湯擦りの郷
福岡県山川町
川底から温泉が湧き出たという飯江川(湯摺)
お忍びでお見合いに
時は江戸時代の初め。戦乱の世がおさまって、山里にもようやく平和が訪れた。でもこの期に及んで平穏な暮らしができない人たちがいる。壇ノ浦の合戦後九州の山奥に隠れた平家の子孫たちである。
お牧山(現福岡県山川町)の裾野でひっそり暮らす野上弥七の家族もその一つ。さすがにこの時代まで下ると、彼らに平家再興の夢は消えていた。しかし、落人が子孫を繁栄していくには、平家残党同士の連携が欠かせない条件である。そのために、一門同士がこっそり会合を持ったりして連絡を取り合っていた。
弥七の娘のお弓が、父の書状をもって山を下っていった。亀谷(現高田町)に住む平家落人仲間の薮中虎右衛門への遣いであった。弥七が持たせた書状には、「そちらの跡取りの嫁候補にと娘を差し向けます」としたためてある。お見合いもこんな不自由な形でしかできなかった。
要川では先祖に挨拶
なるべく里人に怪しまれないようにとの配慮から、お弓は夕刻にかけて、一泊かけてのお遣いである。お牧山の隠れ家を出立して、途中待居川の七霊の滝まで来ると、手を合わせて先祖の霊に挨拶した。壇ノ浦直後、公家の姫衆七人が覚悟を決めて身を投げた滝壺である。七人の霊は未だに鯰(なまず)に変身してあたりを彷徨っていると聞いている。生き残った弥七一族は、どんなに食料が足りなくても、鯰だけは口にしない。(写真は、湯摺の湯説明板)
お弓は、駆け足で山を下り、要川の岸辺にやってきた。ここは待居川と南方から流れてくる飯江川(はえがわ)が合流する地点である。七霊の滝に身を投げた七人の姫たちが平家の最期を見届けた場所でもある。要川での戦いは延々と続き、川が真っ赤に染まるほどに血潮が流れたと、お弓は聞かされている。周囲に人がいないことを確かめて合掌した。
絶体絶命のその瞬間
「姉ちゃん、おいらといいことして遊ばねえか」
いつの間に現われたのか、顔中髭(ひげ)ずらの男が後に立っていた。怖くなったお弓は、男を振り切って飯江川岸を走った。だが、男は狙った獲物を簡単には見逃さない。
「どんなに逃げても、無駄だって」
男は舌なめずりしながら、執拗に追いかけてきた。目的地の亀谷は、川の反対側で、まだまだ先である。お弓は意を決して川に飛び込んだ。
「おいらはカッパって言われているくらいだ。川の中でいいことするのも悪くないぜ」
髭ずら男は、着ているものを脱ぎ捨てて裸になると、お弓に向かって飛び込んだ。
「助けて〜」
「叫んだって無駄だって、言ったろう」
男がお弓の片腕を掴み、引き寄せようとしたそのとき。
「俺の女房に悪さをする奴は許さねえ」
向こう岸から馬鹿でかい声が飛んできた。岸の男は竹竿を持っていて、髭ずら男の頭を叩きまくった。
「覚えていろ」
男は、捨て台詞を残して、要川のほうに走り去った。
川底から温泉が
「こんなこともあろうかと、親父の命令で迎いに来たのさ」
お弓を助けたのは、薮中虎右衛門の息子の八郎だった。
「また追いかけて来ないとも限らねえ。先を急ごう」
「・・・」
お弓は、川に飛び込んだ時なのか、髭ずら男に抵抗していた時なのか、足をくじいてしまって立ち上がれない。むき出しの白い足は、切り傷で血が噴出していた。
「困ったな。亀谷までは山(障子岳=223b)一つ越えなきゃならないし」
八郎が思案していると、お弓が笑顔を向けた。
「どうしたんだ? こんなに難儀している時に気持ちが悪いぜ」
「違うのよ。ほら川底から出ている泡ぶくが温かいのよ」
なるほど、川底から湯が吹き出ていた。お弓は、温かい湯を患部に摺り込んだ。すると、今までの痛みが嘘のようにとれていった。
いつの間にか手を繋ぎ
「立ち上がってみな」
お弓が八郎の肩に掴まってたってみると、痛みなどまったくなかった。
「川底のお湯のお陰だわ」
喜んだお弓は、そこでようやく相手を確かめた。
「親父に言われて来てよかったぜ。危ないところだった」
「それで、あの時『俺の女房に悪さをする奴は許さねえ』と言ったのは、どういう意味なの?」写真:源平最後の決戦場といわれる要川
「そんなことを言ったかな。忘れた。みんなが待ってるから早く山を越えようぜ」
最初は、八郎の一間後ろを歩いていたお弓が、いつの間にか肩を並べ、そのうちに手を繋いで山を登っていった。
「この河原の湧水は、傷や皮膚の痛みに特効があるそうな」
お弓の怪我を治してくれた飯江川のあたりで噂が広がり、そのうちに病に苦しんでいる人が遠方からもやってくるようになった。やってきた人が、患部に湧水を擦りこむことから、この場所を「湯擦(ゆすり)」と呼ぶようになったのだそうな。
さてさて、八郎とお弓の縁談はどうなったのやら。いずれにしても「平家めでたし」ではござった。(完)
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