伝説紀行 秋津島の馬鹿力  筑後市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第173話 2004年08月29日版
2017年1月15日
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
伝説的人物史
観音さんに貰った馬鹿力

名力士秋津島浪右衛門

福岡県筑後市


 新幹線九州ルートの新船小屋駅予定地を視察に行った折のこと。目的を果たして次なる取材地の「船小屋温泉」へ。Sの字カーブの先に、重々しい石塔を見つけた。「秋津島浪右衛門の供養塔」が墓石と並んで建っている。説明版には、「郷土が生んだ江戸時代の名力士」とあった。
 供養塔は、文政年間(1818〜1830)に現八女市出身の小結・揚羽(あげは)によって建てられたものだそうな。

体はでかいが気が弱く

 ときは元禄10(1697)年というから、江戸幕府が誕生してからやがて100年を過ぎようとする頃である。有名な赤穂浪士が吉良邸に討ち入りする5年前といえば分りやすいかもしれない。矢部川の北岸、下妻郡久郎原(くろうばる)というところの村上家に、元気な男の子が誕生した。村上家は代々津島(筑後市大字津島)一帯を取り仕切る大庄屋であり、両親は長男の誕生を心から喜び、一太郎と名づけて大事に育てた。
 ところが一太郎、成長するにつれ人並みはずれて図体が大きくなる一方で、気が弱く動きも鈍くて周囲を悩ませた。10歳の頃には背丈が5尺半(165センチ)にもなったというから大人以上である。両親も「頭は人並み以上だし、これに俊敏さが加われば・・・」と欲を言った。
 今日も今日とて、大きな体を折り曲げるようにして、上がり口の女中部屋に駆け込んできた。顔は泥まみれで、そのうえに大粒の涙でグチャグチャにしている。
「坊っちゃん、また誰かに虐められなさったか?」
 女中のヒデが顔を拭いてやりながら、虐めた相手の名前を聞き出そうとする。相手がわかれば、ヒデはその子等に男顔負けの拳骨を食らわすつもりだった。
「駄目ですよ、一太郎。ヒデに喧嘩相手の名前を教えたら」
 奥から現われた母親の雪江がヒデを嗜めながら息子を諭した。

母の企み

「あなたは津島家の大事な跡取りです。でも、そんなに喧嘩が弱かったら、将来お父さまの跡を継いで大庄屋にはなれません。相手が仕掛ける前に、どうしてあなたのほうからやっつけないのですか?」
「だって・・・」
「だっても何もありません。そんなに体が大きいのですから、本気でかかればどんな相手でも負かせることができるでしょうに」
 雪江の説教を聞く一太郎は、わけを飲み込むのに苦労している。一方、一太郎の分身だと自認するヒデは、雪江の説教が気に食わない。
「どうしてですか、奥さま。坊っちゃんは何も悪くなかですよ。それを悪がきどもがよってたかって虐めるとです。ここはこのヒデがお出まして、あいつらをぎゃふんと言わせにゃなりまっせん」
「どうして、一太郎が悪くないと言えるのですか? あなたはこの子の一部始終を見ていたのですか?」
 雪江は一太郎の手を引いて仏間に入った。

暗い夜道を観音さんへ

 ヒデは翌朝早く雪江に起こされた。寝ぼけ眼で起き上がると、そばに一太郎も立っている。
「奥さまに言いつけられている起床時刻はまだ一時(いっとき=2時間)も先ですが」
「すまないが、清水(きよみず)さままでこの子を送って行っておくれ。観音さまに着く頃には明るくなるでしょうし」
「何のために坊っちゃんを? それに、坊っちゃんをお送りしたあと私はどうすればよかですか」
「昨日のうちにご住職には使いを出してありますから、一太郎を引き渡したらそのまま一人で帰ってらっしゃい」
 主人の言いつけは絶対である。訳も聞かされないまま、一太郎の手を引いて矢部川べりに出た。周囲は墨を流したような暗闇で、大川の葦林の牛蛙が、「もー、もー」と、気持ちのよくない鳴き声を響き渡らせていた。ヒデは小田原提灯で一太郎の足元を照らしながら、矢部川べりを上って行った。


筑後市から望む瀬高の清水山(2004年7月撮影)

 久郎原の東に聳える瀬高の清水観音までだいたい2里。川べりを歩いている分は怖さも疲れもないが、参道の山道は並ではない。小川に沿って急な坂道をよっこらさよっこらさとよじ登っていかなければならない。
「ぎゃー、ぎゃー」
 突然の鳥の鳴き声で、一太郎がヒデにしがみついた。
「何ですか、夜道を怖がっていて、それでも坊っちゃんは男なの?」
 かく言うヒデの膝も小刻みに揺れている。

お参り途中も虐められ

「この子が村上家の跡継ぎかな?」
 迎えた清水寺の住職は、一太郎を本尊の千手観音菩薩に案内した。
「あのー、わたしはどうすればよろしいので?」
 ヒデが住職を呼び止めるが、歩きながら手を振って「早く1人で帰りなさい」と合図をしただけ。
 しぶしぶ、ヒデは清水寺を降りていった。夕飯を済ませて女中部屋でくつろいでいると、一太郎が倒れこんできた。顔には蜘蛛の巣が絡みつき、着物は破れ放題。帰り道に悪童どもに襲われて、散々叩かれ、着物まで破られたのだと言う。
「おかわいそうに。このヒデが仇を討ってあげますからね。どこらへんのどんななりをした子です?」
 根掘り葉掘り訊き出すヒデを、現われた雪江が押し留めた。
「その必要はありません。それより一太郎、清水寺の和尚さんはあなたにどんなことを言われたのですか?」
 一太郎が黙っていると、
「言うまでは夕飯がいただけませんよ」
「そんな…」
 一太郎はご飯欲しさに、住職の言葉を伝えた。今日から49日間、毎朝同じ時刻に清水寺のご本尊にお参りして、仏の教えを乞うことだった。それも連れを伴ったらその時点でご利益は消えてなくなるとのこと。

毎日毎日手を合わせ

「観音さまから何を教えてもらうのです?一太郎」
「はい、一人前の大人になるまでに何をすべきか…」
 聞いているヒデの頭がおかしくなった。
「いくら仏さまでも、坊っちゃんがどうしたらいいかまで教えてはくださらんでしょうに」

「黙りなさい、ヒデ」
 雪江は満足そうに微笑むと、台所に息子を連れて行って腹いっぱいご飯を食べさせた。
 翌日から一太郎の清水寺詣でが始まった。日の出前までに昼の弁当を持たせて送り出すヒデ。一太郎が寺に着いてからは、1丈6尺(約5b)の本尊「千手観音菩薩」に手を合わせ、住職のあとについてお経を読む。痺れて足を崩そうものなら、容赦なく尺棒が飛んできた。昼の弁当を挟んで、午後は一人でお経を読む。間違おうものなら、すぐに罰棒が。


写真:新幹線開通ですっかり様変わりの船小屋あたり


「どうでした?今日の修行は?」
 気が気でないヒデは日がくれて、一太郎を迎える。
「わからねえ、どうして俺がこんな目にあわなきゃならんのか。でかい体に生んだおっかさんを恨むよ」

かぶと虫の怪獣

 49日の満願が迫っても、一太郎には未だに観音さま詣での意味がわからない。だって、仏さまは榧の木でできていて、ものを言うはずがないのだから。
 満願の夕方。やっぱり気になるヒデは、雪江に内緒で観音さまの参道に出かけて一太郎を待った。苦労を労(ねぎら)いたかったからである。陽も傾いて、一太郎が山を降りてくるのが見えた。心なしか、お参りする前より足元がしっかりしているように感じる。49日間で顔も幼児から一挙に大人になる寸前のそれに変わっている。
 びっくりさせてやろうと物陰に隠れて待っていると、突然一太郎が立ち止まり、何かに向かって構えた。行く手に立ち塞がったのは真っ黒の怪獣。よく見ると、子牛ほどもあるかぶと虫ではないか。虫は黒光りする甲冑を広げたりたたんだりしながら一太郎に迫った。一本道で逃げ場がない。かぶと虫は先が二股に割れた角を横に斜めに振りかざしながら、遂に獲物に食らいついた。
「助けて!」と叫んだのは、一太郎ではなくて物陰のヒデだった。

投げ飛ばして自信つく

 顔を覆った指の合間から覗くと、一太郎がかぶと虫の角を掴んで押し合いをしている。相手は怪獣である、押し倒されてお陀仏になるのかと、はらはらするヒデだが、彼女にも出て行って分身を助けるほどの勇気はない。
「神さま、仏さま、どうか坊っちゃんをお助けください」
 目を瞑って、大きな声で念じるだけだった。


清水寺の千手観音像

「うぉーつ」、地響きのような唸りとともに「ぱたぱたーっ」と巨大な羽音を打ち鳴らして、かぶと虫は東の清水山に飛び去った。一太郎はといえば、涼しい顔で手を払い、悠々道の真ん中を歩いてきた。
「坊っちゃん!」
 飛び出したヒデが一太郎に飛びついた。
「やっつけたのですか、坊っちゃんが?」
「帰り道を邪魔するもんだから、仕方なく角を握っていたら、しばらくして飛んで行った」
 一太郎は腰にぶら下げていた手拭で滴る汗を拭き、両手に力を込めて絞った。

観音さまの化身

 手拭は鈍い音を立てて真っ二つに切れた。
「どうしたのですか、坊っちゃん。手拭を捻りきる力を持っていたんですか?」
 呆れ顔のヒデの手を引っ張って、10歳の一太郎は意気揚々と母が待つ久郎原の屋敷に帰っていった。
 翌日、大庄屋屋敷に清水寺の住職が訪ねてきた。雪江は深々と頭を下げて礼を述べた。茶を運んだヒデが雪江と住職の会話を聞いて驚いた。
「それでは、あの子牛のようなかぶと虫は、実は観音さまの化身だったのですか?」
 信じられない顔で住職に尋ねた。
「そうじゃ、一太郎が愚僧の言いつけを守り、49日間のお参りを欠かさなかったゆえ、ご褒美に満願を終えての帰り道に待たれたのじゃ。観音さまは一太郎に角を掴ませて、仏の心と勇気を伝達された」
 49日間の念仏を経て、少年が大人に成長する。さらに心と勇気を授った。ヒデは分身の変化に感動し、住職に感謝した。
「ヒデと申したな? もしそなたがそこな奥方の言いつけを破って、かわいそうだからと一太郎のお参りを助けたりしていたら、この度の成就は叶わなかったぞ」
 住職は、ヒデの苦労と我慢を称えた。
「待ってください、私は奥様の言いつけを破り、昨日参道まで迎いに行きました。このことで坊っちゃんはまたもとの弱虫に戻りましょうか?」

天下一の相撲取りに

「いやいや、そんなことはない。そなたが出かけたのは満願が済んでからのことじゃから・・・。もしもう一日早く出かけていたら、そなたが心配する事態になったかもしれないのう」
「うははは」、屋敷中に響くような大声で笑い飛ばして、住職は帰っていった。
 体に恵まれた一太郎に、優しい心と勇気が備われば、周囲に比べる人物はいなくなる。彼の体格はますます大きくなり、19歳になって、江戸相撲の世界に入った。四股名は生まれ故郷の名前をとって「秋津島浪右衛門(あきつしまなみえも)」。それから27年間江戸相撲の頂点に君臨し、当時三番相撲で2千数百番の勝ち星を数えたと記録され、お上から「天下一」の称号をいただいたそうな。
 全盛期には背丈が6尺1寸8分(187a)、38貫目(142`)の巨体を誇り、46歳で引退すると翌年には亡くなったという。(完)

 矢部川沿いの久郎原付近は、古い民家が肩寄せあう典型的な筑後の農村地帯である。西のJR鹿児島本線、東の国道209号に挟まれて、船小屋温泉もすぐ近い。何より、矢部川の清流がすぐ近くを流れていることが、かの地をますます豊かにしてくれている。
 さて、西方1キロの場所に数百億円の工事費をかけて新幹線の新船小屋駅ができたら、久郎原の部落はどうなるのか。周囲をコンクリートの道路や公共の建物で固められ、秋津島以来営々と営んできた素朴な住民の暮らしはなくなるかもしれない。
 この地を地盤となさる元自民党の幹事長さん。自分の選挙と懐のことばかり考えないで、農村の原風景と豊かな暮らしを保障することも考えてくださいよ。

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