伝説紀行 行者と大蛇 東峰村(小石原)
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
役の行者と大蛇
福岡県小石原村
役の行者というお人 小石原といえば思い出すのが、特産の陶器であろう。その小石原焼は、朝鮮の陶工が伝えた「高取焼」から遅れること17年後の天和2(1682)年頃に始まったとされる。そして小石原でもう一つ有名なものが、村の東北部に聳え立つ巨大な杉の群だ。「行者杉」と呼ばれるこちらは、500年もの年月を掛けて成長し、近くの行者堂を見守るようにして立っている。行者とは、有名な奈良時代の山岳呪術者 小石原は大沼だった ときは今から1300年前の奈良時代。大和国葛城山を根城にして修行を積んでいた役小角(役の行者)は、中国大陸で更なる修行を積むためにふるさとを後にした。供は赤鬼と青鬼、それに愛犬のクロであった。船旅の出発点となる九州への道すがら、見上げる山々を念力で飛び越えながら、人が寄り付かなかい深い谷に住む仙人を訪ねては、腕比べや知恵比べを申しでた。小角のそれが旅の楽しみ方でもあった。 大蛇の害から守って欲しいと 「何事じゃ?」
「弱ったのう。わしは呪術師である前に、生類すべてを哀れむ仏に仕える者なり。じゃと言うてお世話になる御地の皆の困りごとも解決せねばならぬし…」 家来と仲間を総動員して 思案の末に役小角は、家来の赤鬼・青鬼に命じて薪を集めさせ、頃合を見て火をつけさせた。天に向かって白煙が立ち上ると、遥か東の空から数十羽のカラスが飛んできた。カラスはカラスでも、修験の衣装を身につけたカラス天狗どもである。
そこは大和の山岳で鍛えぬいた小角である、騒がず座り込んで香精童子の力も得て呪文を唱えた。 大蛇が小蛇に、村は平和に 「わかった」 行者杉について 行者堂の周りは、樹齢200年から600年に及ぶ杉の巨木が群生している。「行者杉」と呼ぶ。一歩樹林に足を踏み入れると、昼なお暗く独特の湿気が漂う。小石原村(現東峰村)の村史によれば、行者杉のいわれを次のように記してある。(抜粋) 小石原地区の皿山には、人工群落としては国内有数の美林「行者の杉」がある。品種は「ホンスギ」。根元が直径50a以上の杉が、約11ha.の国有保護林中に1300本余りもあるとか。
皿山には、室町時代に建てられたという役の行者の像を祀った行者堂もある。行者の杉は、この行者堂の周辺にあって、筑前方面から英彦山に入山する修験者(行者)たちが、途中この地において身を清める行をしたときに、行者堂の周りに献木として植樹したと伝えられている。 |