伝説紀行 杖立温泉由来  小国町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第178話 2004年10月03日版
再編:2019.03.10
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

孝行息子に恵んだ湯

【杖立温泉の由来】

熊本県小国町


杖立温泉の鯉のぼり

 筑後川流域には、正真正銘すばらしい温泉がたくさんある。ここ熊本県小国町の杖立温泉もその一つ。川の上流・下流から湯治場目指して善男善女が大勢やって来る。この温泉、「泉質:弱食塩水 温度:98度 神経痛・りゅうまち・皮膚病・切り傷・美容など、庶民が苦しむあらゆる病気に効くんだと。温泉町の名前になっている「杖立」とは、どんな意味があるのやら。この温泉、発見されたのは神代の昔だとも聞いているが・・・。

豊後と肥後の国境で

 豊後と肥後の国境を飛沫(しぶき)を上げて流れる川岸を、1人の旅のお坊さんが通りかかった。
「もしもしそこなお方、ちとものを尋ねたいのじゃが・・・」
 お坊さんに呼び止められたのは、老婆を荷車に乗せて汗をかきかき上ってきた30歳くらいの百姓風の男。
「何の御用で?」
 男は額に汗をびっしょりかいて、息も切れ切れの状態である。
「このあたりに、ほんに良いお湯が出ると聞いたのじゃが・・・」
「それならわしらが、いまから行くとこのことじゃろう」
 男は善助といって、この川を40里も下った筑後の百姓だと名乗った。孝行者の善助は、年老いて体の自由が利かなくなった母親に、ゆっくり湯治をしてもらおうと、はるばる山坂を登ってきたのだった。
「親を大切に思うあなたには、きっと良いことがありますよ」
 お坊さんは、荷車の後押しを手伝いながら、善助母子に話しかけた。

大風で山の木が全滅

 お坊さんは、善助母子といっしょに首まで湯に浸かって満面の皺を緩ませた。「これはひどい、この所の大風のせいだ」
 善助は、湯加減を喜ぶお坊さんとは対照的に、川の両岸から覆いかぶさるように迫る険しい山の様子を嘆いた。
「そんなにひどかったのですか? この度の大風は」
「それはもう。俺たちが住む筑後でも田んぼは水に浸かり、家は倒れ、散々でしたよ。山の中まで来れば大丈夫だと思ったんだが・・・」
 そこに、隅のほうで仰向けになって寝ていた中年の女がむっくり起き上がって話しに加わった。
「わしはひと月前からここに逗留しとるが、それはもうひどかったばの。あの時の風と雨」
 根こそぎなぎ倒された大木が急流を塞ぎ、向こう岸の湯治場は今もまだ水浸しだと言う。
「これじゃ、せっかく見つけてくれた皇后さまにも申し訳ねえのう」
 女は、眉間にたてじわを寄せて嘆いた。女が言う「皇后さま」とは、神功皇后のことで、ここの温泉を発見し、生み落とされた皇太子の産湯をつかわされたという言い伝えがある。その元湯が平成の今日も山の岩窟にあるとか。

山の災難は川下にも

「こんなに山が荒らされると、川下の百姓も困るんだろうね。・・・善助さんの村も」
 お坊さんの言うことが理解できずに、善助は首をかしげた。
「山の木は、降った雨をいっぺんに川に流さないで根元に貯めておくんだよ。山には苔が生えていていつもじめじめしているだろう。それが何よりの証拠さ」
「どうして、降った雨が山に貯えられなければいけないんだ?」
 先ほどの女が訊いた。
「大雨が一度に川に流れれば、川の岸は大水になるじゃないか。それに・・・」
「それに??」
 善助も女も次の言葉を待った。
「日照りが続くと、田んぼの水もなくなってしまう。お前さんたちが飲む水だって」
「そうだな。だったらこんなに山の木が倒れてしまったら、村中が日干しになってしまうな」

坊さんは念仏唱えて上流へ

「あれ、出かけるのかい?」
 夜が明けて起きだした善助が、出立のために草鞋の紐を結んでいるお坊さんに声をかけた。
「私は日本中を歩きながら、海の向こうから伝わってきた仏の教えを説いて回る空海と言う坊主じゃよ。善助さんは、いつまでこの湯にいるのかえ?」
「せっかく来たんじゃから、せめてふた月くらいはいたいね。そうすりゃ、おっかさんのリュウマチも少しはよくなるじゃろうし。それに筑後に帰ったら水も飲めなくなっているかもしれんし」
 善助は、昨夜お坊さんが言った「山の木がなくなれば川下では水が涸れる」に、困惑しているようだ。


杖立温泉の薬師如来

「善助さんのように、親孝行者がいる筑後の民が困るようなことはないだろうよ。おまえさんのおっかさんの病気も、すぐに治癒するさ。そうなるためのおまじないに、この杖を立てておこう」
 お坊さんは、編み笠を深く被ったまま、持っていた樫の木の杖を地面に突き刺し、そのまま川岸を遡っていった。「南無阿弥陀仏」の念仏の余韻を残して。

枯れ木に新芽を吹く

「あれ、あの時のお坊さんが地面に刺した杖から芽が出てるよ」
 善助がすったまげた声を発して、母親を呼んだ。


弘法大師像

「何じゃ、朝っぱらから大きな声を出して」
 子供の頃に聞いた記憶のある母親の若い声が返ってきた。曲がっていた背も伸びている。
「あれ、おっかさん。湯治を始めてまだひと月もたっていないのに。そんなに元気になって」
「お湯のせいばかりじゃなかよ。お前とお坊さんの話を側で聞いていて、思ったんだ。あのお坊さんは只者じゃなかってね。だって、あの時の杖は枯れた樫の木だろ。枯れ枝に芽が出るなんて考えられんよ。わしの体もお坊さんがお湯に念力を与えて効能を効かせてくれたんだ、きっと」
「芽が出たこの樫の木が、山一面に増えてくれるといいな」
 善助は、保水力を持つ木が、元通りに川に覆いかぶさる山を彩ってくれれば、筑後の川辺で暮らす百姓の暮らしも安泰だと思った。それからである、善助と空海僧が浸かった湯を「杖立温泉」と呼ぶようになったのは。(完)

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