応え十分で、又八は獲物に向かって駆け下りた。猿は恨めしそうに白い目をむいて横たわっていた。その親猿の手に小猿がしがみつき、恐怖の眼をこちらに向けている。
「しっ、しっ」 下の池の水が上の窪みに 切り取った山刀の刃についた血を拭こうとして、又八が困った。べっとりついた血潮は短時間で変色して、ドス黒く曇ってしまった。手拭で拭いても、その気味悪さは増すばかりである。山の地形なら自分の庭のように熟知している又八は、少し下りたところの池の水で山刀を洗うことにした。地元の者が「御池」と呼ぶ神聖な池のことである。 殺生の報いは山守に そのとき、一転空が掻き曇り、九重の山全体がグラグラと横揺れした。地響きとともに鼓膜が破れるかと思える声が又八に襲いかかった。 5年たって里人が目撃 「どげんしたものやら?」
それからである。九重の山では猟をする者がいなくなり、獣や鳥や植物の楽園になっていった。もう一つ。又八が上に行ったり下に行ったりした山中の窪みであるが、今でも上が水をたたえた池で、下は赤茶色の山肌をむき出しにしたままだそうな。怨念は科学を超えるのか。(完) 九重連山は、拙著「大河を遡る」の舞台である。取材のため、何十回も通って、山の景色は知り尽くしているつもり。だが、筆者は「山は登るものではなく、下から眺めるもの」と決めているからややこしい。したがって、物語りに出てくるお池や窪みをこの眼で確かめてはいないのである。でも、山を愛する地元の人々の願いが、このような伝説を生んだことは容易に納得できる。 |