伝説紀行 八女の吉母神  立花町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第162話 2004年06月13日版
再編:2019.02.17
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

鬼女と吉母

福岡県立花町


遠久谷の吉母神

 国道3号を久留米から南に走って、立花町の道の駅付近から東へ、山中を延々と進むと、目的の吉母神社が見つかった。場所は、立花町の東のはずれの遠久谷(とおくだに)というところ。拝むと安産・子授け・育児などの願いが叶うとか。「吉母」なる神さまが果たして存在するのかどうか調べてみたら、どうやらインド生まれの「鬼子母神(きしもじん)」が変化したものらしい。「鬼子母」を正反対の意味の「吉母」に変えた理由は何だろう。

ざくろを好む人食い女

 ときは500年もむかし。遠久谷村の山中に、40歳くらいの女が一人で住んでいた。不審に思った木こりの爺さんが声をかけたが、振り向きもしない。爺さんがおいしいぼた餅などを運んで、何とかこちらを向かせようとするが無理だ。それがある日、女の方から近づいてきた。(鬼子母神像) 
 女はお爺さんに、「背中の籠に入っているざくろを、私にください」とねだった。女は整った顔をした美人である。話をしてくれるという条件で、籠の中のざくろをみんな差し出した。女は嬉しそうにざくろの表面を袖口で拭いたあと、ぺろりと食べた。
 家の中に入ると、部屋中に20体もの位牌が並べられている。
「みんな私が殺して食べた子供たちです」
 カリ子と名乗った女の話を聞いていて、爺さんの体が凍り付いた。

子を捜して上総から九州へ

「私は関東の上総(かずさ)というところで生まれました。15で結婚して5人の子供を産みました。5人目は女の子でした。でも、まったく乳が出ないんです。このままだと娘は死んでしまいます。そこである祈祷師を介して神のお告げを訊いてみました」
 祈祷師が言うには、「その子を助けたかったら、他人の子供の肉を食えと。腹を痛めた子供かわいさで、ついによその子供の肉を食べました。すると、不思議なことに、それまでしょぼくれていた乳房が膨らみ、どくどくと乳が出るではありませんか。もっと乳が出るようにと、2人目を殺し、3人目も。そのうち、人肉の味が忘れられなくなって、20人もの子供の命を奪ってしまったのです」
 罪を犯してまで守ろうとした末っ子が、そのうち


写真:吉母神を祀る社

に神隠しにあってしまった。それからカリ子は、末っ子捜しの旅にでた。どこまで行っても、見つからない。神や仏にすがっても、「あっち」とか、「こっち」とか言われるばかりで皆目見当がつかなかった。
 気がつくと九州の山奥に迷い込んでいた。道行く人に尋ねると、そこは筑後国の遠久谷(とおくだに)というところ。「生まれて間もない赤ん坊を見なかったかい」と擦れ違ったお人に尋ねたら、「坊さんに訊け」と言う。

ざくろを食せよ

 寺の住職にカリ子は、20人もの他人の子供を殺して食べたことを白状した。
「鬼のように怖い女じゃのう、お前は・・・」
「私が悪うございました。どうしたら私の子供を返してもらえましょうか?」
 カリ子は住職に取りすがった。
「殺した子供を供養し、行方知れずの我が娘の無事を祈れ。そうしたらいつの日か仏が現われて、お前の行く道を教えてくれるじゃろう」
「そこで私は、ご住職にいただいた20人の子供の位牌にお祈りをしているところです」
 話を聞いて、木こりの爺さんの震えはますます止まらなくなった。
「お前は、わしが持っているざくろを欲しがったが、それはなぜ?」
 そのわけは、「一度食した人肉の味が忘れられないと言う私に、ご住職が教えてくれたのです。「ざくろを食べなさい」と。
「ざくろがどうして?」
「ざくろは、人の肉の味に似ているから」と。
 爺さんは、未だ人の肉を食べたことがないのだから、比べようがなかった。

釈迦の説法

 それから10年が経過した。縁側で日向ぼっこをしている爺さんに、白装束姿のカリ子が声をかけた。
「仏さまのお導きで、これからもっと西の方に巡礼に参ります」
 カリ子は、別れの挨拶に立ち寄ったのだった。
「仏さまは現われなさったか?」
「法華経を唱え続けておりますと、枕元にお釈迦さまが立たれておっしゃいました。『そなたは、たった一人だけの我が子を捜しておる。そなたが殺めた子は20人。子たちの親の嘆きを、たった10年間の供養で解消できるわけがない。これから西に向かい、死ぬまで巡礼を行え』と」
 爺さんは、旅立つカリ子に裏庭になっているざくろの枝を手折ってあげた。
「ざくろは、一つの実の中にたくさんの実が詰まっていて、そのすべてに小さな種を持っておる。吉祥果とも書くように、子を授け守ってくれるご利益を与えてくれる仏の樹だよ」
「ありがとうございます。これからは、行く先々でざくろのことを伝えてまいります」
 カリ子が西に向かって一歩踏み出して振り返った。そこには爺さんの姿はなかった。「もしかしてあの爺さまは?」、鬼の私を導いてくださる仏様だったのではあるまいか。(完)

 ここでご本家の鬼子母神(きしもじん)について少し。
鬼子母神は、「神」と書いても、お釈迦さまが説かれた法華経に出てくる仏さまなのである。鬼子母神の本名は、訶梨帝
(かりてい)という。500人の子供を儲けたが、自分の子供を育てるために、他の人間の子供の肉を食べていた、という。「命の大切さは、神も人間も同じこと」と説かれたことから、日本流に「鬼子母神(きしもじん)」伝説が生まれたのかもしれない。
 さて、立花町の吉母神社に早くお参りしなければ。孫の誕生が無事でありますように、最初の孫が丈夫に育ちますように、霊験あらたかなざくろの枝をもって。

 こちらの吉母神は、1823年(約180年前)に、白土というところの造り酒屋の源右門という人が、酒の不出来で悩んでいた。そのとき夢枕に吉母神が現われて、ナンベノ峠に祀れと告げられた。源右門が早速言われた場所に祀ったら、その後は商売が繁盛したという。
 見渡す限り山また山の峠に吉母神社は建っている。周りに人家は見当たらない。それなのに境内はゴミ一つなく掃き清められ、今朝替えたばかりの生花が供えてあった。「ローソクもご自由にお使いください」とある。熱心な信者がおられることを思い、日本文化の奥深さを知らされた。

 上記記述から半年後に、2番目の孫が誕生しました。丈夫な女の子でした。間もなく2歳になりますが、僕のことをたいそう慕ってくれて、可愛くて仕方ありません。
 それにしても最近の世相の危ないこと。母親が隣の子供を絞め殺した。追及されると、自分の娘さえも橋の欄干から突き落としたと言う。物語のカリ子でも、我が子までは殺さなかったのに。疑うことを知らない幼子を殺める大人は、絶対に許せない。地獄に落ちてもそれでもまだ足りない罪を、あの鬼女はどのようにして償うのでしょう。と、読者からのお便りがあった。(2006年7月23日)

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