小川の豌豆カッパ
福岡県田主丸町
小川の豌豆カッパ像
田主丸ほどカッパ伝説にこだわる町も少ない。JR駅舎がカッパの姿なら、町中を流れる巨瀬川や雲雀川などいたるところにカッパの像が置かれているし、伝説が存在する。
今回紹介するのは、町北東部の小川地区に建つ老松神社境内のカッパ像の由来について。祠の中で愛嬌を振りまいているカッパの石造は、もともと木像だったそうなのだが、明治22(1889)年の大洪水で祠を残して流されてしまい、その後石に彫って祀ったものだとか。
豌豆のツルにかかってカッパが捕まった
この日も朝から太陽が照り付けて田んぼの水も煮えたぎりそう。由松少年が愛馬をチョロチョロ川に入れて水浴びさせていた。すると突然馬が前足を宙に浮かせて騒ぎ出した。由松が水中を覗き込むと、小さなカッパが愛馬の後ろ足にしがみついている。
むず痒いのか痛いのか、馬は嘶きをやめず、ついには後ろ足だけで川岸に立ち上がった。そのとたん、カッパは投げだされて地べたにどすーん。よく見ると、投げ出されたカッパは、まだ幼い子供だった。騒ぎを聞いて寄ってきた大人たちが、逃げるカッパを捕まえようと追いかけた。写真は、豌豆カッパが活躍した小川
「うちの畑のなすびとかきゅうりば盗むのはお前だな」
大人たちは、日頃の恨みを晴らさんものと、必死で追いかけた。子供カッパも捕まったらおしまいと、むせ返る野菜畑を逃げまくった。そのうちに、畑の中を這っている豌豆のツルに足をとられてスッテンコロリン。とうとう御用とあいなった。
生かすべきか殺すべきか
「さあ、憎いカッパをどうしてあの世に送ってあげようか」
大人たちは、豌豆のツルでぐるぐる巻きされたカッパを前にして考えた。ある者は、蹴ったり叩いたり。まるでどこかの国の兵隊が現地人を虐待している図を見るような様。
「あのう」
そこに、追いかけてきた由松少年が割って入った。
「なんか用か。子供にゃ関係なかけん向こうに行っとけ」
「そげなこつば言わんでください。カッパの言い分も訊いてやらにゃいかんですよ」
なかなか今の子供にしては立派なことを言うものだ。少々カッパの処分をもてあましていた大人たちも、それではということでカッパへの尋問を始めた。
「おまい(お前)は、どうして馬の後ろ足に食らいついたとか?」
最初の大人の質問に、子供カッパが答えた。
「食らいついたのではありません。僕はまだ子供じゃけん、泳ぎが上手じゃなかとです。おっかちゃんが危ないとこに行くなと言ったばってん、面白うて泳ぐうちに深みにはまり込んでしまったとです。幸い目の前に大きな杭が見えたもんでしがみつきました」だと。写真:田主丸は駅舎までカッパ
きゅうりと人の命はどっちが重いか
「その杭が、実は馬の後ろ足じゃったちゅうわけか」
「そのとおりです」
「お前は、畑のきゅうりとかなすびば盗んで食ったことがあるか?」
この質問にだけはまともに答えてはならないと、由松が祈ったのだが。
「はい、一度だけ。それはうまかったですよ」
「やっぱりな。それではお集まりの皆さまの挙手で、裁決いたします。この子供カッパを殺してしまうか、このまま川に戻してやるか。どちらにしましょう?」
結果は火を見るより明らかなこと。
「待ってください。俺はカッパば殺すとには反対です。カッパ君よ、お前もこん人たちにお願いばせんか」
由松に手で頭を押さえつけられた子供カッパ。
「一度人間に捕まったものは、カッパの世界には戻れないのです。でも、私は由松君に会えて本望です。これから僕はカッパ大明神に生まれ変ります。そして、この小川部落の人たちを水難から守ります」
大人たちは、哀れなカッパの宿命を知って皆で泣いた。そして目の前の子供カッパを大明神としてお祀りすることを誓った。
「最後にもう一つだけ、お願いがあります」
「まだ何かあっとか?」
「はい、お祀りいただいた大明神には、えんどう豆を煎って供えてください。いくら大明神でも、村中見て回っているとお腹がすきますから。僕は本当はきゅうりより、えんどう豆が一番好きじゃけん」
子供カッパは由松少年と堅い握手をした後、老松神社前の川に飛び込んだ。写真は、老松神社と祠
村人たちは、子供カッパとの約束を守り、榧の木で立派な河童大明神像を造り、石の祠に納めて老松神社境内に祀った。
「あれでよかったんじゃろか?」
由松少年は愛馬のタテガミを撫でながら、人間のために再び母親のもとに戻れなかった子供カッパのことを考えていた。その後、小川部落では田植えのころになるとえんどう豆を煎って河童大明神に供え、残りを子供たちがご相伴に預かる習慣ができたそうな。お陰でこの地区では、子供が水に溺れた話しなど聞いたことがない。(完)
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