第171話 両神社の由来 古賀 勝作


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作:古賀 勝

第171話 2004年08月15日版
再編:2018.02.18

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

阿蘇の兄弟神

小国郷・両神社の由来

熊本県小国町


兄弟神を祀る本殿

のつく地名の多い郷

 熊本県の小国郷といえば、阿蘇外輪山から駆け下りてきた無数の小川がいっせいに合流するあたり。合流後に大きく成長した川は、日田盆地に向かう筑後川の出発点でもある。
 川岸には由緒ありそうな「両神社」という名のお社が建っている。阿蘇の国を造った神さまの息子の高橋の宮と火の宮の兄弟神を祀ってある。小国の地図を見ていると、両神社の周辺にはの字がつく地名の多いこと。柏田片田土田矢津田上田尻江田弓田田代小原田・・・。地図に表れないものまで含めると、指が何本あっても足りないかもしれない。


(写真は、両神社前を流れる杖立川)

 「田」の地名は、高橋の宮・火の宮の兄弟神が父の言いつけで小国郷の開拓に着手した神代に由来するらしい。神さまが民衆に、農耕を起こし、衣食住や殖産興業などの生活手段を教えたという故事に習って、田んぼの有り難さを忘れまいとの先人からの遺言ではあるまいか。

何もないのに馬転ぶ

 1600年前というから、弥生時代を終えて古墳時代に移った頃になろうか。小国の郷(さと)のお百姓さんたちは、田畑を耕すのに馬や牛は家族以上に大切な働き手であった。山が重なる火山灰の痩せた土地を、毎日毎日開墾して穀物や野菜を育てた。
 当時、郷の東北部にある小高い山のあたりを通ると、必ず馬が躓(つまづ)いて骨折したりして、農耕馬としての役に立たなくなった。
「どうしたもんじゃろのう、馬の障害物なんか何もないちゅうのに・・・」
「そうたいね、石ころも木の根も、草の蔓もみーんな取り払っちょるが。そいでいて必ず蹴躓(けつまず)くちゅうのがわからん」
 その場所を避けて通ろうとすると、田んぼまで何里も遠回りしなければならない。
「おっちゃん」と呼ばれる郷の顔役が言い出した。
「ここは、祈祷師さんに占ってもらおう」と。
 山の裾野はそれほどまでに、不思議な難所だったのである。

「神を祀れば…」

 おっちゃんに呼ばれてやってきた祈祷師は、南の阿蘇の神に向かって厳かに祝詞を上げ、お告げを待った。1時間も祈りが続いて、祈祷師が神さまの顔に変化した。
「小国に住処(すみか)を持つものども、よっく聞くがよい。我は遥か阿蘇の大神より当地の安泰のために派遣された高橋の神なるぞ。そなたたちの安泰のために来る日も来る日も寝食を忘れて勤めておるというに、そなたたちは我の努力を有り難く受け止めようとしない」
 神さまは怖い顔をされておっちゃんを睨みつけた。
「それで・・・?」
「仕返しと言えば我の品が落ちるから言いたくないが、もう少し大切に扱っても罰はあたるまいに」
「ごむ・・・、いえ、ごもっともな仰せでございます。して、どのように大切にせよとおっしゃいますので?」
「皆まで言わすでない。我は阿蘇より遣わされた神なるぞ。神を崇めるのに難しい作法などあろうものか」
 神さまは言うだけ言うとさっさと消えて、そこにはもとの優しそうな祈祷師の顔が残った。

火柱を噴出す地獄田

「聞かれたとおりでござる。一日も早く祠を建てて高橋の神を祀るのじゃ。祀った後は、ご供物と祭礼を欠かぬよう心がけよ」
「ははあ」
 小国の郷の人々が、杖立川の側に立派な祠を建てて、高橋大明神をお祭りすると、それからというもの、山の裾野で馬が転ぶことはなくなった。
 月日は巡りて、おっちゃんもよる年齢波には勝てず、最近は床の中でウトウトすることが多くなった。そんなある日、高橋神社の南方に住む男が訪ねてきた。30年前に大明神を祀ったことを聞きつけたらしい。
「実は、田んぼの水が涸れて、そこから火を噴いちょる」
「あの祈祷師もとおにあの世に行ったことだし、困ったものだ」
 おっちゃんは、ブツブツ言いながら男が用意した担架に乗せられて出かけた。なるほど川の水は完全に干上がっていて、干割れた田んぼから火柱が立っている。
「怖ろしゅうて、このへんのもんは『地獄田』ち言いよります」写真:阿蘇の美田風景
 男がおっちゃんに説明した。だからといって、おっちゃんに良い考えがあろうはずもない。またまた床の中でウトウトしていると、いつかの恐い顔をした高橋神に似た神さまが現われた。

弟神がひがんで田を荒らす

「我は、高橋大明神の弟の火の宮なるぞ。そなたらは、兄のことは大事にするが、弟の我のことは歯牙にもかけようとしない。同じ腹から生まれてきて同じように仕事をしたものを差別するそなたらに、仕返しをしたのがあの地獄田じゃ」
「それならそうとおっしゃってくださればよろしいのに。お祀りするくらいお安い御用でございます」
 おっちゃんは、早速高橋大明神の隣に祠を建てて「火の宮」を祀った。すると現金なもので、翌日には地獄田から火柱が消え、代わりにコンコンと綺麗な湧き水が噴出し、田んぼを潤した。
「有り難や、これも皆、火の宮さまのお陰ですぞ」
 郷の者は大喜び。村人は、地獄田の名を返上して、収穫物にはかかせないものの名をとり「筵田(むしろだ)」と改めた。高橋・火の宮の兄弟神をお祭りした祠を「両神社」と呼ぶようになったのはそれからである。(完)

 この話、阿蘇の神話がもとになっているから、すべてが神がかりになる。覚めた気持ちで両神社を訪ねたら、「この罰当たりめ」と、祠の中から怒鳴り声が飛んできた。それほどまでに、古墳時代から存在する神さまは威厳をお持ちで、ご利益も充分なようである。
 古木が鬱葱と繁り、広い境内に散らばる建造物や置物など、苔むしていてそれが信仰心を倍化させる。拝殿の前を杖立川(筑後川の源流)が流れる。東方の黒川温泉あたりを源流とし、他は阿蘇の外輪山を水源としてここらに集まってくる。阿蘇の山々と合わせ眺めていると、川の流れにすら、宿る神々を連想させてくれた。
 ここはそのむかし久大線と鉄道で結ばれていた。終点は宮原駅で、「御矢の原(みやのはら)」と呼び、それがいつからか「宮原」になったんだそうな。高橋・火の宮兄弟神が活躍した神の代、大勢力を誇った阿蘇氏が、自ら射た矢が落ちた場所に立ち「私ともども郷民は両神に従いまする」と申し上げたことから、その名がついたと伝えられる。
 その宮原も、最近では写真のような総ガラス張りの道の駅ができたりして、神代をしのぶことも困難になってしまった。

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