伝説紀行 小太刀権現  みやき町(中原町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第182話 2004年10月31日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
小太刀権現

佐賀県中原町


綾部城があった現綾部神社

 佐賀県中原町を横切る長崎自動車道のすぐ下に、農作物の収獲を占う「旗揚げ」神事で有名な綾部神社がある。その近くの小さな社(やしろ)は、村人たちが、瘧(おこり)を患うたびに詣でて治癒を祈願したところだ。病魔から脱出した善男善女は、社に小太刀を供えてお礼を述べた。そんなことから社のことをみんなは「小太刀権現」と呼ぶようになった。

瘧(おこり):隔日または毎日一定時間に発熱する病気。多くはマラリアを指す。(広辞苑)

世は戦国時代、義父は寝返った

 一国一城制が江戸幕府から言い渡される前まで、今の綾部神社の場所に綾部城が建っていた。明応6(1497)年、綾部城の主は馬場肥前守頼周。頼周の嫁は少弐政資の軍門にある筑紫満門の娘・綾姫であった。ある日頼周のもとに早馬が駆け込んできた。綾姫は城内の異様さに不安を抱き、夫の頼周に何事かと尋ねた。
「そなたが心配せずともよい」
 頼周はことさら平静を装いながら、妻に言い聞かせた。それでも安堵できない綾は、詰め寄った。
「実はそなたの父君が、防州(周防)の大内義興に寝返られた」
 空ろな目をして語る夫を見ると、綾は実父の行動が許せなくなった。当時、諸国の有力大名は、弱小大名を支配下に置くべく凌ぎを削っていた。防州の大内義興もその1人で、やがて全国制覇を夢見て関門海峡を渡り、筑紫の雄である少弐政資を攻めた。謀略術に長ける義興は、少弐を攻めるに際してまず家来筋に当たる筑紫満門に迫り、満門も将来東肥前を領土に与えるとの義興の甘言を受け入れて軍門に下った。娘婿である綾部の馬場頼周は、それまでの恩も忘れて目先の利益に走った義父が許せなかった。

嘘の手紙で誘き出す

 頼周は義父宛に何度も文をしたためた。何とかもう一度少弐方に戻るようにとの説得であった。だが返事はつれないもの。それよりも、「婿殿も、一刻も早くわしに同調せれよ」との催促が返ってくるばかり。
「そなたの父上に文をしたためて欲しい」
 思いつめた頼周は、妻の綾姫の手を握り締めて頼んだ。
「わしの手紙では埒が明かぬのだ。こうなれば父上に綾部までお越し願って直談判するしか方法(みち)はない」
 綾姫とて、今では実父より愛する夫の立場を理解する。そこでしたためた内容は、「跡取りの若君、つまり父上の孫が疱瘡にかかり、高熱で生死の境にあります。何とか見舞って励ましてください」というものだった。もちろん、子供が重病とは真っ赤な嘘。
 とるものもとらず、満門父子が綾部の城にやってきた。お供は近習数人だけである。孫かわいさのあまりに警戒心が失せ果てていた。
「お気の毒に、少弐の御大将は大内兵に追いまくられて、西へ西へと逃げられたが、遂に多久(現佐賀県多久市)で自害された。儂の見る目は確かだったということだ。婿殿も、わしが滞在する間に、大内殿への転身を決意されよ」
 満門の表情は柔和であり、とても戦国武将のそれとは程遠いものだった。だが、義父の説得を苦々しく聞く頼周の胸は高鳴るばかりであった。

「若殿の病室」でだまし討ち

「何分にも若殿の気持ちが沈んでおられるゆえ、どうかお腰のものを」
 女中頭に促されて、満門は大小を預けて跡とりの部屋に父子だけで入った。可愛がった綾姫の婿を微塵も疑わなかったのである。襖の陰に隠れていた刺客数人が父子に襲い掛かり、胸を一突きすると広い座敷は瞬く間に血の海に。急を感じて駆けつけた近習たちも、わずかに小太刀を振り回すだけで、次々に地獄の釜に放り投げられた。
「だまし討ちとは卑怯なり!」
「綾姫の実の父上を、このように無残な!」
「この恨み、死んでも忘れはいたさぬっ」
 近習たちは、主の最期を見届けるようにして血の海に沈みこんでいった。

夜毎の亡霊に小太刀を献ず

 それからである。綾部城の周辺には夜毎青白い人魂が舞い、「うらめしや〜、馬場頼周め」と、薄気味悪い声が響き渡った。城内での悪病はあっと言う間に村中に広がり、やっと育てた作物も、毒蛾の異常発生で全滅する始末。
 戦国武将の宿命とはいえ、志半ばで忙殺された権力亡者の執念は死後にも及ぶことになった。村長(むらおさ)の司祭で亡者を呼び戻し尋ねると、「この恨み、小太刀を供えて治めよ」とのこと。
「近習が最後の抵抗を試みるのに使った小太刀は、死後の世界でも有効なるや」写真は、綾部神社
 村長は、刀鍛冶に特注した小太刀を、新築した満門主従を祭る社に献じた。それからというもの、夜毎の人魂はすっかり姿を消し、村も平穏をとり戻したとか。
 村で瘧(おこり)が発生すると満門社に治癒を祈願し、成就すると競って立派な小太刀を奉納するようになった。いつしか人々はこの社のことを「小太刀権現」と呼ぶようになり、長く信仰を集めたとのこと。(完)

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