伝説 松木の平家落人 九重町
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
松木の里の落人伝説 大分県九重町 九重町北部の山を地図で見ていると、「平家」に縁のありそうな名前が連なっている。そのものずばりの「平家山」、落人が再興を期して財宝を隠したとされる「宝山」だとか。山の麓を松木の里といい、近くには有名な龍門の滝(りゅうもんのたき)もある。
300人の落人が松木の里に 時は文治元(1185)年3月。壇ノ浦(関門海峡)合戦に破れた平家の軍勢は、九州各地の山奥に逃げこんだ。ここ豊後の玖珠盆地にも、平家一門の武将と女子供300人が落ち延びてきた。いかに九州の深部といっても、いつ住民に密告されて捕らわれるかもしれない。 都の大岩に似た巨石が 翌日から、慣れない力仕事が始まった。釜や鍬を持って荒地を開墾するもの、鉄を溶かして生活用品を作る鍛冶など。一坪耕しては種を蒔きながら、少しずつ田畑が広がっていった。
武者髭で勇ましい男たちも、いつ帰れるかわからない都の話になると、声も上ずった。 女は春を売る 大祖山から西の山に赴いた100人は、財宝を山頂近くの洞窟に隠すと、寸暇を惜しんで開墾に励んだ。だが、励んでも励んでも田畑は広がらない。麓に下りて米や野菜を買おうにも銭がない。女は、意を決して里の男たちに体を売り、みんなのために米を買った。
絶望の果てに自害し、猿になる 大祖山の東部、平家山に隠れた100人。待てど暮らせど、平家再興の狼煙は上がらない。隠し置いた財宝のうち、金になるものや物々交換が可能な品は、暮らしのために少しずつ消えていった。
それから500年たった享保の時代。平家山麓に100匹の山猿が里に下りてきて農作物を荒らした。猟師が待ち伏せして、一匹残らず猿の息の根を止めた。最後まで逃げ回ったボス猿を手にかけた後、猟師の頭がおかしくなった。そのボス猿は赤い鞘の刀を握っていて、手放そうとしなかったからである。 信心が身を助けた 本体の平義遠の部隊。彼らは大祖山のわずかばかりの平面を辛抱強く耕した。相変わらず妙義山の大岩に似た大石を守り神にして。そのうちに、麓の農民との交流も盛んになって、武士は知恵を出し、農民は食うものを提供しあうようになった。 言い伝えは限りなく 宝山の中腹に祀られている妙見宮近く。岩壁と反対側の絶壁には、赤岩・黒岩の伝説がある。昔、この赤岩・黒岩は、金・銀の財宝でできていた。地元の人々は毎日この岩を眺めて楽しんでいた。欲の深い百姓が掘り起こすと、何の変哲もない赤や黒のゴツゴツ岩でしかなかった。だが、下から見上げる地元の人の目には、金や銀で彩られた山に見えた。今でも欲深い人が見れば赤岩・黒岩に見えるが、心のきれいな人が見ると金・銀の岩に見えるそうな。 |