伝説紀行 カッパの証文  玖珠町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第167話 2004年07月18日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
カッパ族との友好条約
カッパの誓文

大分県玖珠町


カッパ伝説が盛んな玖珠川(豊後森あたり)

災難はみんなカッパのせい

 玖珠盆地は江戸時代まで豊後森藩の領地だった。藩主は代々村上水軍の流れを汲む久留島家が引き継いできた。日本のアンデルセンとして、日本国中に童話を語り歩いた久留島武彦は、世が世ならばその領主になる人だったという。お城のすぐ南側の帆足村を分断するように南北に森川が流れている。本村のすぐ脇には「善妙」と呼ばれる曰くありげな淵があった。村人は、その淵には恐ろしい妖怪が棲んでいると思い近づかなかった。
 庄屋の善助さんだけは、その妖怪の正体を見破っていた。
「あそこにおるんは、ほんとはカッパじゃけん」
 寄り合いの席で善助さんが明かした。
「そんじゃ、最近あのあたりで溺れ死ぬ子供が多いのは、カッパのせいかいの?」
 若手の当吉が訊いた。

カッパ族との友好条約交渉

「実は…、三日前に善妙淵を仕切っちょるカッパの助五郎に呼び出されたんじゃ。あのへんのカッパはみんな我われ人間に対して、怒っちょる、ち」
 人間とカッパの友好関係を重視する善助さんは、カッパとの交渉の経過を語り始めた。
「何が気に食わんのかいのう。わしらが何かカッパらに悪かこつばしたかいのう」
 集まった連中は、心当たりを思案するが、どうも合点がいかない。
「それがな、助五郎が言うには、最近の人間は川の水を汚してばかりで、住みにくうてしようがなかち言いよるんじゃ」
「わしらは今までどおりのことしかしちょらんが・・・。いつ川ば汚したかいのう?」
 当吉には思い当たることがなくて困った。写真は、玖珠川から望む万年山
「おまえらのせいじゃなか。役人どもが、やれ護岸工事だとか、川の流れば変えるだとかしよるじゃろ。あれで、川の水が汚れて、カッパの餌になる雑魚や藻がおらたんごとなったち言うんよ」
 なるほど、それならカッパの言い分もわからないではない。だが、役人が相手じゃ、「川を汚した証拠はなかろう」といってはぐらかされるに決まっている。あんまりしつこく言うと、番所にしょっ引かれてしまう。だと言って放っておけば、水難事故が増えるばかりで、どこもかしこも泣きの涙になってしまう。

馬の足にたかるカッパ

 今日も朝からカンカン照り。女たちは恥ずかしげもなく、真っ裸で水浴び中。その時当吉は、愛馬のタケを川に入れて遊ばせていた。
「ヒヒーん」
 タケが後ろ足で立ち上がると、恐怖と辛さをあわせたような鳴き声を上げた。当吉が慌てて近づくと、タケの前足と後ろ足に10匹くらいのカッパがたかっている。カッパどもは、わけのわからない奇声を発して、タケの足にしがみついていた。当吉の叫びで集まってきた村の衆が、鍬や鎌でカッパ目掛けて叩きまくった。力尽きて砂浜で死に絶えるもの、意地でもこの手離さないぞとくっついたままのもいる。
 だが、多勢に無勢、しかも男たちは強力な武器を持っている。カッパの全滅も時間の問題かと思われた。
 そのとき、善妙淵から浮かび上がった、ひときわ大きくて貫禄十分のカッパが、のっそりこちらに向かってきた。

親分の言い分

 カッパの逆襲かと、村人は武器を構えた。
「お待ちなせえ。あっしは森川全体をとり仕切っておりやす助五郎と申しやす。あっしの子分どもを虐めるのはそのくれえにしてはくれますまいか」
「なに、おまえがカッパの大将だと? こいつらを許せというのか?」
「庄屋さんにお聞きかと存じやすが、あっしは今人間社会との友好関係を結ぼうと話し合っているところでござんす。子分どもがあんさんらの馬にどうかしたとでも言われるんですかい?」
「見ての通り、馬の足に食らいついて水中に引きずり込もうとしちょるじゃなかか」
「それは違いやす。子分どもは、人間と仲良うしたい一心で、そちらさんたちの関心を引くためにじゃれただけでござんす」
 助五郎と村人たちの論争が延々と続いた。

交渉再開

 そこに駆けつけてきた庄屋の善助さん。
「せっかく話し合いが進んでおるちいうに、お前らはこれまでの交渉を台無しにする気か。わしはこれまでの子供の水難や畑の野菜泥棒をみんなカッパのせいだとは思うておらんけん」
 と村人を諌めた後で助五郎をにらみつけた。
「だが、今日の馬の足への食らいつきようは尋常ではなばい。つまり、水中に引っ張り込んで腸(はらわた)抜いて食べようとしたと受け取られてもしかたなかじゃろが」
 善助さんは、持っている杖を振り回しながら、助五郎を威嚇した。
「そんな〜」
 カッパの命も風前の灯。
「と、いきたいところじゃが、さきほど言ったとおり、わしはカッパ族との交渉の当事者じゃけん。どうかな、これから友好条約交渉を再開せんか?」
「望むところでござんす」
 善助と助五郎の、友好条約をめぐっての交渉は2日間にわたって、川原で続いた。

不公平条約文では?

 そこでまとまった内容(約束事)とは、
 まず人間社会が守ること・・・@これ以上川岸をセメントで固めない、A汚物を投げ込んだりして川を汚さない、ことであった。
 一方カッパが守ることは、・・・@子供らが溺れそうになったらカッパ族が総力を挙げて助ける、A村の中で火事が発生したら、カッパ族は火消しに協力する、というもの。
 条約には、村を代表しての庄屋の善助とカッパの助五郎が恭しく署名捺印をし、双方一通ずつ持ち合った。中身で気になるのは、カッパが火消しに協力すると言う下りである。これまでの経過からしてそんなことは何の関わりもないように思えるのだが。何だか不公平条約のような気がするのだが…。
 筆者が推測するに、力関係で有利だと推し量った庄屋が、この際とばかりに突然持ち出したカッパへの要求だったのではあるまいか。こんなことは、人間の政治の世界にはよくあることだから。
 調印式以来数百年たって、確かに森川での水難事故はなくなった。村で発生する火事も、ほとんどが小火(ぼや)で片付いている。だが、善助がカッパに約束した「護岸工事の差し止め」と「川を汚さない」約束は守られた形跡がない。というより、ますますひどくなっている。
 助五郎の子孫が約束事を知らないのか、人間が適当に誤魔化しているのか。そういえば、カッパと帆足村代表が捺印した証文は、未だに開封されないままだとか。善助さんのおうちの金庫に納まっているはずなのだが。(完)

 久留島の殿さまが君臨した玖珠町(森町)は、今もむかしの面影を残している。お話好きのお殿さまの町だからこそ生まれる「人間とカッパの友好条約」なのかもしれない。

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