茶壷ヶ池
大分県大山町
大山町の中央を流れる筑後川
熊本県から大分県へと流れ下った杖立川は、名前を大山川と変え、やがて日田市内の三隈川へと流れ進む。その間、松原ダムのすぐ下流に絶景の渓谷が連なる。響渓谷(ひびきけいこく)という。
その渓谷の近くには、汲めど尽きない泉が噴出していて、小さな池を形づくっているとか。むかしの人はこの池を、「茶壷が池」と称した。没落した長者屋敷の池の底に純金の茶壷が隠されているという噂から名づけられたもの。だが、誰一人茶壷を見た者はいない。「それは、周辺に住むカッパが大切に守っているから」とは、物知りで知られる土地のお年寄りの知ったかぶりである。
長者の慰めは・・・
万蔵さんは、屋敷内の池の向こうに見える渓谷の美しさを眺めながら、ぼんやりとした日を送っている。400年もむかしの小五馬村(現大分県大山町)でのこと。万蔵さんは、近隣の山林を独占し、使用人も数え切れないほどに抱える大金持ちである。何一つ不自由のない暮らしぶりに見えるが、そんなにいいことばかりとはいかないのが世の常なのである。
間もなく50歳になろうというのに、妻ヨネさんとの間に跡を継ぐ子供がいないのが悩みの種。親代々から引き継いだ財産と金銀財宝を、死んだ後誰に引き継げばよいのやら、万蔵さんはそのことばかりを考えて憂鬱な日を送っているのだった。
彼の目には、屋敷から見える渓谷の美も、空ろに写るだけだった。そんな時唯一心を慰めてくれるのが、純金の茶壷。今日も人払いをして茶壷を取り出し、撫でたりすかしたりして飽きることがない。
「仏さまが、わしに子宝さえ与えてくれたら、ほかになんの贅沢も言わないものを、なあ、茶壷よ」
一夜で長者屋敷が消滅
誰にも触ることも見ることも許さない。だが、死んでしまえば誰かの手に渡ってしまうかわからない茶壷の運命を考えると夜も眠れない。
「そんな勝手なことをさせてなるものか!」
万蔵さんは、広い座敷で、天井に向かって叫んだ。そこで子飼いの由吉を呼んで何事かを言いつけた。
「あの火の手は、万蔵さんの屋敷じゃねえか?」写真は、響渓谷
大山川の対岸に集まった衆が騒いでいる。炎はますます勢いを増し、一晩中燃え盛った。翌朝、村の衆たちが恐る恐る火災現場に近づくと、焼け跡に男が1人しょんぼりと立っていた。
「みんな、焼け死んでしもうた」
男は、前日主人の万蔵に呼ばれて、何事か言いつけられた由吉である。
「あれだけいた使用人や家人がみんな死んでしもうたち言うのかい?」
「たいがいの雇われもんは既に屋敷を去っていたけんな。あげなケチん坊のとこでは働けんちいうてな」
「して、肝心の万蔵さんと嫁さんは?」
「たいがい捜したばってん、どこに行ったか。…おおかた焼け死になさったつじゃろ」
由吉は、腑抜け顔で説明を終えると、抱えていた風呂敷包みを大事そうに小脇に、五色の松に囲まれた池の方に下りていった。その後、彼の姿を見たものは一人もいない。
金の茶壷も消えた
「由吉が大事そうに持っていたのは、ありゃ何じゃろか?」
日がたつにしたがって、またも村の衆の話が賑やかになった。
「屋敷の中の財宝はみんな焼けてしもうたとして、万蔵さんが命の次に大事にしていた金の茶壷まで焼いてしもうわけがなか」
そこで、由吉が抱いていた風呂敷包みの中身が問題になった。
「そう言えば、由吉の奴、いったいどこさん行ってしもうたつじゃろね」
「茶壷を抱いたまま五色の松の池に身を投げたかもしれんな」
噂は噂を呼んで、茶壷は池の底に沈んでいるということになってしまった。そこで、村総出の池干しが始まった。何しろ、大長者の最大の宝物である。売捌いて山分けすれば相当のものになること間違いなしだ。欲の皮の突っ張った連中の目は、池の底の泥や腐った植物の一つ一つを掻き分けるほどの徹底振りだった。だが、出てくるのはなまずや鮒など魚ばかり。とうとう金の茶壷も由吉の遺骸も見当たらなかった。(完)
それからである、万蔵屋敷の池のことを「茶壷ヶ池」と言うようになったのは。時を経て、上流に松原や下筌など巨大なダムができて、響渓谷周辺もすっかり様変わりしてしまった。あれだけ豊富だった水量も姿を消して、ちょぼちょぼと岩の間を流れる程度に。必然、400年前の万蔵さんが住んでいた屋敷の池の水も涸れて、薮に覆われた水溜りが残るだけとなった。わずかに池に下りていく石の階段だけが、「あれが茶壷ヶ池の証」と、細々と噂を繋ぐ材料にされている。
いったん大雨が降ってダムの水が放流されると、あたりは気が狂ったように濁流が渦巻く。「公共工事」とかなんとかで、自然の仕組みをぶっ壊すだけが能じゃあるまいし。自然のままで、「茶壷」が眠る渓谷の美を楽しんでいたいものだ。
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