伝説紀行 蛇釜淵  日田市(天瀬)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第170話 2004年08月08日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

蛇釜淵

大分県日田市(天瀬町)


赤岩川の桜竹付近

 天ヶ瀬温泉から赤岩川沿いに南に遡った桜竹地区に、かつて浄光寺という寺があった。そこには、昭和36年に雷が落ちて寺が焼けるまで、ある生き物の鱗が保存してあったそうな。 

縄のれんによか男

 300年もむかしのことだが、赤岩村(天瀬町赤岩)に紺屋という酒屋兼雑貨屋があった。近くに住むものは店の名前を「くうや」と呼んで、夕方になるとガヤガヤ集まってきた。男は酒を飲み、女は大した用もないのに買い物籠を下げて店の中をうろついた。
「そりゃな、あすこん店にゃお鶴ちいうばさらかよか女中がおるじゃろが。そっで男どんが通うとたい」
「客の大半なおなごじゃろ。本当は、客の中におるあの色男を見たいけんたい」
 当時から3人寄ればワイドショー的興味は尽きないもの。そんな噂を知ってか知らずか、今日も陽が傾きかけると紺屋は大繁盛。働き者のお鶴が客扱いにてんてこ舞いだ。

喧嘩大将がからんだ

「あんさん、毎日顔ば見ますばってん、いったいどこから来よらすと?」
 隅っこでちびりちびりと枡酒を口に運ぶ町人風の男に、喧嘩大将の蜂五郎が近づいた。
「困ったことにならなければよかが」
 客衆はみんなはらはらしながら成り行きを見守った。
「私や、湯山(現在の天ヶ瀬温泉)で温泉宿ばしとる太郎左衛門ち言います。私に何か御用でも?」
「そうかい、このへんでは見かけん顔ち思うとった。そいで湯山ん人がこげん遠かとこまでわざわざ飲みに来るわけは? あそこにも飲み屋の暖簾くらい下がっとろうもん」
「このくうやの酒がうまかけんですよ。それに、ほれそこに立っている…」「お鶴さん…」と言いかけたところで、蜂五郎の鉄拳が太郎左衛門の顎を捉えた。
「太郎か次郎か知らんばってん、よそもんが大事なお鶴ばものにしようち考えてもそうはいかんばい。赤岩川の魚の餌になる前にとっとと消えて失せろ!」

帰りかけて姿が消えた

 2発目の拳骨が飛んだところに、お鶴が差し出したはたきが邪魔をした。
「やい、蜂五郎! うちの大事なお客さんに因縁ば吹っかける奴は許さん。金はいらんけん、さっさと失せろ」
 これまで見せたことのないすごい形相のお鶴が、蜂五郎の襟を掴んで表にたたき出した。それからまた、何事もなかったように、ワイワイガヤガヤ、客たちは酒を酌み交わす。買い物籠の女たちも、太郎左衛門を上目遣いに見ながら腑抜け状態に。
「お客さん、ボチボチ日も暮れますけん、…看板にさせてください」
 江戸時代の一日は、夜明けから日暮れまが活動の時間帯であった。従って人は夜明け前から働き始めて、日暮れ前には家に帰る。まっすぐ家路につけない者もいるがそれは現代といっしょ。縄暖簾に立ち寄るのも楽しみの一つだった。
 お鶴に促されて仕方なく立ち上がった太郎右衛門は、勘定を済ますと表に出た。
「毎度…」
 お鶴が客を送って外に出ると、彼は湯山とは反対方向の赤岩川岸に降りていった。

酒樽に顔を突っ込み

 「ゴソッ、ゴソッ、バターン、ゴソッ、ゴソッ、バターン」
 夜中に変なもの音がして目を覚ましたお鶴。音は酒蔵のほうから聞こえる。ネズミにしては何だか変だ。まるで近くの日向神社のしめ縄を、怪物が抱きかかえては床に打ちつけているような音である。打ちつけられるたびに「うっつ、うっつ」とうめくような声が聞こえる。それも人間の声ではない。お鶴は納屋に立てかけてあった大きな斧を手にもって、忍び足で酒蔵に近づいた。
 お鶴が暗闇の酒蔵を透かし見て、腰を抜かした。あの色男の太郎左衛門が、酒樽に顔を突っ込んで酒を飲んでいる。ときどき頭をもたげると舌なめずりしてまた酒樽へ。そのうちに酔いが回って床に座り込みのた打ち回る。その度に「ゴソッ、ゴソッ、バターン、ゴソッ、ゴソッ、バターン」と縄を打つ音が…。そしてとうとうバンザイをした格好で眠り込んでしまった。(赤岩地区の雑貨屋=イメージ)
「この酒泥棒!」
 お鶴の大声で振り向いた太郎左衛門の姿が、たちまち体長5bもある大蛇に変わった。大蛇は酒の酔いで目を腫らしながら、お鶴に襲い掛かった。そこでお鶴は持っていた斧を力の限り振り下ろした。

村中を雷が襲う

 怖さで自分のやったことがわからなくなったお鶴は、自分の部屋に戻るとガタガタ震えるばかりだった。そのとき、天空には何百筋もの雷光が。雷は赤岩の村中に次々に落ちた。
「どうしたんだ、お鶴? 今日に限って夜が明けても店を開けねえちいうじゃなかか。村のもんがみんな心配しとるぞ」
 昨日、、客の太郎左衛門にからんでたたき出されたことなどケロリと忘れた蜂五郎が駆け込んできた。
「夜中からの雷でね」
「恐ろしかったな、あんなに大げさに雷は、生まれて初めてだ」
 そうこうしてる間に、紺屋の周りには人だかり。「実は…」、お鶴に太郎左衛門が大蛇の化身だったことを知らされて、みんなは信じられないと言った顔。特に色男ぶりに引かれて用もないのに店に通ってきたおばさんたちの顔から血の気が失せた。
「おい、でっかい蛇が死んでるぞ!」
 赤岩滝の方から男が走ってきた。

大蛇を祭るお寺

「夕べの雷は、殺された大蛇の人仕返したい」
 庄屋の餡持右衛門(あめもちうえもん)さん、通称「餡餅」さんが薀蓄(うんちく)を垂れた。
 大蛇は周囲の険しい山の水が赤岩川に落ちる滝壷をねぐらにしている。大蛇は水の神から、ある重大な役目をおおせつかっていた。それは、ほとんど平地らしいものが存在しない赤岩地区の桜竹集落で暮らす住民の平和を守ることだった。1人たりとも同じ高さに住んでいない住民は、赤岩川の水を拠り所にして、助け合いながら暮らしている。
 だから、大蛇の仕事も気が抜けない。村人同士の諍(いさか)いを知ると向こうの尾根に降った雨を配給する。こちらのおかみさんがお産をするといえば、遠い湯山から産婆さんを舟に乗せて運ばせなければならない。
 だが大蛇も所詮は生き物。たまには人間たちが寄り集まって談笑する場に参加したかった。そこで、色男に化けて紺屋に通い、酒を飲むようになった。そうなると、いつの間にか水神から言い付かった自分の役目が分らなくなり、店仕舞い後も酒蔵にもぐりこんでいたと言うわけだ。いってみれば、アルコール依存症にかかったのである。
「私が太郎左衛門の大蛇を殺しました」
 大蛇のたたりと聞けば隠しておくわけにもいかず、お鶴は一部始終を村長に話した。
「そうじゃったか。大蛇がアル中になってからというもの、川の水が段々畑に配られなくなったし、川の水が濁ったと言っては川下のものから文句を言われるし…。何もお鶴が悪いわけじゃないが、ここは太郎左衛門の大蛇を供養しなければなるまい。今後のためにもな」
 村人はたたりを恐れて、赤岩滝に沈んでいた大蛇を近くの浄光寺に運び、懇ろに葬った。そのときの大蛇の鱗が、昭和36年に寺が焼失するまで残っていたのだそうな。その後、村では大蛇が死んでいた滝のあたりを蛇釜淵と呼ぶようになった。(完)

 04年8月の暑い日に赤岩の桜竹地区を訪れた。まさしく「段々文化」の象徴がそこにあった。山とか川は深い皺で刻まれ、水田はすべて棚田。隣の家も見上げるように高い場所に建っている。肝心の赤岩川は、狭い川幅ながら深くえぐられていて、水面のいたるところが滝のような飛沫をほとぼらせている。
「赤岩滝はどこ?」。物語に格好の雑貨屋兼酒屋さんから出てきた若いお母さんに訊いた。「知りまっせん。わたしはこのへんのことはあんまりくわしくありまっせんから」だと。夏休み中の小学生に訊いたがこれまた知らない。やっと通りかかった老人が、「それはほれ、あの山の中たい、ばってん、道がありゃせんけん、あんたがそこまで行くのは無理ばい」だと。
 300年前の桜竹は、大蛇の管理の下に、住民が助けあって暮らしていた。今はどうか、偉い先生方のお骨折りもあってか、りっぱな道路が完備され、天瀬温泉も間近になった。誰も彼も文化生活を謳歌している。
 五馬高原のコスモス見物にはまだ早いと思ったが、せっかくの広域スーパー林道が完成したとあって、愛車を走らせてみた。20キロ走る間に、すれ違った車は小型トラックが一台だけだった。

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