諏訪森の鬼火
2007.04.22
福岡県久留米市
久留米の諏訪神社
雨が心配な娘の花嫁行列
江戸時代まで、柳川街道沿いの原古賀あたりは、大変賑やかなところだった。 その頃、安武村(現久留米市)に、吉野太郎右衛門という金持ちが住んでいた。太郎右衛門の家の隣が天満宮であったため、人々は彼のことを宮ノ木長者と呼んでいた。
長者にはナミという年頃の一人娘がいて、隣村の西野長者から縁談が持ち込まれた。
「かわいか娘じゃけん、めったな奴のところにはやれんばってんが、西野なら田畑も金も有り余るほどに持っとるけんよかたい」
宮ノ木長者は、相手の懐具合だけを尺度にして、ナミの輿入れを承知した。
いったん大雨が降れば、筑後川は大暴れする。ナミの嫁入り先の西野村は、筑後川沿いの上流にあり、花嫁行列は土手の上を通らなければならない。婚礼の日が近づくにつれて、雨が降って土居が水浸しにならないか、そのことばかりが気になっていた。
悪い勘は当たるもの。何日も降り続いた雨で、太郎右衛門の屋敷は陸の孤島と化した。嫁入り先からは「婚礼を日延べしなくても大丈夫か?」と言ってくる。
筑後大堰
「誰に向かってそげなこしゃくな口ば叩くか!大事な娘を嫁にやるのに、大水ぐらいで日延べができるち思うか!」
太郎右衛門は使いのものを一喝して帰した。婚礼は明日のお昼である。朝一番には花嫁道中を開始しなければならない。だが雨はいっこうに止みそうになかった。
「俺さまの威信をかけた行事たい。よかか、村中の藁ば集めろ」
使用人や小作の男たちに号令した。
「ばって、藁にはまだ稲穂がついたままですよ。泥んこの道に敷き詰めたらあとは使い物になりまっせん」
男たちが抵抗するが、そんなことに耳を貸す太郎右衛門ではない。後10日もすれば収獲という稲が、その夜のうちにすべて刈り取られた。それでも足りない分は、分家の田んぼからも調達した。
稲穂のついた藁を敷いて
いよいよ婚礼の日、宮ノ木長者の屋敷から隣村の西野長者屋敷までの土居に、穂がついたままの藁が敷き詰められた。宮ノ木長者と娘ナミの花嫁道中が行われた筑後川の土居を、むかしの人は「稲土居」と称し、その名は明治の中頃まで残っていたという。
「人間にとって命の次に大切な米を粗末にした長者は、天罰を受けるじゃろ」
「実は、持っている金銀財宝が誰かに盗られたらいかんち思うて、天満宮の祠の下に埋めなさった」
村人は、あることないこと長者の不幸を予測した。案の定、吉野太郎右衛門の身の上には、次々に不幸が襲ってきた。
隠した財宝を盗まれて
夜中になってスコップを持った男が天満宮の境内をウロウロするようになった。男はついに地中から長者が隠した財宝を掘り出すことに成功した。男の名前は、与嘉蔵。久留米の白山でおっかさんと二人暮しだが、働くことが何より嫌いで他人の懐ばかりを当てにして生きている。そんな男が、安武村の衆の噂話を聞いてしまった。
翌朝、埋めた財宝が掘り出されているのを見つけた太郎右衛門は、その場で気を失うほどのショックを受けた。写真は、戦後まで残った公認遊郭
悪いことは続くもの、ナミの嫁入り先の西野長者から絶縁状が届いた。「村人を困らせるような者は親類とは思わん」というのがその理由。嫁のナミと生まれたばかりの孫にもいっさい会わせないという極め付きまで記されていた。
「人に憎まれてまでも貯めた財宝を盗まれ、目に入れても痛くない娘や孫にも会えなくなって、これ以上生きていて何の楽しみがあろうか」
太郎右衛門は、その夜天満宮の樫の木に縄を渡して首を吊った。
首吊った後は人魂になって
欲の皮が突っ張る見本のような宮ノ木長者は、首を吊ったくらいではあの世まで行きつけなかった。彼の魂は火の玉となって、財宝を盗んだ与嘉蔵の家に。苦労せずに手にした大金で、遊郭に入り浸りの与嘉蔵が、お気に入りの遊女の体に乗っかったその瞬間、天井を青白い炎が尻尾を引きずりながら旋回し始めた。
「ヒュル、ヒュル」
気味の悪い音を発しながら、長者の火の玉は右へ左へ。
「えずか(恐い)よ〜」
泣き叫ぶ遊女が廊下に出た途端、火の玉は与嘉蔵の首に食らいついた。
与嘉蔵を焼き殺してもまだ物足りない火の玉は、安武村の天神さんと白山を行き来しながら天空を彷徨った。
「こんなことでは村の衆が安心して暮らせん」
天満宮の宮司は、考えた末に祠を建てて長者の霊を慰めることにした。それが現在も残る「諏訪神社」だとか。(完)
こんな話を信じるお年寄りに会ったことがある。
「あのくさい、こないださい、雨のシトシト降る晩じゃったばってん、諏訪さん(神社)の上ば、青白か人魂がくさい、高うなったり低くうなったりして夜明けまで飛び回っとったもんの。それがくさい、ほんに嬉しかごつ、跳ぬるごつして飛んどったもんの。諏訪さんば建てて貰うたこつが、長者さんには何百年たったっちゃばさらか嬉しかったつばいね」だと。
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