伝説紀行 行者と大蛇  東峰村(小石原)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第181話 2004年10月24日版
再編:2019.11.17
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
役の行者と大蛇

福岡県小石原村


役の行者堂(東峰村)

役の行者というお人

 小石原といえば思い出すのが、特産の陶器であろう。その小石原焼は、朝鮮の陶工が伝えた「高取焼」から遅れること17年後の天和2(1682)年頃に始まったとされる。そして小石原でもう一つ有名なものが、村の東北部に聳え立つ巨大な杉の群だ。「行者杉」と呼ばれるこちらは、500年もの年月を掛けて成長し、近くの行者堂を見守るようにして立っている。行者とは、有名な奈良時代の山岳呪術者である役の行者(えんのぎょうじゃ)(本名:役小角=えんのおづぬ)のこと。後世に及んで村人たちが建てた行者堂には、行者の立派な木像が祀られている。行者の周りには、赤鬼・青鬼・山犬が取り巻くように並んでいる。そんなことから、この物語が出来上がった。
「朝倉風土記」によれば、役小角は大宝元(701)年に彦山より宝満に向かったと記してある。土地の方々は、縁の英彦山(彦山・日子山)の修験道と結びつけて、彼が当地に滞在したものとして語り継いできたらしい。

小石原は大沼だった

 ときは今から1300年前の奈良時代。大和国葛城山を根城にして修行を積んでいた役小角(役の行者)は、中国大陸で更なる修行を積むためにふるさとを後にした。供は赤鬼と青鬼、それに愛犬のクロであった。船旅の出発点となる九州への道すがら、見上げる山々を念力で飛び越えながら、人が寄り付かなかい深い谷に住む仙人を訪ねては、腕比べや知恵比べを申しでた。小角のそれが旅の楽しみ方でもあった。
 いよいよ九州の地を踏み、山岳修験の本山として有名な彦山を経て全体が沼地の小石原の里に下りてしばらく後のこと。
「お願いでごぜえます」
 村人十人が連れ立ってやってきた。彼らの耳には、野宿している小角の一行が、遠い大和国で名高い呪術師であることが聞こえていた。何やらこの里には大変なことが起こっているらしい。

大蛇の害から守って欲しいと

「何事じゃ?」
 小角は、家来の赤鬼・青鬼を従えて応対した。
「実は、小石原の沼には恐ろしい大蛇が棲んでいるのでごぜえます。近づいてくる木こりや猟師を見つけると、毒を吹きかけて気を失わせたうえに、一飲みにしてしまうのでごぜえます。あなたさまは、葛城山から吉野の山まで、空中に橋を描いて念力で渡るすごいお方だとお聞きしたのでごぜえます」
「小石原の里を恐怖に陥れる大蛇を、あなたさまの念力でなんとか退治してくだせえませ」
 村人は持参した地酒を差し出して、次々に頭をこすりつけた。


写真:現在の小石原のメーンストリート

「弱ったのう。わしは呪術師である前に、生類すべてを哀れむ仏に仕える者なり。じゃと言うてお世話になる御地の皆の困りごとも解決せねばならぬし…」
 とりあえず、持参した地酒を家来にしまわせて、村人は帰した。

家来と仲間を総動員して

 思案の末に役小角は、家来の赤鬼・青鬼に命じて薪を集めさせ、頃合を見て火をつけさせた。天に向かって白煙が立ち上ると、遥か東の空から数十羽のカラスが飛んできた。カラスはカラスでも、修験の衣装を身につけたカラス天狗どもである。
 小角はカラス天狗に羽ばたきを命じると、火勢はますます強くなり、煙は広大な沼中を覆った。それまで控えていたクロが、ありったけの声で吠え立てたから、草むらに隠れていた大蛇もたまらない。10間(18b)もある体をのっそりもちあげた。せっかくの昼寝を邪魔された大蛇は、いぶし作戦を仕掛けた役小角が許せなくて、真っ赤な口をあけ2枚の舌をチョロチョロさせながら襲い掛かってきた。


写真は、小石原の行者杉

 そこは大和の山岳で鍛えぬいた小角である、騒がず座り込んで香精童子の力も得て呪文を唱えた。
「ノウマクサマンダラ バサラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラ カンタラ エーイ」
 その世界で頂点を極めた者のみに与えられた毒蛇封じの呪文であった。
「エーイ!」
 沼全体が震え上がるような気合で九字を切ると、あれほど猛っていた大蛇の鎌首が勢いをなくしてうなだれてしまった。
「もう人さまに悪さはしまっせんけん、どうか許してもらいたか」
 大蛇の哀れみの声が、研ぎ澄まされた小角の耳に届いた。

大蛇が小蛇に、村は平和に

「わかった」
 小角は、やおら立ち上がると、持っていた杖を地面に打ちつけた。「とーん」と快い音とともに、突き立てた杖の下から清らかな水が湧き出した。
 小角は、柄杓で水を汲み上げると、今度は弱りきった大蛇の体にかけてやった。すると大蛇は、1メートル弱の普通の赤蛇に。
「これからは、人の目に触れぬ場所で安穏に暮らせ」
 小角が言って聞かせると、元大蛇はかすかに頷いて深い草むらに消えていった。それからは、小石原の里に平和が戻ったとのこと。役の行者というお方は、鍛えられた精神力で、弱い立場のものを救った偉いお坊さんなのである。写真:役の行者が湧かせた香池
 そういえば、役の行者をお祭りする森には、今でも大蛇をあぶりだすために火を焚いた護摩壇や香精童子の石碑もあると聞く。そして、小角が杖を立てて湧き出させた香池も残されている。(完)

行者杉について

 行者堂の周りは、樹齢200年から600年に及ぶ杉の巨木が群生している。「行者杉」と呼ぶ。一歩樹林に足を踏み入れると、昼なお暗く独特の湿気が漂う。小石原村(現東峰村)の村史によれば、行者杉のいわれを次のように記してある。(抜粋)

 小石原地区の皿山には、人工群落としては国内有数の美林「行者の杉」がある。品種は「ホンスギ」。根元が直径50a以上の杉が、約11ha.の国有保護林中に1300本余りもあるとか。


写真:英彦山神宮

 皿山には、室町時代に建てられたという役の行者の像を祀った行者堂もある。行者の杉は、この行者堂の周辺にあって、筑前方面から英彦山に入山する修験者(行者)たちが、途中この地において身を清める行をしたときに、行者堂の周りに献木として植樹したと伝えられている。
 杉は、新旧二つの時代に分かれている。その一つは、数本だけだが樹齢600年の古木である。「大王杉」といわれるものは、高さ約55b、幹周りが8.42bもの大木だ。それに次ぐ霊験杉は、周囲が7.96bあり、「のっぽさん」とか「あしながおじさん」とも呼ばれてきた。もう一つは、樹齢が200年から300年の比較的若い杉群であった。

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