伝説紀行 矢部のクツワムシ  矢部村


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第179話 2004年10月10日版

2008.01.29 2019.03.10
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

クツワムシの音楽会

福岡県矢部村


「後征西将軍良成親王の墓」

 福岡県の最南端部に位置する矢部村は、四方を1000メートル級の山に囲まれた、矢部川の源流域である。起伏の激しい山岳地帯で、面積のほとんどは杉の林。耕地はわずかに5%足らずしかない。村の中央部を流れる矢部川と合流する御側川(おそばがわ)沿いには約30の集落が点在する。山中に隠れるように築かれた古い墓所は、後村上天皇の皇子・良成親王が眠っている場所だと宮内庁の立て札には書いてあった。
 約600年前の南北朝時代。親王は住処としていた肥後の八代を足利方の今川了俊に攻められたために、この矢部に立て籠もった。それ以来、矢部の山奥では、クツワムシが鳴かなくなったそうな。皇室とクツワムシの因果関係は?

都人が山奥に住み着いた

 権現岳で杉や桧を伐って暮らす良太は、憂鬱な日々を送っていた。1年前に越してきた都人の相手をさせられることがその原因だ。あるとき突然強そうな武将がやって来て、御殿を造営するから協力しろと命令する。御殿の造営には贅を尽くすが、10日以内に完成し、目立たないようにとのややこしい注文なのだ。
 協力したお礼をたんまり貰ったまではよかったが、御殿の主がやってくると今度は話相手をするようにだと。そうじゃなくとも忙しい良太には、枝下しや下草とりの遅れが気になって仕方がない。
「あの山は、なんと申すのか?」
 聞きなれない都言葉で話しかけられ、「あれは釈迦岳と言うとたい」と土地の訛りで答えると、「こちらにおわすをどなたと心得る? 都では下々が寄り付けないほどにお偉いお方であるぞよ。言葉を慎むよう」と文句を言われた。それでも良太には、相手をする都人がどのように偉いのか見当もつかなかった。

虫の音が蹄に聞こえる

 良太が相手をする良成親王は、矢部の山奥にあって来る日も来る日も南朝の復興を夢見ていた。供の者からの知らせだと、情勢が好転している気配はまったくみられない。気持ちは焦るばかりのようだ。塞ぎこみそうな気分を、わずかでも和らげてくれるのが、家来があてがってくれた杣人(そまびと)良太と話をしている時だけである。
 何せ人も寄り付かぬ山また山のその奥のこと。親王には、館に忍び込む蛇や獣が、魔物に見えてしまう。そんなとき、そばにあるものを壁に向かって投げつけたりもした。


山また山が連なる矢部村

「お上、どうかお心静かに時をお待ちくださりませ」
 肥後から同行したお側の家来がたしなめても、イライラが治まる様子はなかった。
「馬の蹄の音が聞こえるが・・・」
 そう言われても良太には何も聞こえない。耳に届くのは、側を流れる小川のせせらぎと虫の鳴き声ばかりである。
「あれはきっと、余を討ち果たすために、今川が攻めてくる音じゃ」
 唇を紫色に染めた親王が、全身を震わせながら家来にすがった。
「ああ、あのガチャガチャいう虫の声ですか。あれはクツワムシだよ」
 良太がぶっきら棒に言うと、親王の震えはますます激しさを増した。恐怖の深潭をさまよう親王には、クツワムシが羽をこする音さえ、敵方の(くつわ)の響きに聞こえたのだろう。

 深夜にいたっても泣き止まぬクツワムシに、たまらず庭に出た親王は、持っていた劒の鞘を払った。目は、これ以上ないほどに大きく見開いている。
「黙りなしゃれ!」
 一喝すると、親王はその場に倒れて気を失った。そして、クツワムシの鳴き声も止んだ。
(そで)()りあうも」なんとやら、良太は権現岳を走り回って薬草を探し、親王に与えた。だが、親王の欝の症状は重くなる一方だった。それ以来である、大杣(おおそま)でクツワムシの鳴き声を聞くことがなくなったのは。(完)

 国道ができて、大杣に向かうのも楽になったが、お話の時代には敵も容易に近づけない天然の要塞であったろう。八女インターから黒木町を抜けてしばらく走ると、矢部川の流れの音が激しさを増す。道路から見えるのは段々畑と低い山並みばかり。さすがに民家の屋根は藁葺が少なくなったが、藁を焼く煙と彼岸花、そして稲の切り株が郷愁を誘ってくれる。
 八女から柳川にかけての住民にとって、命綱となる飲み水と農業用水は、ここ矢部村の日向神(ひゅうがみ)ダムが供給源である。そして周囲は杉の山々、まさに大杣の里である。「これこれ杉の子起きなさい・・・」、なんて植林キャンペーン歌も、材木が売れなくなったいま、杣人たちも歌わなくなったようだ。そうそう、東京在籍時代大変お世話になった作家の栗原一登さんは、矢部村の出身だったっけ。そうです、かつての美人女優の栗原小巻さんの父上のことですよ。そこには「栗原」という地名も存在します。


後征西将軍

順位 名前 生存年 天皇位
第一皇子 寛成親王 1343-94 長慶天皇
第二皇子 熙成親王 1347-1424 後亀山天皇
第三皇子 惟成親王 ?-1423
第四皇子 泰成親王 1360-?
第五皇子 師成皇子 1361-
第六皇子 説成皇子
第七皇子 良成皇子 ?-1395? 後征西将軍

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